第133話
波のざあざあという音に、たっぷりの潮のにおい。
俺は明け方の大海原を、海神様の背に乗って進んでいた。
メンバーは変わらず、俺、リオ、イリス、メイファ、アーニャの五人だ。
海神様のすみかである海食洞を出てから、かなりの時間こうして海の上にいる。
出立したのが夕食どきを少し過ぎた頃のはずだから、半日ほども海神様の背中に乗っかっていることになる。
すでにだいぶ沖まで出ているはずだ。
後ろを振り返ったところで、とっくの昔に陸地が見えないぐらいには大海原の真っただ中である。
「ふあ~……」
そんな明け方の海の上で、俺は大きくあくびをしてしまう。
昨晩はちょっと仮眠をした程度で、ほとんど寝ていない。
海神様に乗せてもらっているのに、全員寝てしまうのはさすがに図々しすぎると思ったこともあるし、いつ海洋モンスターに襲われないとも限らないから警戒は必要だというのもある。
ちなみに子供たちはみな、俺に寄り掛かるようにしてすぅすぅと寝息を立てている。
海神様の背中はごつごつとしていて、眠るには適さないので仕方がない。
ちなみにアーニャは最初、頑張って起きていようとしていたが、さすがに夜も遅くなってくるとうつらうつらしてきて、俺が「気にせず寝ろ」と何度か言うと、最後にはほかの三人と一緒に眠ってしまった。
美少女たちに水着姿で四方からへばりつかれるのも、そろそろ慣れた。
人間、何にでも慣れるものだ。
ただまあ、仮眠をとったとはいえ、さすがに俺も眠くなってきた。
子供たちが起きたら、俺もある程度まとまった睡眠時間をもらおう。
そんなことを思っていたとき、海神様がのんびりとした声を上げる。
『魚人族をよく見かける海域は、そろそろであるな~』
なるほど、どうやら俺の睡眠時間はなさそうだ。
失敗したかなとも思うが、まあ眠いといっても、その気になれば戦闘に支障が出るほどではない。
それでもダメなら、自前で【覚醒】の魔法でもかければシャキッとするだろう。
俺は子供たちを起こしにかかる。
リオなどは目を覚ますなり、妙に色っぽい声をあげて俺にしなだれかかってきたりしたが、ぽかりと軽く拳骨を落としてやると、ぺろっと舌を出していたずらっ子の顔を見せてくる。
相変わらずクッソ可愛いのはいいのだが、見事な子供体形のメイファならともかくリオにまでそんな動きをされると、眠気に侵食された俺の理性が吹き飛びそうになるので本当にやめてほしい。
一方でイリスは、目を覚ますなり俺のことを気遣ってくる。
「えっ……先生ひょっとして、ずっと寝てないんですか……?」
「いや、軽く仮眠は取ったよ。少し眠いが、戦闘に支障があるほどじゃないさ」
「そんな、ダメです! 先生もちゃんとお休みになってください! 周囲の警戒は、私たちがちゃんとやりますから」
「いや、でもな……」
「ダメです、寝てください!」
イリスが珍しく、頑として譲らなかった。
そしてイリスは姿勢を変えて正座をすると、頬を染めながら、ぽんぽんと自分の膝を叩いてみせてくる。
「え、イリス、それは……なに?」
「膝枕です。先生には、少しでも快適にお休みになっていただかないといけません」
「……冗談だろ?」
「どうしてです? それとも、その……先生は、私なんかの膝枕じゃ、いやですか……?」
イリスが少し泣きそうな顔で、俺の顔色を窺ってくる。
いやいやいや、もちろん嫌なわけがないのだが……。
ていうか、イリスがいま身に着けているのは例の白スクール水着だけなので、その格好で膝枕というのは──
いや、何がどうというわけではないのだが、やんわりと危険が危ない気がする。
だがそうして俺が戸惑っていると、やがてイリスが瞳に涙を溜めはじめた。
「うっ……先生、私の膝枕は、嫌なんですね……? そうですよね、私なんかが先生を支えようなんて、おこがましいですよね……ぐすっ」
「い、いやあの、イリス……? そういうわけじゃなくてだな……」
しかも泣きべそをかいたイリスのもとに、リオとメイファの二人が寄り添って俺を糾弾してくる。
