第132話
活動報告で残念な報告をしております。
夜の帳が下りた海辺を、【光】の魔法による灯りが照らし出す。
魚人族にさらわれた村の娘たちを救い出すため、俺たちは村の勇者アーニャのあとについて、海岸沿いの険しい道を進んでいた。
すぐ左手は見上げるような断崖絶壁、右手は海という道なき道を、岩から岩へと跳んだり、岩壁をクライミングしたりしながらどうにか進んでいく。
勇者の運動神経がないと、とてもではないがついていけない道のりだ。
俺はもちろん、うちの子たちも危なげはないが、足元はごつごつとした岩場なので少しでも足を滑らせたら危険なのも確かだ。
俺は、妙に甘えてくるイリスの手を取って支えたりしながら、慎重に足を進めていく。
ちなみに格好はというと、全員が再びの水着姿だ。
ここから先は、海洋やその付近での冒険が予想される。
着衣状態で海に落ちると危険だし体力も消耗するので、全員が水着に着替えたうえで、ひと通りの荷物は村に置いてきていた。
なおそれぞれが武器は持ってきているし、リオ、イリス、メイファの三人に関しては首飾り式の防具も身につけてはいる。
三人の防具は、職人都市ラヴィルトンに住むエルフの武具職人リゼルから贈られたもので、合言葉を唱えると瞬時に強化繊維製の防具を身に着けられるという優れものだ。
ちなみに今のメンバーはというと、アーニャ、俺、リオ、イリス、メイファの五人へと減っている。
というのも、村の防衛役としてある程度の戦力を残しておく必要があったからだ。
アーニャとともに洞窟を訪れてエドアルトらと合流したあの後、村人たちは普段の生活を取り戻すために村へと戻った。
村の周辺もある程度見て回って、サハギンどもはおそらくすでに立ち去ったのだろうという判断のもとでの帰還だったが、それでも彼らが再び襲われないとも限らない。
いろいろな要素を検討した結果、エドアルトとセシリア、それにアルマが村に残ることになった。
エドアルトは片腕を失っているが、セシリアがいれば村の防衛戦力としては十分だろう。
また重装甲が売りのセシリアは、水着姿では戦力が半減してしまうため、その点でも村の防衛役のほうが適していると判断された。
ちなみにアルマはというと、メガネが海には向かないという理由である。
あいつはメガネがないと視力がいまいちで、勇者としてはあまり戦力にならなくなってしまう。
というわけで、防御に三人を残して、攻めに出るのは俺と子供たちで合計五人ということになった。
子供たちばかりというと頼りないようだが、実質的な総合戦力で言えば、平均的な魔王ハンターの五人パーティよりもはるかに上である。
そんな俺たちが今、この海岸沿いの険しい道を進んでいるのは、とある生き物に会いにいくためだ。
リオが岩から岩へと軽快に跳び移りながら、前を進むアーニャへと声をかける。
「なあアーニャ、その『海神様』っていうの、何者なんだ? これからそいつに会いにいくんだろ?」
するとアーニャは一度、比較的平らな大岩で足を止め、振り返って答える。
「実際に会ってみれば分かるよ、リオ。すごく大きいんだから。でも少し気難しいから、あまり失礼なことは言わないように気をつけて」
「それだけじゃ何だか分かんねぇし。まぁいいけどさ。会えば分かるってのはそうだろうし」
リオはそう言って、再び進み始めたアーニャのあとを追っていく。
俺もまた、イリスやメイファの様子を気にしながら、そのあとをついていった。
さらわれた娘たちを救い出すにしても、サハギンどもの本拠地がどこにあるかが分からないというのがネックになった。
そんなときに出てきたのが、「ひょっとすると『海神様』なら知っているんじゃないか?」という村人の言葉だ。
ならばということで、俺たちはアーニャの案内で、その「海神様」のもとへと向かうことにしたのだ。
そうして険しい道のりを進んでいくと、やがて、海沿いの切り立った岩壁に、巨大な海食洞がぽっかりと穴をあけているところへとたどり着いた。
「この洞窟の奥に、海神様が棲んでいるの。ついてきて」
アーニャはぴょんぴょんと岩を跳び継いで、海水の入り込む洞窟の片端、人がギリギリ歩けるほどの細い岩棚へと跳び移ると、俺たちに目配せをしつつ洞窟の奥へと進んでいく。
俺たちもまた、そのあとをついていった。
俺は洞窟を進んでいくごとに、奥に何か巨大な生き物がいるであろう気配を肌で感じ取っていく。
この感じは、ドラゴンの洞窟に踏み込んだときとよく似ている。
しばらく進んでいくと、海食洞はやがて行き止まりに到着した。
行き止まりといっても、洞窟に流れ込む海水の幅はちょっとした大河ぐらいはあるし、天井までの高さも俺の身長の三倍ほどもあるので、かなりの大空洞なのだが。
それにしても、見たところはただの行き止まりで、「海神様」なるものの姿は見当たらないのだが──
何もいないか、というと、そんなことはないと思う。
どこか近くに、巨大な何かがいるような気配を確かに感じる。
「おーい、海神様ーっ! こんばんはーっ!」
その行き止まりで、アーニャが叫ぶ。
声を向けている先は、だだっ広い海食洞の大部分を占める、真っ暗な海だ。
すると──
──ズモモモモモッ!
