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聖女の奇跡


 エレノアは天に空いた黒い穴から落ちてくる魔獣を見て目を細めた。


 オースティンの指示通りに、エレノアもジェイダも浄化する祈りを捧げるのをやめていた。昨日までは変な色の空をしていたが、魔獣は落ちていなかった。今朝になって、穢れが集まったかのような黒い穴が空に現れ、そこからぽつりぽつりと小さいものが落ち始めた。昼になるまでにははっきりと姿がわかるほどになっていた。


 一つではなく徐々に増えていく空の穴。

 淀んだ空に空いたいくつもの黒い穴はとても異様で、そこからぽとりぽとりと落ちてくる魔獣。


 魔獣は落ちてきても、強力に張られた結界に触れて霧散する。だからまだ被害は出ていない。結界に触れただけで消えるような魔獣はまだ弱いのだ。数日後になれば、この程度で消えなくなる。


 絶妙と言えば絶妙だ。


「流石、大神官様。すごいです」


 そんなことをジェイダが呟く。エレノアは隣に立つ少女へと目を向けた。


「穢れが溜まるとこんな風になるのね。言葉と実際に見るのでは全く違うわ」

「わたしが小さい頃はまだ辺境には魔獣がいたから見覚えがあるけど、こんな風に空から落ちてくるのを見たのは初めてよ」

「ふうん。じゃあ、この光景を見るのは王都に住む人々も初めてなのね」


 混乱しそう、と他人事のようにジェイダが感想を言う。


「忙しくなりそう。恐らく一緒に祈りを捧げることになるから、準備をしましょう」

「10日も休んだから体調はすごくいいです!」

「ふふ、頼もしいわ」


 エレノアとジェイダは白と金を基調にした聖女の正装に身を包み、儀式の場となる広間へと出る。すでに神官と護衛達が待ち構えており、一段高いところではつめかけた人々の姿が見えた。


「こんなにも人が押しかけてくるなんて」


 ジェイダが目を丸くした。エレノアはこれはやり過ぎだったのではないかと、ちらりと儀式の場の隅にいるオースティンに目を向けた。彼はエレノアの視線に気がつくと、ほんのわずかだけ口の端を持ち上げた。


 その表情でこれは想定内なのだと理解した。それならば酷いことにはならないはずだ。エレノアはジェイダを促して、儀式の場の中央に立つ。


「皆さま。この度の現象は8人いるべき聖女が7人であることで引き起こされております。それぞれの神殿でこの現象は確認され、本日、時間を合わせて祈りを捧げることになりました」


 淡々と、それでいて心に響くように語り掛けていく。一人一人の顔を見る気持ちで目を向けた。


「皆さまには聖女の力を発揮できるよう、祈りを一緒に捧げてほしいのです」


 浄化の祈りを捧げようとしたとき――。


「この穢れ、聖女の資格を持つカイリーが浄化する」


 予想通りと言えば予想通りだが、このタイミングはないだろうと思っていただけに、エレノアはぽかんとした。

 そろりと指示を仰ごうと、視線でオースティンを探した。これはどうしたらいいのかと判断に迷う。ジェイダも戸惑ったような顔をエレノアに向けていた。

 オースティンはすぐさま儀式の場の端から中央へと移動してくる。彼はエレノアとジェイダの前に立つと、穏やかな表情でこの場に勝手に入ってきたトリスタンとカイリーを見据えた。


「ここは神殿。カイリー王女には聖女の資質はない。今から儀式が始まる。今すぐに立ち退くように」

「どうかお願いします。聖女の力は指輪をすることで発揮できると聞きました。エレノア様が力を発揮できるのはその指輪があるからだわ。わたくしも指輪さえあれば、もっと力を発揮することができる」


 エレノアは頭が痛くなってきた。オースティンが言葉にする前に、エレノアは前に出ようとしたが押しとどめるような視線を向けられて止まる。

 カイリーはオースティンの表情を見ていないのか、訴えるかのように続けた。


「力不足で今の状況になっているのは聖女としての力が衰えているのだわ。わたくしに聖女の力が集まっているためだと思うの」


 謎理論を聞いて、エレノアは眩暈がした。オースティンが徹底的に叩きたいと願ったから作られた状況がカイリーの思考をおかしくしたようだ。気分が高揚しても仕方がない気がする。


