第122話
とある海辺の小さな村。
都市部の文明などとは縁遠い、素朴な生活を営むその辺境の漁村の一角には、ひとりの戦士とその弟子が暮らしていた。
戦士は筋骨隆々とした、たくましい男。
そろそろ中年に差し掛かろうという歳ではあるが、その褐色に日焼けした肉体は、未だいささかの衰えも見えはしない。
弟子は先日、十五歳で成人を迎えたばかりの少女。
師と同様に日焼けした褐色の肌を持つが、その肉体はまだ十分に鍛え上げられているとは言えない華奢なものだ。
戦士と弟子は、ともに勇者である。
常人離れした身体能力や、魔法を操る能力をもつ、生まれながらにして選ばれた者たちだ。
だが勇者として生まれた者も、未熟であれば、村を襲う魔物にもたやすく敗北してしまう。
だからこの村では、勇者として頭角を現す者がいれば、歴代の勇者である村の戦士に預けられ鍛えられるのが習わしであった。
弟子の少女はそれでなくても、すでに両親を病で失っている。
幼い頃には姉もいたというが、それも少女が物心つく前に水難事故で行方不明となり、弟子の少女は今や、戦士がいなければ天涯孤独の身だ。
数年前に先代の戦士が寿命によって他界した後は、この村を外敵から守れる勇者は、この二人だけとなった。
弟子の少女は、年齢こそ成人に至ったものの、戦士としてはまだまだ半人前。
これから様々な経験を経て一人前に成長していこうという、そんな矢先のことだった。
「モンスターだーっ!」
「魚人族の群れが襲って来たぞーっ!」
ある夏の日のことだ。
海から突如現れた魚人族の群れによって、村は大混乱に陥った。
村人たちが逃げ惑う中、戦士は弟子を連れて魚人たちのもとへと向かう。
「みな速やかに避難しろ! 若いやつらは、年かさの者の避難を支えてやれ! ここは俺たちが食い止める! ──アーニャ、なるべく俺から離れるなよ」
「はい、お師匠」
村人たちを逃がすため、戦士と弟子の少女は村にとどまって、襲い来る魚人族の群れの前に立った。
だが彼らの前に立ちふさがる魚人の数は、ゆうに数十を数える。
魚人族の群れを指揮する四本腕の魚人が、その顔を歪めて笑う。
「ゲッゲッゲ、村を守る勇者か。たった二人で勇ましいことだ。──お前たち、かかれ!」
「「「ゲヒャヒャアーッ!」」」
三つ又の槍を手にした魚人たちが、まずは三体まとめて、戦士に向かって一斉に襲い掛かる。
だが──
「侮るな──【ブランディッシュ】!」
「「「ゲギャアアアアッ!」」」
戦士が構えていた戦斧を一閃、大きく薙ぎ払うと、襲いかかった三体がまとめて吹き飛んだ。
吹き飛ばされた三体は、いずれも胸部を大きく断ち切られ、地面に倒れて動かなくなる。
「さすがお師匠!」
弟子の少女は、そんな戦士の活躍を見て目を輝かせる。
だが戦士の方は、まったく楽観していない。
「おだてている余裕があったらお前も構えろ、アーニャ。俺一人で支えるには限界がある」
「はい、お師匠!」
弟子の少女もまた、手にしていた槍を構える。
その少女の瞳に宿るのは、自分の師である戦士に対する、絶大な信頼。
一方で、対する四本腕の魚人は、その顔を苛立ちの表情で歪める。
「グギギ……調子に乗るなよ、人間の勇者ごときが……! こうなれば俺様自らが、貴様の相手をしてくれる!」
「ああ。来るがいい、魚人族の指揮官よ」
「ギィイッ、何をしている! お前たちも一斉にかかれ! あの女のガキは生け捕りだぞ! 分かっているな!」
「「「ゲヒャヒャアーッ!」」」
四本腕の魚人も含め、数十体の魚人族が一斉に襲い掛かってきた。
対するは、戦士と弟子の少女の二人だけ。
戦士と四本腕の魚人が切り結ぶ。
別の魚人たちも、両者の激しい戦いの隙を突いて、三つ又槍を戦士に向かって突き出していくが、戦士はそれを的確に捌いていく。
一方で弟子の少女も、数体の魚人と渡り合うことになる。
彼女も半人前とはいえ、次代を担う勇者の卵だ。
一般の魚人程度が相手なら、数体を同時に相手にしてもそう易々とは負けない。
むしろ奔放な身のこなしで槍を振るい、あるいは初級の攻撃魔法を放ち、一体、また一体と魚人たちを撃ち倒していった。
そして戦士もまた、四本腕の魚人とその他大勢の魚人たちを相手にしながら、十分に渡り合うことができていた。
一進一退の攻防。
戦士や少女が中小の傷を一つ負うのと引き換えに、二体、三体といった数の魚人たちが倒れていく。
全部で二十体近くの魚人が地面に倒れ伏したところで、戦士と弟子の少女とが背中合わせに立った。
彼らの周囲を取り囲むのは、いまだ半数も減っていない魚人族の群れ。