俺たちの目の前にあった海の海水が盛り上がり、やがて水しぶきをまき散らしながら、海の中から巨大な生き物が姿を現した。
大きな平屋ほどの図体を持つ生き物は、その大口を開けて、洞窟中に反響する地響きのような声を発してくる。
『おお~、ドゥブナ村の友がひとり、若き人間の勇者アーニャではないか。よく来たな。エドアルトは元気かね?』
「はい、海神様! でもお師匠は今、大怪我を負って……今日は海神様に、教えてほしいことがあって来たんです」
アーニャは巨大な生き物に向かって、元気に返事をする。
一方でその生き物は『そうか~』などと、のんびりとした口調で言葉を返していた。
その巨大な生き物の姿は、一言で言い表すなら「巨大な亀」だ。
岩のように固そうな肌は灰黒色と深海のエメラルド色を混ぜ合わせたような色合いで、それ以上に固そうな甲羅は岩山のようにトゲ張っている。
大口にずらりと並ぶ牙の数々は頑丈そうかつ鋭く尖っており、あれに噛み砕かれれば並みの金属甲冑など鉄クズほどの意味も持たないだろう。
──ドラゴンタートル。
勇者学院のモンスター学の教科書にも、S級の力を持った超強力モンスターとして記載されている、恐るべき生き物だ。
「ドラゴン」いうのは名称だけで、実際は竜族ではないのだが、その巨大さと長寿ぶり、それに戦闘力は本物のドラゴンにも劣らないという怪物である。
「すっげぇ……でけぇ……! ラヴィルトンで会ったドラゴンよりでかいかも……!」
「せ、先生……すごく、大きいです……」
「……しかも、硬そう。……闇の中で【光】の灯りに照らされて、立派に黒光りしている」
子供たちが率直な感想を口にする。
……いや、本当に率直な感想なのかどうか、特にメイファあたりはあやしい気はするが。
ともあれ、アーニャが言っていた「海神様」というのは、このドラゴンタートルのことで間違いなさそうだ。
さほど文明的でない村落では、ある種の荘厳なモンスターを神のように崇める文化は、決して珍しいものではない。
もっともアーニャとのやり取りを見ている感じ、そこまで厳格で堅苦しいものではなさそうだが。
村の者たちとは友好関係にある間柄で、「海神様」というのは愛称程度のものなのかもしれない。
その海神様は、次にはぐぐぐっとその顔を俺と三人の教え子たちのほうへと向けてくると、そのまぶたをすぅと細める。
『お前たちは、我のもとを訪れるのは初めてだな。アーニャの友であるか?』
地の底から響くような声を直接向けられて、びりびりと肌に緊張感が走る。
だがその様子に敵意はないと感じた。
俺はドラゴンタートル──海神様に向かって返事をする。
「ええ。俺たちはアーニャの、そして彼女の村の村人たちの隣人として、彼女らに手を貸す者です。アーニャの村がサハギン──魚人族の群れに襲われ、村の娘たちがさらわれました。海神様ならば魚人族のアジトを知っているのではないかとの話を聞き、あなたのもとを訪れたのです」
『……なるほど。我が友らと、魚人族との間の争い事か。そして確かに、この近くの海で我が知らぬことはあまりない。魚人どもをよく見かける海域にも、心当たりはある。……魚人どもは我に歯向かうことは滅多にないが、我らが海の秩序をいたずらに乱す、好ましからぬ連中でもあるな』
そう言って海神様は、一度口を閉じる。
表情からは分からないが、何かを考えているのかもしれない。
リオとイリスが緊張して、ごくりと唾をのむ。
一方でメイファは、俺の海水パンツの裾をくいくいと引っ張って、海神様を指さしてこんなことを言ってきた。
「……お兄さん、ボクはあの背中に乗ってみたい。……海神様、なかなか格好いい」
さすがメイファである。
怖いもの知らずとはこのことだ。
それが聞こえたのか、海神様がぴくりと反応する。
アーニャによると、海神様は気難しいから言葉には気を付けろとのことだった。
これはひょっとしてまずいか、などと思っていると──
『ワハハハハッ! 娘、我の背中に乗りたいと言うか! 面白いことを言う!』
びりびりと大気を震わせ、洞窟が揺れるような声で笑うドラゴンタートル。
アーニャは手で耳をふさいで膝をつき、リオは圧に耐えるように踏ん張り、イリスは震える手でぎゅっと俺の腕に抱きついてくる。
だがメイファは、最初こそびくりと震えたものの、そのあとにはいつもの泰然自若な様子に戻って、海神様に向かって返事をする。
「……うん。……海神様、格好いい。ボクは乗ってみたい。……ダメ?」
このメイファの言葉に、海神様は再び大声で笑う。
『ワハハハハッ! いいだろう。我もお前たちに、魚人族がたむろしている場所をどう伝えようかと思案していたところだ。この大いなる海のいずこにあるか、言葉で説明するのも面倒だ。お前たちを我が背に乗せて連れていってやろう』
「……おーっ! ……海神様、太っ腹」
『そうだろう、そうだろう。ワハハハハッ!』
なんと、そんな調子で海神様が上機嫌になり、俺たちをサハギンどもの居場所まで連れていってくれることになってしまった。
メイファの交渉術、おそるべしである。
いや、ただの天然だとは思うが。
「……海神様、しゅっぱーつ」
『ワハハハハッ! 出発である!』
そんなわけで俺たちは、メイファを先頭に海神様の背に乗り、海食洞から夜の海へと出立したのであった。




