第61話
街の勇者ギルドからリット村まで戻ってきた、その日の午後のことだ。
もうすぐ日が沈もうという頃合い、勇者学院という名のボロ小屋の前の庭で、リオと“鋼の聖騎士”セシリアとが互いに向かい合って立っていた。
セシリアがリオに稽古をつけるという話なのだが、ともに身につけているのは実戦用の装備だ。
すなわち、セシリアはプレートアーマーと盾と剣。
リオが装備しているのも、彼女が魔王退治の実戦で使う本物のショートソードである。
ちなみに俺、イリス、メイファの三人は横手で見学だ。
「なあ、セシリア姉ちゃん。本当に実剣で打ち込んで大丈夫なの? オレ多分、姉ちゃんが思ってるより攻撃力あると思うけど」
リオが不安そうに聞くが、セシリアは朗らかに微笑む。
「ああ、私のことは倒すべき魔王だと思って、全力で打ち込んでくるといい。ちなみに変に手加減をするようだと、私の方からリオちゃんを捕まえてしまうからそのつもりで。……ハァハァ……ハァハァ」
「わ、分かった。全力でぶっ倒すつもりでいくわ。ていうかむしろぶっ倒すわ」
リオはぞぞぞっと背筋に寒気を走らせた様子を見せ、それから本気の構えでセシリアに向き合った。
セシリアもまた、盾と剣を構えてリオを迎え撃つ。
剣も盾と同様、防御に使うつもりなんだろう。
「じゃあ──いくぜ、セシリア姉ちゃん」
「ん、どうぞ」
セシリアがそう言い終えたかどうかというタイミングで、リオが矢のように飛び出した。
そしてあっという間にセシリアの懐に潜り込む。
「──ッ!」
その速度は、セシリアの予測をわずかに超えていたようだ。
熟練の女性勇者が少しだけ驚きの表情を見せる。
「もらった──【疾風剣】!」
リオは技の発動にかかる闘気を輝かせると、そこから瞬発的な多段攻撃を放った。
俺の得意技であり、リオが現在使える最強の剣技でもある【疾風剣】。
一撃は軽いものの圧倒的多数の手数で押すこの技は、中級上位クラスに位置する剣技の中でも、かなり使い勝手が良い技の一つと言える。
だが──
その技の発動を見たセシリアは、ふっと笑った。
ガキンッ、ガンガンッ、ガガガガガガンッ……!
リオが放つ斬撃が、立て続けにセシリアに襲いかかるが──
「なっ……!?」
技を放ち終えたとき、驚きの表情を浮かべていたのはリオのほうだった。
というのも、リオの本気の【疾風剣】を受けたセシリアが、まったくの無傷だったからだ。
それもセシリアは回避のそぶりもほとんど見せず、大部分の斬撃を自身のプレートアーマーに当たるに任せていた。
セシリアが剣や盾で防御したのは、鎧が防御していない部位に命中しそうになった数発だけ。
──“鋼の聖騎士”セシリアの戦闘スタイルは、自らの膨大な闘気を鎧にまとわせることにより、尋常ではないほどの防御力で敵の攻撃をはじき返すというものだ。
一撃一撃が軽いリオの【疾風剣】はセシリアの戦闘スタイルと相性が最悪だし、それでなくても土台の実力差がある。
「ん、やはり軽いね。それでは──強敵相手には通用しないよ」
「──ッ!?」
セシリアは右手から剣を手放すと、その手をリオの胸倉に向かってぐいと伸ばす。
リオは本気で恐怖するような表情で、バッと後方に大きく跳躍、セシリアから距離を取った。
「はぁっ……はぁっ……に、兄ちゃんより強いってのも……あながち、嘘でもないみてぇだな……」
リオは今の一瞬の交戦で、著しく消耗した様子を見せていた。
凄まじい集中力を使っているのだろう。
対してセシリアは、余裕の表情でリオに向かってにこりと微笑んで、剣を拾いなおす。
「勘はいいみたいだね。でも──リオちゃんの本気は、それで終わりかな?」
「ま、まだだ! 【疾風剣】が通用しねぇなら──!」
リオが再びセシリアに向かって疾駆する。
今度はそのままセシリアの懐に潜り込むのではなく、いくぶんか手前で大きく跳躍した。
「これならどうだ──【斬岩剣】!」
リオは空中で大きく剣を振りかぶって、セシリアに向かって落下しながら剣を振り下ろした。
リオの剣がまとった闘気が、自然落下の勢いをも力に変えてセシリアに襲い掛かる。
しかし重装の女勇者は、まったく動じなかった。
「へぇ、面白い【斬岩剣】のスタイルだね。でも──」
セシリアは左腕の盾を前面に掲げ、そこに闘気を集中させる。
──ガギンッ!
