第80話
ヴァンパイアウルフというちょっとした番犬の群れを退治した俺たちは、不気味な森の中をさらに進んでいく。
するとしばらく歩いていったところで森が途切れ、ついに俺たちは、目的地である古城の前へとたどり着いた。
前へと歩み出たリオが古城を見上げ、ごくりと唾をのむ。
「ここにヴァンパイアロードと、セシリア姉ちゃんが……」
一方、イリスとメイファは俺に寄り添ってきて、不安そうに俺の顔を見上げてくる。
「先生……セシリアさん、きっと助けられますよね……?」
「……不幸な結果なんて、ボクは絶対に嫌だ。……必ず助け出そう、お兄さん」
俺はうなずきつつ、二人の頭に手を置いて答える。
「ああ。セシリアのことは、俺たちが全力でぶん殴って止めるぞ。──いいな、リオ、イリス、メイファ」
「「「はい!」」」」
教え子たちの元気のいい返事。
それを耳にしつつ、俺もまた目の前に立ちふさがる古城を見上げた。
おどろおどろしくそびえ立つ石造りの門構えと、鉄格子型の門扉。
周囲には多数のコウモリが飛び回り、キィキィと鳴き声を上げている。
空を見上げれば暗雲が覆っており、まだ昼前だというのにあたりは薄暗い。
それどころか上空ではゴロゴロという雷の音すら鳴っている。
日光は暗雲にさえぎられて、ほとんど届かない。
これでは外で戦ったとて、ヴァンパイアに不利はほとんどないだろう。
……日が悪いな。
これから突入するヴァンパイアの根城は屋内だから、天候は基本的には関係ないとはいえ、いざというときのため晴天時に攻めたほうが望ましいには違いない。
だが晴天の日が来るまで悠長に待ってもいられない。
タイムリミットは刻々と迫っているかもしれないのだ。
しかしそのとき、俺と同じように空を見上げていた“魔帝”マヌエルが、ふんと鼻を鳴らした。
「ちぃと面白くない天気じゃな。今のうちに一応動かしとくか」
そうつぶやくと、マヌエルは何やら精神集中を始める。
そして──
「──【天候制御】!」
マヌエルは両手を頭上へと掲げ、魔力を解放した。
するとマヌエルを中心として力の渦が巻き起こり、それが遥か空の彼方まで立ち昇ると、渦に押しのけられるようにして空を覆う暗雲が退いていった。
しばらく後には、暗雲に大穴が開いたかのように古城の上空付近だけ雲がなくなり、太陽の光がさんさんと古城周辺に降り注ぐようになっていた。
「ま、こんなもんでええじゃろ。──さ、いくぞ小童ども」
マヌエルは何でもないことのように言うと、古城に向かって進んでいく。
“武神”オズワルドもまた、淡々と歩みを進めていった。
一方で、唖然とするのは俺たちだ。
「……なぁ兄ちゃん、あれって反則じゃねぇ?」
「ああ、俺もそう思う」
リオの突っ込みに、俺は大いにうなずく。
何とも心強い仲間である。
もう全部あの爺さんひとりでいいんじゃないかなと思ったりもするが……まあさすがにそうもいかないか。
しかしあれが世界最強クラスと言われている勇者の実力か……。
うちの教え子たちが世界最強と呼ばれるためには、少なくともあの爺さんを超えなければいけない。
俺は近くにいたリオに、ふと聞いてみる。
「なぁリオ。リオならいずれ、あの“魔帝”マヌエルよりも強い勇者になれると思うか?」
「えーっ、そんなの分かんねぇよ。兄ちゃんこそどうなんだよ」
「え、俺……? いや、俺は──」
想定外の質問が返ってきたことで、俺は言い淀んでしまった。
……こういうところだよな。
俺にはどうも、俺自身が強くなりたいという闘争心が足りないのだ。
昔はそうでもなかった。
もっとギラギラしていて、単純に「自分が誰よりも強くなるゲーム」を楽しんでいたように思う。
俺がいつから今のようになったかといえば、多分、世界の広さと自分の限界が見えてしまった頃からだ。
