第149話
状況はますます逼迫していた。
サハギンの大群はさらに次々と押し寄せ、俺たち六人の勇者──いや、マリーナとアーニャの二人は村娘たちを逃がそうとしているから、実質は四人か──を押し潰そうとしてくる。
俺とリオ、イリス、メイファの四人も奮戦してはいるが、なにぶん脱出する娘たちや、それを助けるマリーナやアーニャを守りながらの戦いなので、普通に戦うよりも不利な戦いを強いられている。
防衛ラインを抜かれてはいけないのだ。
俺とリオの第一防衛ラインで八割から九割のサハギンを撃退、あるいは牽制する。
それを突破した残りの一割から二割は、イリスとメイファの第二防衛ラインによる攻撃で確実に仕留める。
それが完全にできているうちは、まだ良かったのだが──
「くそっ、奥に行くなって言ってんだ──ぐっ、痛ってぇ! ──野郎っ!」
ちらとリオのほうを見ると、押し寄せるサハギンどものうち一体が突き出した槍が、リオの剥き出しの太ももに突き刺さったようだった。
勇者であるリオの全身は闘気で守られているから、そう易々と決定打は受けない。
サハギン程度の攻撃力では、槍の穂先が多少太ももに突き刺さった程度で、貫通などには到底至らないが──
「リオ、大丈夫か! 無理はするなって言っただろ!」
「分かってる! 分かってるけどさあ! こいつら、倒しても倒しても次から次と湧いてきやがって……! ──こんのやろぉおおおおっ!」
ダメージを受けたリオの動きが、焦りのためか大雑把になってきていた。
リオは飛び抜けた才能を持っており、特に敏捷性に関してはすでに俺に匹敵するか凌駕するほどだが、彼女にはまだ圧倒的に経験が足りていない。
「リオ、落ち着け! まだ大丈夫だ! 焦る必要はない!」
「分かってる! 分かってるから! 兄ちゃんちょっと黙っててよ!」
「……っ! 分かった! マイペースでやればいい! あとは俺が何とかカバーする!」
「そういうのも余計なんだよ! オレは兄ちゃんの隣に立って、役に立ちたいのに……! それなのに、どうしてオレ、こんなに……!」
剣をふるいながら、泣きそうな声を返してくるリオ。
まずい。
俺の放った言葉のせいで、逆にリオのメンタルがガタ崩れし始めた。
だが、どういう言葉をかけるのが正解だったのか──
「くっ……!」
そのとき、一体のサハギンが突き出してきた槍が、俺の右頬をかすった。
頬に痛みが走る。
わずかだが出血もしただろう。
「チッ──あんまりよそ見も、していられないか!」
俺はそのサハギンを、一撃で斬って捨てる。
だが次の二体、いや三体のサハギンが俺に迫り、槍を突き出してくる。
俺はそれをさばきながら、声をあげる。
「マリーナ、アーニャ! 娘たちの避難はまだ終わらないか!」
「もうちょっとだよ、ブレットさん!」
「あと少しだけ時間をください!」
「わかった! 終わったらリオの援護に行ってくれ!」
「「了解!」」
戦況は刻々と変化する。
リオの精神面の崩れは少し心配だが、全体としてはまだ慌てるような状況ではない。
だが、そこに──
「──何をしている、役立たずどもめ」
サハギンの声に似た──しかし地獄の底から響くような声。
俺の前にいた三体のサハギンが、びくりと震えあがる。
その背後に立つ、サハギンバロンに似た巨体。
「我は六匹のネズミごとき、さっさと押し潰せと命令したはずだ。──役立たずどもはいらん、邪魔だ」
