第62話
「ふんぬぁああああああっ!」
セシリアは気合いの声を上げると、倒れてきた巨木を持ち上げて、元あった場所にズシンと戻した。
そして微調整をし、【月光剣】によって斜めに断ち切られた切り口を、ぴたりと合わせる。
そうすると、まるで斬られたのが嘘であるかのように、巨木は元通りの形になった。
切り口が本当に綺麗なのだ。
だがその木が再度倒れないのは、もちろん、セシリアが支えているからだ。
彼女が手を離したら、またすぐに倒れてしまうだろう。
するとセシリアは、次には俺を指名した。
「ブレットくん、ちょっとこっちに来て、私の代わりにこの木を支えておいて」
「へいへい」
俺はセシリアと代わって、木が倒れてこないように支える役割につく。
一方のセシリアは、木の切り口に手のひらを向けて、魔法行使のための精神集中に入った。
それからわずかの後、セシリアの魔法が発動する。
「【究極治癒】!」
まばゆいほどの魔力の光が、セシリアの手から放たれた。
それは木の切り口に集中していく。
やがて光がやんだ。
魔法の効果が完成したようだ。
「よし、ブレットくん。離していいよ」
「ほいな」
俺は支えていた大木から離れる。
だが大木が倒れてくることはなかった。
さらに押しても引いてもびくともしない。
それを見たリオ、イリス、メイファの三人が「おおーっ」と感嘆の声をあげて拍手した。
つまり【月光剣】によって斬られた木の切り口が、セシリアが使った魔法によって治癒・修復され、斬る前の状態に戻ったわけだ。
【究極治癒】。
水、土、光属性の複合属性上位魔法で、単純な治癒魔法としては最上級の効果を持つ。
その効果は治癒という枠すら超えているとも言われ、半ば条理そのものの復元にまで及ぶ。
それでも無論、治せるものと治せないものとはあるのだが、生命そのものが失われていない限りはだいたい何とかなる、ぐらいの万能感はある……と言われている。
「イリスちゃん」
「は、はいっ!」
セシリアに名前を呼ばれたイリスが、ぴしっと背筋を伸ばした。
この先輩女性勇者の実力を目の当たりにして、緊張しているのだろう。
それにしても先刻、子供たちの前で土下座して頼み込んでいた人と同一人物とは思えないのだが……。
「イリスちゃんは水、土、光の三属性すべてにSランクの適性があると聞いている。それならこの【究極治癒】を修得するのに、早すぎるということはない。私が教えるから、修得に挑戦してみるといいと思うよ」
「はいっ! よろしくお願いします、セシリアさん!」
「ああ、よろしくお願いされるよ。なんなら手取り足取り教えるよ。ハァハァ……ハァハァ……」
「あ、すみません、それはちょっと……。指導は口頭でお願いしますね」
イリスにきっぱりとそう断られると、セシリアはがくりと膝をついた。
「そんなっ、何故だ!? 世界はどうしてこう、私に人肌を与えてくれないのだ!? えぇいこうなったらブレットくん、キミでもいい! 私に人肌を、人肌を分け与えてくれ……!」
今度は亡者のように俺のほうに寄ってくるセシリア。
完全に犯罪者の挙動であり、若干引かざるを得ない。
何が彼女をこうまでしまったのか……。
長年の独り身生活、恐るべしである。
「それが一番ダメだっつーの!」
俺に近寄ろうとするセシリアの後頭部を、リオがスパカーンと引っぱたく。
するとセシリアはその両目にいっぱいの涙を溜めてリオのほうを見て、ついにはへたり込んで、子供のように泣き出してしまった。
「うわぁあああああんっ! 世界が私に冷たいよぉおおおおっ!」
すさまじい情緒不安定っぷりである。
というか、この人にプライドはないのだろうか……。
力はあるのに、望むものは手に入らない。
どこまでも哀しい人の姿がそこにはあった。
だが──そんなセシリアのあまりにもみじめな姿が、少女たちの憐れみを誘ったのかもしれない。
その日からしばらくうちで一緒に暮らすことになったセシリアは、ベッドが足りなかったこともあり、就寝時はリオ、イリス、メイファのベッドで一緒に眠ることを、三人の少女たちから許可された。
毎日日替わりで、三人のベッドにそれぞれお邪魔する形である。