「ふぅ……なかなか厳しいな。だがあと数分も持ちこたえればいい。村人の避難が完了した頃合いを見計らって、俺たちも撤退するぞ。もうひと踏ん張りだ、アーニャ」
「はぁっ、はぁっ……は、はい、お師匠! ちょっとだけしんどいけど、頑張ります!」
「その意気だ」
一方で四本腕の魚人は、額に青筋を浮かべて苛立っていた。
そいつの四本あった腕の一本は、すでに戦士の斧の一撃を受け、だらりと垂れさがっている。
「グギギギッ……! おのれ、おのれ、おのれぇえええっ! たった二人の勇者ごときが、調子に乗りおって……! これでは我が主に命じられた任務が達成できんではないか! だいたい兄者たちは何を──」
──と、そのときだった。
ヒュルルルル、と、遠くの方から一本の槍が飛んできた。
その槍は、弟子の少女の胴を貫く軌道で飛来する。
少女がそれに気付いたときにはすでに遅く、回避は間に合わずに──
「──アーニャ!」
戦士が弟子の少女をとっさに突き飛ばした。
少女はそれで、一命をとりとめる。
だが彼女を突き飛ばした戦士の二の腕に、その槍がぐさりと突き刺さり、貫いた。
「ぐぅっ……!」
「お、お師匠っ!」
尻餅をついたまま、悲鳴のような叫び声をあげる弟子の少女。
一方で戦士は、額に脂汗を浮かべながら、自らの片腕を貫いた槍を引き抜く。
そして自ら、治癒魔法を施していく。
そんな中、槍が飛んできた方向から、別のモンスターたちが悠然とやってきた。
「ゲヒャヒャヒャッ! 弟者、てこずっているみたいだなぁ」
「ゲヒヒッ、人間の村一つぐらいさっさと制圧してこいよ、このノロマめ」
現れたのは、別の四本腕の魚人族が二体と、その背後に付き従う百ほどもいるのではないかという数の魚人たち。
「やっと来たか、兄者たち! 違うんだよ、この村の勇者、意外と手ごわくてよぉ」
群れが合流すれば、四本腕の魚人族が三体と、百を超える魚人たちだ。
それを見た戦士は、ふぅと一つ、息をつく。
ついで、自らの手の指から一個の指輪を外し、それを弟子に向かって差し出した。
「……アーニャ。これを持って、今すぐ逃げろ。やつらの手の届かないどこかにだ」
「お師匠! な、なんで──私も一緒に戦います! 半人前でも私も戦士です! 死ぬときは──」
「──いいから早く逃げろ! お前がいると足手まといだと言っているんだ!」
ビリビリと、空気を震わすような怒声。
弟子の少女は、ぐっと涙ぐむ。
「……ッ! ──わ、分かりました! お師匠も、足手まといの私がいなくなったら、絶対に勝ってくださいよ!」
「──ああ、任せておけ。俺を誰だと思っている。さぁ行け、アーニャ」
戦士は弟子の少女の背中を叩き、勢いをつけてやる。
弟子の少女は瞳一杯に涙を溜めて、その場から駆け出した。
背後から、「追え、逃がすな!」「若い女は生け捕りにして連れてこい! 我らが主の命令だぞ!」などという魚人たちの声がして、群れのうちの幾ばくかの魚人がアーニャを追いかけてきた。
逃走のさなか、アーニャがわずかに背後を見ると、追いかけてきた魚人のうちの一体が悲鳴をあげて倒れたのが分かった。
その魚人の頭部には手斧が突き立っており、師匠が援護をしてくれたのだと分かった。
(くっ……! 私が……私が不甲斐ないから、お師匠が……!)
弟子の少女──アーニャは一目散に走った。
だがその途中、背後から何本もの槍が飛んできて、そのうちの一本がアーニャの右脚のふくらはぎを貫通した。
「あぐぅっ……!」
思わず転倒し、地面を転がるアーニャ。
痛みに耐えて槍を引き抜いた頃には、走力の差で引き離していた魚人たちが、すぐ近くまで来ていた。
治癒魔法をかけている暇はない。
アーニャは片足を引きずりながらも、どうにか逃走を再開する。
ついに追いつかれたときには、アーニャは文字通りの崖っぷちにいた。
背後にあるのは、足を踏み外せば真っ逆さまの断崖絶壁。
前方から迫るのは、十体をゆうに上回る魚人たちの群れだ。
「ゲッゲッゲ……さあ、観念しろ娘。おとなしく捕まれば、痛い目を見ずに済むぞ」
「くっ……!」
もう他に逃げ場はない。
アーニャは意を決して、崖の向こうへと飛び出した。
その下にあるのは、ごつごつとした岩礁だらけの海。
イチかバチかの飛び込みだった。
──ドポォンッ!
水しぶきを上げて、少女の体は崖下の海中へと沈んだ。
「グギギッ、命知らずな娘め……! 追うぞ、絶対に逃がすな!」
魚人たちは、崖下へと回り込んで、海中の捜索を始める──
──これは、勇者学院の教師ブレットとその教え子たちが遭遇する、新たなる冒険の序章であった。