「「「──ギャァアアアアッ!」」」
俺の前にいた三体のサハギンが、一息に絶命した。
一体は斧に頭をかち割られ。
一体は槍で胸を串刺しにされて。
一体は剣で胴を両断され。
そして無造作に振り捨てられる。
無惨に薙ぎ払われた三体のサハギンの後ろから現れたのは、瘴気をまとった八本腕の巨体サハギンだ。
ついに大ボス、サハギンロードが目の前までやってきたのだ。
八本の腕にはいずれにも、斧、槍、剣、棍棒、盾などの武器を携えている。
その武器で、自らの配下のサハギンを、邪魔だというだけの理由で殺した。
相変わらず、魔王というやつはどうかしている。
そいつは悠然と歩み寄ってきながら、俺に向かって語りかける。
「ここにいる勇者どもを率いているのは、貴様だな。貴様さえひねり潰せば、指揮官を失ったメスの勇者どもは取るに足らん。捕らえて煮るも焼くも思いのままだ」
見上げるほどの巨体だ。
背丈は俺の五割増しほどもある。
そればかりではない。
威圧感も並みのサハギンやサハギンバロンの比ではなく、戦闘力で見ても到底侮れる相手ではないだろう。
この戦局に、こいつの登場は正直いただけない。
俺は額に汗を浮かべつつ、口元を意識的に吊り上げながら答える。
「魔王様が直々のお出ましとはな。こらえ性のない魔王は出世しないぜ? 部下が全滅するまで、高みの見物でも決め込んでりゃいいのによ」
「ふん、そうもいかん。苗床を用意して卵を産ませ、兵を育てるのにも時間がかかる。貴様が連れてきた娘どもを使うにせよ、そうそう兵を浪費していては埒が明かん。それでは我が野望の成就が遠のくというものだ」
「ああそうかい。テメェで戯れに殺しておいて、よく言うもんだ──【疾風剣】!」
俺は地面を蹴り、サハギンロードに斬りかかる。
──ガガガガガガギィンッ!
サハギンロードは手にした武器や盾を駆使して、やや後退しながらも、一瞬十二斬の多段攻撃のほとんどを防いでみせた。
巨体に似合わぬ俊敏な対応だ。
俺は即座にバックステップで後退して、距離を取る。
サハギンロードの巨体から、ブシュッ、ブシュッと二ヶ所、血が噴き出した。
「ほう……なるほど、これは我が配下どもがてこずるわけだ。並大抵の勇者とは、格が三つ四つは違うか」
十二発の斬撃のうち、二発だけがかろうじて防御を抜けてダメージを与えていたわけだが、それとて深手ではない。
どちらも浅く切り裂いただけで、致命傷にはほど遠い。
「……やっぱり真正面からの【疾風剣】じゃ、決め手にするのは難しいか」
俺は苦笑する。
容易くない相手であることを、再確認したというところだ。
それでも、キャプテンミスリルの宝箱の中にあった、剣の性能が幸いしていた。
一撃が軽い【疾風剣】でサハギンロードの鱗と瘴気による防御を突破できるのは、この剣の切れ味があってこそのものだ。
しかしサハギンロードは、この程度の負傷など物の数ではないという様子で、再び間合いを詰めてくる。
「認めよう、人間の勇者よ。貴様は強者だ──だが!」
「チッ……!」
武器の間合いに入る直前、サハギンロードは急激に速度を増した。
間合いに踏み込むと同時、瞬く間に怒涛の八連続攻撃を放ってくる。
腕の数だけではなく、一撃あたりの速度も並みのサハギンやサハギンバロンの比ではない。
それでもどうにか、俺は攻撃のほとんどを回避し、あるいは剣で受け止めて防御する。
──ガガガガガギィンッ!