ほとんど性犯罪者同然のセシリアとうちの子たちが一緒のベッドで寝ることには一抹の不安を覚えたが、セシリアとしばらく交流したリオたち曰く、
「大丈夫だよ。セシリア姉ちゃんこう見えて、オレたちが本気で嫌だって言ったことはしないし」
「ですです。私たちがおあずけって言えば、ちゃんと従ってくれますから」
「……むしろ、ちょっとぐらい餌をあげないと、発狂してお兄さんを襲いそうで怖い。……大丈夫、ボクたちがちゃんと調教するから」
などと恐ろしげなことをセシリア本人がいる前で言っており、それを聞いたセシリアもまた「ワンワンッ。私は三人の従順な犬だワンッ」などと言っていて、なんかもう俺からは理解できない世界に突入していたので、セシリアのことは三人に任せることにした。
それにしても、セシリアが付いてくることに関して、三人の許可を取らせたのがいけなかったのだろうか。
あの土下座で、両者の主従関係が決まってしまったのかもしれない。
ていうかこの人、世界でも上位クラスの実力を持つであろう上位勇者としてのプライドは、本当にどこへ投げ捨ててしまったのか……。
ともあれそんなわけで、セシリアが来て初日の夜は、彼女はメイファと一緒のベッドで眠ることになった。
その夜の就寝時、わずかな不安を抱いた俺は、眠りにつく前に自分の寝室から【聴覚拡大】の魔法を発動して、少しだけ隣の教え子たちの寝室のやり取りに耳を傾けたのだが──
それで聞こえてきたのは、メイファとセシリアのこんな会話だった。
『……セシリアお姉さん、おっぱいがふわふわで大きい。どうしたらこうなるの……?』
『はわわっ、小っちゃい子に触られてる……! し、幸せ……』
『……小っちゃい子言うな。……お姉さんが触るのはダメだけど、ボクたちが触るのはいい。……分かった?』
『ううっ、分かりましたメイファお嬢様。……でも生殺しだぁ。メイファちゃんは残酷だ、残酷将軍だよ。ううっ……今すぐメイファちゃんをパジャマごと抱きしめたい……』
『……まあ、いいか。……調教には飴も必要。……ハグぐらいなら、許す』
『ほ、ホントッ!? メイファちゃんは女神だ! ぎゅぅううううううっ!』
『ん……ちょっと、あったかいかも。……でもお姉さん、イリスとかリオが嫌だって言ったら、それはちゃんと守るんだよ?』
『もちろんもちろん! ご主人様の命令には従いますワンッ! はうぅぅっ、メイファちゃん柔らかくてあったかくて気持ちいいよぉ』
『……ん、よろしい。なでなで』
俺はそこまで聞いて、【拡大聴覚】の効果を切った。
それはなんだか、聞いてはいけない会話のように思えた。
多分これは、俺が知ってはならない世界なのだ。
俺はごろんとベッドに転がると、毛布をかぶって眠りにつく。
そうするとちょっとだけ寂しさを覚えて、セシリアの気持ちが少しだけ──ほんの少しだけ分かった気がした。
──と、まあそんな日々が一月ほど続いたわけだ。
セシリアは、昼間は指導者として凛々しくも頼もしい姿を、夜は三人の教え子たちに従うわんことして従順かつ情けない姿を見せた。
そしてうちに来てから一月後、リオが【月光剣】を、イリスが【究極治癒】を見事修得した頃合いを見計らって、セシリアはわが家を出ていくことになった。
セシリアに出ていく理由を聞くと、「ここにいたら天国すぎて自分がダメになりそうだから」ということだ。
俺から見ると、とっくの昔にダメになっていた気がするのだが……まあ本人的にはそうでもなかったのだろう。
やがて村から立ち去っていくセシリアを、俺とリオ、イリス、メイファは手を振って見送った。
「んー、やっぱりセシリア姉ちゃんの扱い、ひどすぎたかな?」
「しょうがないと思う。ライバルは潰さないといけないし?」
「……問題ない。……あれで本人、結構楽しんでいた」
などなど、俺の教え子たちが何やら不穏なことを口走っていた気もするが、まあ気にしないでおこうと思った。
そうして俺と教え子たちは、元通りの生活に戻ったのだが──
それから一週間ほど後のこと。
俺たちは勇者ギルドの受付で、セシリア失踪の報を聞くことになったのである。




