第85話
第85話、第86話、第87話、同時投稿しています。
「行くぞ、リオ!」
「うん、兄ちゃん!」
俺はリオとともに、漆黒の甲冑をまとった女ヴァンパイアのもとに駆け込んでいく。
俺もリオも、常人の五倍をはるかに超える速度を誇る。
コンマ数秒で間合いを詰めてセシリアに斬りかかろうとしたが──
「ふふっ、タフなわりに攻撃力に欠けるブレットくんはどうでもいいんだよ。先に片付けるべきは──【月光剣】が使えるリオちゃんのほう!」
当然ながら、セシリアもまたその速度についてくる。
いやむしろ向こうのほうがさらに速いぐらいだ。
ちなみにだが、戦闘時の集中した勇者の時空間の中では、会話もまた高速になる。
常人が聞いたら録音を早回ししたように聞こえるらしいが、俺たち当事者は通常どおりに認識できる。
というか、「喋っている」「聞いている」という感覚はあるのだが、実際にやっていることは勇者同士のテレパシーや共感能力とでも呼んだほうが適切なのではないか、という意見もあるぐらいで──まあそれはさておき。
「さあリオちゃん、可愛い悲鳴を聞かせて──【月光剣】!」
セシリアの闘気をまとった横薙ぎの剣が、スローモーションのようにリオに迫る。
過集中状態だからそのように見えるだけで、実際には百分の一秒単位の出来事。
こちらも攻撃動作に入っていたリオは、それを回避できない。
しかも【月光剣】は物質の硬度を半ば無視する技であるため、剣で受け止めるわけにもいかない。
そんなことをすれば、受けに使った剣が真っ二つにされてしまうだろう。
このままでは直撃する。
リオもそれを分かっていたし、俺もカバーに行くことは叶わない。
だがその前に、俺は叫ぶ。
「イリス!」
「分かってます、先生! ──【光の守護】!」
──ピキィン!
イリスが放った魔法の効果を受けて、リオの全身が光の壁に覆われた。
【光の守護】──あらゆる肉体ダメージを一定量まで肩代わりする防御魔法だ。
防御魔法の中でもかなり強力な部類に属する、光属性と土属性の中上位合成魔法。
普通は訓練を初めて一年そこそこのルーキー勇者が使えるようなレベルの魔法ではないのだが、そこは光属性・土属性ともに圧倒的な適性を持つイリスの恐ろしさだ。
だがセシリアはそれを見ても、口元をふっと吊り上がらせる。
「やるねイリスちゃん──でも!」
──ガギィイイイイイインッ!
セシリアの【月光剣】が、リオに直撃した。
イリスが張った【光の守護】と衝突、一瞬の拮抗を見せ──
直後には、リオに与えられた防御魔法はあっさりと破壊されていた。
さらに──
「うぁあああああっ!」
──ドガッ!
リオの体はその衝撃で吹き飛ばされ、部屋の石造りの壁に激突していた。
「あ、ぐっ……くっそ……マジかよ……!」
「リオ、大丈夫か!」
「う、うん、なんとか」
俺の呼びかけに、リオは一応元気そうな声を返してくる。
どうやらダメージは大したことはないようだ。
ひと安心だ。
しかし想定はしていたが、本当に【光の守護】が一撃で破られた上に、衝撃を殺しきることすらできないとは。
しかも【光の守護】は、ダメージを軽減するのではなく肩代わりする魔法なので、これで効果は完全に消滅してしまった。
同じ効果を発揮するには、もう一度かけ直すしかない。
ヴァンパイア=セシリア──とんでもない攻撃力と馬鹿力だ。
もともとのセシリアの能力ももちろんあるが、やはりヴァンパイアになったことで、彼女の力が明らかに強化されているようだ。
だが一方で、セシリアが予想通りリオを狙ったおかげで、俺がフリーだ。
「よくもリオを──!」
俺は剣に闘気を注ぎ込み、攻撃モーションに入っていた。
セシリアが放ったのと同じような、横薙ぎの攻撃。
セシリアの回避が間に合うタイミングではない。
直撃コース。
だがセシリアは、そんな俺の行動を見て嘲笑する。
「はっ! 言ったでしょ、ブレットくんの攻撃力じゃあ今の私相手には決定力に欠けるって! 健気に【スマッシュ】でも撃ち込んでくるつもりかな? いいよ、もらってあげる」
明らかな油断。
盾による防御すらしてこない。
自身の絶大な防御力に自信があり、なおかつヴァンパイアには再生能力もあるから、多少のダメージぐらいは無意味だと思っているのだろうか。
あるいはその再生能力をまざまざと見せつけて、こっちの戦意を削ぐつもりかもしれないが。
だがいずれにせよそれは、「セシリアが知っている俺の戦闘力」が前提になっている。
つまりセシリアと一緒に暮らしていた、一週間前の俺が基準だ。
俺はセシリアに向かって、ふっと笑いかける。
「そうかい。じゃあ受け取ってくれ──【月光剣】!」
「なっ……!?」
──ズシャアッ!
俺が放ったその一撃は、セシリアの強固な防御力を難なく突破し、彼女の体に大ダメージを与えていた。
「ぐっ……!」
衝撃でよろよろと後退するセシリア。
早くも再生を始めた──しかし再生しきるにはかなりの時間がかかるであろう傷口を見て、苦悶に顔をしかめる。
「くっ……ブ、ブレットくんが……【月光剣】を……!? いつの間に……!」
「ついさっきだよ。ある人に剣術を見てもらってな。──俺も笑っちまったよ。コツひとつ教えてもらっただけで、ずっと悩んでいたのが嘘みたいにできちまった」
「しかも【月光剣】だけじゃない……剣スジそのものが鋭くなってる……!」
「ああ。なんていうか、そう──生まれ変わったみたいな気分だ」
俺はそう言って、セシリアに向かってニヤリと笑いかけてみせる。
そう、これがセシリアの誤算、その一だ。
俺は“武神”オズワルドから剣を教わったことで、【月光剣】の修得に成功し、さらに全体的な剣の技量そのものも目に見えるほど向上した。
ちょっとしたコツをいくつかアドバイスしてもらっただけなのだが、目の前に立ちはだかっていた高い壁がスッとなくなったかのように、突然前に進めてしまったのだ。
ただオズワルド曰く、俺自身が日々訓練してあれこれと試行錯誤をしていた素地があったからこその結果で、自分はきっかけを与えたに過ぎないというのだが。
無駄とも思えた訓練の日々が無駄でなかったと言われて、嬉しくなかったと言えば嘘になるが──まあさておき。
そんなわけで、一週間前の俺の実力しか知らないセシリアは油断をしたが、結果論で言えば判断ミスだ。
だがそれでも、セシリアはまた、くっくっと笑い始める。
「……なるほど。戦力差が分かっていないのかと思ったけど、そうでもないわけだ。──だけどさあ、甘い、まだまだ甘いよブレットくん。それで今の私に勝てるつもり?」
ふらりと、セシリアが体勢を立て直した。
俺が【月光剣】で与えた傷は、ヴァンパイアの再生能力によってみるみるうちにふさがっていく。
すぐに完全再生とはいかないまでも、決定的なダメージを与えたと評価するにはほど遠い。
【月光剣】クラスの大ダメージを与えられる攻撃を連続的に叩き込んで畳みかけないことには、真っ向勝負で今のセシリアを倒すことは難しいだろう。
そんなとき──
「……右手から【炎の矢】、左手からも【炎の矢】……」
俺の背後から、もう一人の教え子の声が聞こえてきた。