十人の勇者の中ではトップになれた。
百人、あるいは数百人の勇者の中でもどうにか首位を争えるだけのビジョンはあったし、それなりの結果を出してきた自負もある。
だがこれが、数万人の勇者の中でとなると、さすがに自分の限界が見えた。
ああ、自分の立ち位置はここなんだなということに気付いてしまった。
いや、決して悪いことじゃない。
世の中誰もが一番になれるわけじゃないのだから、どこかで見切りをつけるのは必要なことだろう。
手に入らないものにこだわるよりも、自分の手札には今どんなカードが配られていて、そのカードで何ができるのかを考えたほうがよほど建設的だ。
より良い手札を手に入れる努力は、それはそれで役に立つとして、だ。
俺はそのことを思い出し、リオの頭にポンと手を置く。
「俺は──そうだな。誰かと比べるよりも、自分が背筋を伸ばせる生き方がしたいかな」
「えーっ、それじゃ答えになってないよ兄ちゃん。ていうか、だったらオレもそれにする」
「あー……そっか、そうだな」
リオに言われて気付いた。
うーん、いかんいかん。
教師の俺が教え子に、誰かとの比較を押しつけてどうする。
可能性が見えるだけに、つい、な……。
これじゃ我が子を英才教育で縛りつけようとする教育ママさんを笑えない。
「ん、すまん。リオはリオだよな。リオらしくすくすくと育ってくれればいいよ」
俺がそう言うと、リオは少し考えるような仕草をした。
それからリオはつぶらな瞳で俺を見上げ、そんなことを言ってきた。
「んー……それじゃ兄ちゃん、オレがオレらしく育ったら、オレのこと今よりも好きになってくれる?」
それがドキッとするほど可愛くて。
俺は内心の動揺を隠すため、リオの頭をなでつつ、こんな言葉で誤魔化した。
「今よりもは難しいな。なにせ俺は、今のリオのことも最高に好きだからな」
「なっ……!? ……そ、そういうんじゃなくてさぁ。……はぁ、まあいいか」
頭をなでられたせいか少しだけ頬を赤らめたリオは、俺のもとからてってと離れてイリス、メイファと合流した。
そしてリオは二人の妹にこう報告する。
「なぁなぁ、兄ちゃんがオレのこと、最高に好きだって」
「はあっ!? な、何で……!? ていうかリオだけまた先生になでられてズルい!」
「いやズルくねぇし。イリスもメイファも、さっきオレをさしおいて兄ちゃんに抱きついてたじゃん」
「……それはそれ、これはこれ。……抱きつきとなでなでは別腹。……もとい、むしろいくらでも食べられる」
「あ、それは分かる」
「うん、それは私も同意するね」
三人の教え子たちの獲物を狙うような目が、俺を見てギンと光ったような気がした。
ど、どこかで見たぞ、この光景……。
一方、そのとき。
古城の鉄格子式の門扉の前に立っていた“魔帝”マヌエルが、こう呼びかけた。
「メイファ嬢ちゃんや。ちょっとこっちに来て、この門を開けてみぃ」
それを聞いたメイファは、マヌエルのもとに駆け寄る。
「……門を開けるって、土属性魔法の【開錠】のこと? ……ボクはあの魔法、覚えてないけど」
「いいや、ちゃうちゃう、そうじゃない。ワシがさっき教えたじゃろ」
「……?」
メイファは首を傾げる。
心当たりがないという様子だ。
それを見たマヌエルはニヤリと笑い、こう言った。
「ワシの【不死鳥の矢】、練習すると言うておったじゃろ? ここで練習してモノにして、この扉を溶かしてみせろと言うとるんじゃよ」
「えぇー……」
“魔帝”マヌエルの無茶ぶりに、さすがのメイファもドン引きしていた。
だがそこはそれ、メイファもメイファだ。
鬼才と呼ぶべき天才少女は、その恐るべき才能を発揮してみせたのである。