リオの剣が、セシリアの盾にぶつかった。
リオの渾身の【斬岩剣】は、あっさりと受け止められてしまった。
「ぐっ……! 【斬岩剣】でも通らねぇのかよ……!」
「一撃が軽い多段攻撃から、一撃の重さがある重撃系の技に切り替えたのは、戦術としては正解だね。しかしそう見え見えでは、盾で防ぐさ」
セシリアはそのまま盾をなぎ払うように振った。
「うわっ……!?」
リオの小柄な体がたやすく吹き飛ばされ、放物線を描いてから地面に放り出される。
リオはそれでもアクロバティックに体を回転させて着地し、またどうにかセシリアから距離を取った。
「マ、マジかよ……強ぇ……」
「どうかなリオちゃん、まだやるかな?」
そう言ってセシリアは、リオに向かって再びにこりと微笑みかける。
息ひとつ上がっていない。
平均的なプロの魔王ハンターと比べても相当上の実力を手に入れたはずのリオが、完全に子供同然の扱いだった。
それに対してリオは少しだけ考えて、それから剣を鞘に収めて両手を上げた、
「いや、やめとく。今はまだぜんっぜん勝てる気がしねぇ。セシリア姉ちゃんやっぱ強ぇや。兄ちゃんが認めてるだけのことはある」
「ふふ……『今はまだ』ね。でも確かに、リオちゃんが才能の塊なのは打ち合ってみて分かったよ。──さて、それじゃあここからが本題だ」
セシリアはそう言って、勇者学院のボロ小屋裏に立っている一本の大木の前まで歩み寄る。
そしてリオを手招きでちょいちょいと呼び寄せた。
「さあリオちゃん、この大木を一撃で斬れる?」
セシリアはリオに問いかける。
大木の幹は両腕を広げても抱え切れないほどに太く、普通なら斧を何十回も打ちつけないと切り倒せないであろう代物だ。
「えぇーっ!? いや、一撃でってのは無理だろ。【斬岩剣】じゃ横薙ぎはできねぇし、【スマッシュ】を同じところに何発か叩き込めれば、ひょっとしたら切り倒せるかもしれねぇけど……」
「まあ、そんなところだろうね。──では、もう一つ問題。私やブレットくんなら、この木を一撃で斬り倒せると思うかな?」
そう聞かれて、リオはうーんと考え込む。
「いや、兄ちゃんやセシリア姉ちゃんでも、いくらなんでも一撃は無理じゃね?」
「うん、正解だ。私やブレットくんでも、この木を一撃で斬り倒すことは難しい。通常の連撃技や重撃技では、ということだけど。──では、見ていてくれ」
そう言ってから、セシリアは腰だめに剣を構え、その剣身に闘気を宿していく。
そして──
「──【月光剣】!」
セシリアの剣が奔った。
振り抜かれたロングソードの刃が半月状に闘気の残像を残し、それがゆっくりと消えていく。
そして──
ゴゴゴゴゴッ……!
セシリアの剣で斜めに切り上げられ真っ二つになった大木が、音を立てて倒れていく。
「うっそぉ……! すげぇ……」
それを目の当たりにしたリオが、目を真ん丸にして驚いていた。
【月光剣】──俺がかつてセシリアから教わっても、モノにできなかった技だ。
剣に闘気をまとわせるだけでなく、闘気を剣の刃に一体化させるように通すことで、物理攻撃の限界を超越した攻撃力を発揮する技だという。
その特性は、普通に高い攻撃力に加え、攻撃対象の防御力を半ばまで無視するというもの。
だがセシリアの指導は、それで終わりではなかった。
「──どっせーい!」
倒れようとしていた大木を、セシリアはその先に回り込んで、両腕を広げて抱えるようにして支えた。
倒れかけの大木は、それでぴたりと止まる。
セシリア自身の体の何十倍もの大きさがある巨木が、彼女一人によって支えられるという、常人が見たら目を疑うような光景だ。
セシリアは、さらに──