 見たことのない現実を払う新しい聖女。

 酔うには十分な状況だ。


「カイリーも聖女の資格を持つ者。特に問題はないであろう」

「何か勘違いしているようだ。聖女の指輪は祈りが足らない時に補助する物。この指輪の力に頼るということは代償が発生する」


 オースティンは静かに正しいことを告げた。理解していないのか、カイリーはぐっと顔を上げて、毅然とした態度でオースティンに対峙する。


「このまま放っておくことはできないわ。国は違いますが、わたくしがその役目を受けます。もちろん、必要ならばいくらでも代償を払うつもりです」


 カイリーは一度言葉を切ると、驚いている王太子にそっと寄り添った。


「わたくしは確かに隣国の王女で他国の聖女候補だわ。でも貴方のためなら、この国の聖女になっても構わないの」

「カイリー……」


 二人は見つめ合う。王太子はしばらく沈黙していたが、一つ息を吐いた。


「大神官殿。今すぐ彼女に聖女認定を」

「……代償は計り知れない」

「承知の上よ。さあ、指輪を」


 オースティンはしばらく手を差し出してくるカイリーを見つめていたが、最後には諦めたのか肩を竦めた。

 これからの未来を想像して恋人たちは喜びに顔を輝かせる。だから見落としたのだ。オースティンの口元がわずかに歪んだのを。


 オースティンは唖然として声も出ないエレノアの指から聖女の指輪を引き抜いた。本当に大丈夫かとエレノアは言い知れぬ不安を感じた。ジェイダは引きつった顔をして、エレノアの手をぎゅっと握りしめた。


「本当に大丈夫なの?」

「最悪な場合は二人が祈りを捧げてくれ」


 そう言われれば、控えているしかなく、二人は儀式の場の中央から邪魔にならないよう移動した。


 大神官の名のもとにカイリーを仮聖女として任命した。指輪がカイリーを主と認めたのか、一瞬強く輝いた。その輝きに、トリスタンとカイリーがほっとした顔をする。強気なことを述べながらも、認められるか心配していたようだ。


 集まった群衆をバルコニーから見下ろしながら、二人は手を振った。


「皆の者。これから新しい聖女が神に祈りを捧げ、今ここに神の奇跡を顕現する。その奇跡を以てカイリー王女が私の婚約者となる」


 そんな宣言で始まった。トリスタンに寄り添うように立っていたカイリーは彼の手をほどき、一歩前に出る。


 両手を胸の前に組み、祈りをささげた。


 彼女の祈りに合わせて、光が天から差し込む。次第に強くなる光に、集まった人たちは息をのんだ。


「どうか、この地に言祝ぎを……」


 そんな彼女の声が聞こえた。

 光の渦は聖女を中心に大きく広がり、あたりを包み込む。あまりの眩しさにその場に立ち会っていた人たちは目を瞑る。


 ぐわんという腹の底から響き渡る音を感じた。

 同時に清浄な空気が辺りを満たした。


「これは……!」


 空にいくつもあった黒い穴に光が吸い込まれ、ふっと消えた。恐ろしい様相だった空がすっかり元に戻り、美しい青を取り戻す。


「聖女様、万歳!」

「聖女様、ありがとうございます!」


 群衆は歓声を上げた。どよめくような声は次から次へと伝播して大きなうねりとなる。

 天に注いでいた光が徐々に弱くなっていった。奇跡の光がふっと消える。


 ぐらりとカイリーの体が揺らいだ。


「カイリー! 大丈夫か?!」


 力を使い果たしたカイリーにトリスタンが駆け寄る。ぐらついた体を危げなく支える。


「う……」


 王太子が彼女の顔を覗き込んで固まった。


「か、カイリー、なのか?」


 トリスタンの様子がおかしいことに群衆も気がついた。一斉に奇跡を起こした聖女へと視線が向かう。カイリーはよろめきながらも、群衆に応えようと顔を上げた。


 カイリーを称える歓声は上がらなかった。不自然なほど静まり返っていた。彼女は不愉快そうに眉を顰めた。


「どうしたの? わたくしを称える声が聞こえないわ」

「嘘だろう? 何でそんな姿に……」


 トリスタンの呟きに、カイリーはようやく異変に気がついた。自分の手を見て、悲鳴を上げる。


「何よ! これは一体どうなっているの!」

「神の奇跡への代償が若さだったようだ。このような自己犠牲をしてまで、国を、民を守ろうとしてくださったことに最上級の感謝を」


 オースティンはそう言って頭を下げた。群衆たちもそれに倣い、感謝と畏怖の念を込めて頭を下げる。


「は? 若さが代償?」


 信じられなくて、カイリーは放心した。だがすぐに、近くに控えている侍女に鏡を持ってくるようにと指示を出した。狼狽えながらも侍女は手鏡をカイリーに渡す。


 震える手で鏡を支え、そっと覗き込んだ。信じられずに目を大きく見開いた。


 張りのない皴だらけの顔。

 落ちくぼんだ目。

 真っ白になったパサつく髪。

 


 カイリーの手から力が抜け、鏡が床に転がる。


「こんな……こんなの嘘よ! いやあああああああ」


 彼女の指にはまった聖女の指輪を抜き取って、床に投げつけた。


「戻して! わたくしを元に戻して!」

「カイリー!」


 泣きわめく彼女をトリスタンが強く抱きしめる。

 それでも彼女の嘆きは止まらない。


「こんなことを望んだわけじゃなかったの! わたくしは聖女として尊敬されて王太子妃になりたかっただけなの! こんな姿になるなら望まなかった――」


 いつまでも彼女の悲痛な叫びが響き渡った。



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