「兄ちゃん、イリスのこと泣かすなよー」
「……お兄さん、ひどい。……お兄さんは、イリスの気持ちなんて、どうでもいいんだ」
ちょっ、ちょっと待て。
なんだお前らその、いつになく息のあった連携攻撃は。
さすがにこうなったら、俺も観念するしかない。
「ああもう、分かった分かった。イリスの膝枕で寝ればいいんだろ?」
俺が白旗を上げると、リオとメイファは「イェーイ!」と言ってハイタッチをした。
お前らなぁ……。
だがまあ、俺のことを心配してくれているのは確かなんだろう。
せっかくだから少し寝かせてもらうか。
「じゃあイリス、ちょっと膝借りるな。あとしんどくなったらすぐに言えよ?」
「全然へっちゃらです。先生に鍛えられてますから。どうぞお気の召すままに私をお使いください」
「お、おう」
俺はイリスの言い草にどこかしら危うさを感じつつも、イリスの膝に頭を乗せて横たわる。
枕代わりにしたイリスの膝は、ぷにっとした柔らかさと包容力を備えており、どこか母性を感じさせる心地よさがあった。
ちなみに海神様はとても大きく、甲羅だけでも小さな船ぐらいの広さがあるので、横になるぐらいはまったく問題がない。
「先生、ゆっくりお休みください」
イリスがその手で、俺の髪を優しくなでてくる。
それがどうにも気持ちよくて、そのせいもあってか、一気に眠気が襲い掛かってきた。
「何かあったら……すぐに起こしてくれ……イリス……」
「はい、先生。おやすみなさい」
俺はそうして、ゆっくりとまぶたを閉じた。
***
「……先生……先生、起きてください……先生……!」
「ん……」
どれぐらい眠っていたのだろう。
俺はイリスの声で目を覚ます。
「今、何時だ……?」
日の上り具合を見るに、朝食どきぐらいの時刻のようだ。
三時間ほど、ぐっすりと眠ってしまったらしい。
ざざーん、ざざーんという波の音に、どこか遠くの方から、カキン、ガキンという武器が打ち合わされる音が重なって聞こえてくる。
俺はそれで、慌てて身を起こした。
頭を振って周囲を見回す。
俺の周囲の状況は大きく変わっていなかったのを確認して、ホッと安堵する。
俺だけでなく、リオ、イリス、メイファ、アーニャとも海神様の背の上にいるし、すぐ近くに敵がいるというようなこともない。
だが──
「兄ちゃん、あれ……!」
リオが指さした方角を見る。
その先には、一隻の中型船の姿があった。
あの大きさなら、乗組員は二十人から三十人ぐらいだろうか。
船側には大型の弩が複数搭載されているし、あの構造なら船首に衝角も付いていそうだ。
どこかの国の軍船か……?
いや、そうだとするなら、単独でこんな海域を航行していることには不自然さを感じる。
となると海賊船だとか、そういう手合いだろうか。
ただ、その船が俺たちを攻撃してきているというわけでもなかった。
むしろ攻撃されているのは、その船であるように見える。
船を攻撃しているのは、サハギンの群れだ。
数十体という群れで海から船を攻めるサハギンたちは、数にモノを言わせて船へ、そして甲板へと取りつき、船上にいる人間たちと戦いを始めている様子だ。
船上の人間たちの中には勇者もいるのか、サハギンどもの攻勢にもそれなりに対抗できてはいるようだが、それでも苦戦の色のほうが濃厚であるように見える。
「兄ちゃん、どうしよう……?」
「……こっちから首を突っ込まなければ、スルーはできそう。……でも」
リオとメイファが、俺に判断を求めてくる。
俺はその二人を含め、全員を見回して伝える。
「あの船を助けにいくぞ。──海神様、すみませんが、あの船に近付いてもらうことはできますか」
『承知した』
海神様は俺の要請に応え、船のほうへと向かって移動を始めた。
状況はよく分からないが、片や邪悪なサハギン族、片や人間の船だ。
それに俺たちは、サハギンどものアジトを探してここまで来たのだから、あのサハギンどもは重要な手掛かりともなりうる。
俺は子供たちに戦闘準備を指示し、自らも愛剣を手に取った。