俺が【疾風剣】を放ったときと同等の衝突音が響き渡る。
ブシュッと、俺の左腕をサハギンロードの剣の斬撃が浅く切り裂き、その二の腕から血が噴き出した。
「くっ──【月光剣】!」
「むっ──!?」
俺が奥の手の技を繰り出すと、一度は盾で防御しようとしたサハギンロードは、技の性質を見抜いたのか瞬時に行動を切り替え、後方へと飛び退った。
俺が放った【月光剣】はサハギンロードの盾を真っ二つに割ったが、それを装備していた腕までは斬り落とせず、その腕と胸部を浅く切り裂いただけに終わった。
「……さらに強力な技を隠し持っていたとは、底の知れん勇者だな」
サハギンロードは斬撃の入った箇所から血をあふれ出させながら、なおも悠然とした態度を崩さない。
サハギンロードと俺は、互いに相手の隙を探りつつ、にらみ合う。
下手に動けば、一瞬で命を取られる。
互いにそういう間合いであり、実力であると直感していた。
「強き人間の勇者よ、やはり貴様は危険だ。我が覇道の邪魔になろう。ここで殺しておく必要があるな」
「できるつもりかよ、サハギンの魔王。いや、強さからしてサハギンバロンが魔王化したものっぽいが──いずれにせよ、俺とあんたはせいぜい互角ってとこだろ。なんなら部下と総出で、死に物狂いで俺を潰しにきたほうがいいんじゃねぇか?」
「いや、それはやめておこう。貴様はしぶとそうだ。しばらく我との遊びに付き合ってもらおうか。その間に、我が部下が貴様の仲間たちを蹂躙するだろう」
「……そう思うか? 言っておくが、俺の教え子たちは強いぜ」
「そのようだが──なに、貴様よりは崩しやすそうだ。それに慌てることもない。我の全軍がこの広間に集結する頃には、この場に立っている人間は貴様一人になっている。そういった話だ」
そのサハギンロードの言葉に、俺は内心で舌を巻いていた。
サハギンロードから一瞬でも視線を外すことはできないが、聞こえてくる声や戦闘音、気配や空気感から、俺も周囲の状況はなんとなく分かっていた。
まずはマリーナとアーニャが村娘たちの避難を終え、リオの加勢に入っていた。
それで一時は盛り返したようだったが、今度はそこに敵方のサハギンバロンが二体乱入してきて、また一気に天秤が傾いた様子だ。
サハギンロードが単体で俺を抑えたことで、残るすべてのサハギンの大群戦力がリオたちのほうへと押し寄せている。
そうなれば、戦力の低いアーニャがまず耐えきれなくなる。
そしてリオとマリーナには、それぞれ一体ずつのサハギンバロンと数体のサハギンが常に同時に襲い掛かり、防戦一方になって押し込まれる。
イリスとメイファも必死に攻撃や援護をして戦局をひっくり返そうとしているようだが、押し寄せるサハギンの波は膨大で、その後衛二人も敵の攻撃にさらされ始める。
撃破されたサハギンの数もかなり増えてはいるが、このまま敵の数が増え続ければ、いずれもたなくなることは明白だろう。
だが──
「──いや、どうやらあんたの部下のサハギンは、もう打ち止めのようだぜ」
「なに……?」
この大広間へとずっと増え続けていたサハギンの増援が、少し前からまばらになり、ついには皆無となっていた。
現在この大広間にいるサハギンの数は、これまでに倒したサハギンと合わせても百に満たず、おそらくは八十とか九十とか、そのぐらいのものだ。
百五十を超えるサハギンの大軍勢というには、帳尻が合わない。
そして──
サハギンの代わりに、この大広間へと現れた、別の増援の姿があった。
増援の先頭に立つのは、白銀色の甲冑と大盾に身を包んだ、金髪で美貌の女性勇者だ。
その後ろには、赤髪ポニーテールとメガネがチャームポイントの女性勇者と、筋骨隆々とした隻腕の壮年勇者、それに肉体美を誇るようにポージングをした二人の海賊勇者がいた。
甲冑と大盾に身を包んだ女性勇者は、大広間の入り口で声を張り上げる。
「ブレットくん、リオちゃん、イリスちゃん、メイファちゃん! すまない、遅くなった。今からでも、パーティには間に合うかな?」
「ああ、ギリギリセーフだ。──なにせパーティが始まるのは、こうして役者が全員揃ってからだからな」
「セシリア姉ちゃん、遅い!」
「もう、冷や冷やしたんですから!」
「……ふぅ。……もうボクは、働きすぎた。……あとはお姉さんたち、よろしく」
俺と教え子たちは、我が家の召使いに向かってそう返事をしていた。




