隣国の王女
王城で開かれた夜会は沢山の人でにぎわっていた。女性は華やかなドレスで身を包み、笑顔でそれぞれ興じている。
空を見上げれば、夜の空に漂う赤紫の靄がある。その異常をみることができない人たちの目には美しい夜空が広がっているのだろうか。
エレノアはオースティンにエスコートされて歩いていた。今日はオースティンが見立ててくれたドレスで、いつもと雰囲気が違う。
「変ではありませんか?」
着なれないふんわりとした柔らかなドレスを不安気に見下ろした。普段、リーナと一緒に選ぶドレスはもう少し肌が隠れるもので、生地にも厚さがあった。
オースティンが贈ってくれたドレスは肩が大きく開き、生地は薄くて透けてしまいそうなほど軽やかなものを幾重にも重ねたものだった。
「よく似あっている。今の流行だと仕立て屋が勧めてくれたものだから、不安に思わなくても大丈夫だ」
「流行、ということは目立ってしまいますね」
あまり注目を集めたくないので、埋もれてしまうほど無難なものがよかったとエレノアは後悔する。エレノアが目立つと貴族令嬢たちからの嫌味が激しくなり、怒らせないように躱すのは非常に疲れる。
「心配はいらない。今日はずっと私が付き添うつもりだ」
「え?」
オースティンにも付き合いがあるだろうから、ずっと一緒にいるのは難しいのではないかと、眉をひそめた。オースティンはエレノアの心を読んだように低く笑った。
「もう少しでわかるよ」
何が、と聞く前に人々の声が小さくなった。不思議に思って周囲の人たちの見ている方へと目を向ける。視線の先にいたのはトリスタンと見知らぬ女性だった。
美しく結い上げられた髪は確かに銀髪であったが、少しくすんでいてグレーにみえた。この位置からは目の色まで認識できないが、聖女候補と言われるほどなのだからきっと紫に近い色なのだろう。
「あれが王女ですか?」
「そうだ。まだ婚約が破棄されていないのに不誠実だな」
オースティンが不愉快そうに鼻を鳴らした。二人はぴたりと体を寄せ合って歩き、しなだれかかるように体をトリスタンに預けたままダンスホールで踊り始める。
正直に言えば、王女と知らなければ愛人か何かなのではないかと思えるほどの親密度だ。
「でもあの方のおかげで婚約破棄できるのなら、他はどうでもいいです」
小さな声で言葉を返せば、オースティンはため息をついた。
「そこまで彼との結婚が嫌なら早く言えばいいものを――」
「だって迷惑を掛けたくない」
咎める彼にむすっとして返した。オースティンがエレノアを大切にしてくれているのと同じぐらい、エレノアもオースティンが大切だった。王家に断りを入れることがどれほど大変なことなのか、孤児だったエレノアだって知っている。
オースティンは肩を竦めた。
「神殿の役割など今も昔もこれからも変わらない。そこに多少、王家との行き違いがあっても大したことではない」
エレノアは納得できないが、それ以上は反論しなかった。
「さて、国王に挨拶をして帰るか」
「はい」
挨拶して帰るだけで婚約破棄ができるのか不安だが、今日の二人の様子を見て申し出るという事であれば帰ってもいいのだろう。この辺りの駆け引きはよくわからないから、オースティン任せだ。
オースティンのゆっくりとした歩調に合わせて玉座へと向かう。
「おお、よく参った」
国王はオースティンとエレノアを見ると笑みを浮かべた。二人で国王へと挨拶をする。
「ところで王太子殿下は?」
オースティンは知っているにもかかわらず、あえて言葉にした。
「今、親善大使として訪れている王女の接待をしている」
「そうでしたか。婚約者であるエレノアがいては気まずいでしょうから、我々はこれで」
国王はちらりと息子たちを見てから頷いた。二人の仲睦まじい様子にばつが悪いのだろう。エレノアは一言も話すことなく、オースティンに促されて足早にその場を後にした。
「少し俯いて、視線落として」
「何故?」
「傷ついている様子を見せた方が婚約破棄を進めやすい」
なるほど、と思いながら言われた通りに俯き視線を落とす。今まで何があっても顔を上げて弱みを見せないようにしてきたので、噂好きな貴族たちは食いついてくるだろう。
会場から少しだけ離れると、ほっと息をついた。オースティンは歩く速さを緩めることなく進んでいく。
「大神官殿」
聞き覚えのある声がオースティンを呼んだ。オースティンが足を止めたのでエレノアも立ち止まる。声のした方を振り返れば、トリスタンと隣国の王女が立っていた。オースティンはわずかに不愉快そうに眉を寄せた。
「何か御用ですか?」
「カイリー王女を紹介しようと探していた」
「紹介ですか?」
不要だと言わんばかりの態度にトリスタンが眼差しを険しくする。オースティンはその眼差しを受けても涼し気に微笑んだ。
「我々は神殿の人間だ。外交に関わることを禁止されている」
「そうだが」
神殿は国を守る要であるため、他国の神殿の人間以外との接触は制限されている。正式に面会することならばできるが、こうして非公式に話すことは好ましくない。
そのことをトリスタンが知らないとは思えないが、彼の要望は目を瞑れる範囲を超えていた。
「理解していると判断する。それでは失礼」
オースティンはエレノアを促して、歩き出した。
「待ってください!」
歩き出した二人の前にカイリーが飛び出してきた。王女としてはありえない行動に思わず足が止まる。
「わたくしは聖女として認められておりませんが、十分に聖女としての力を持っています」
何を言い出すのかと、オースティンとエレノアは顔を見合わせた。聖女としての力を十分に持っているからなんだというのだろう。
理解できずにいれば、カイリーの後押しをするようにトリスタンが話し始めた。エレノアが隣に立つ時とは違い、トリスタンはカイリーに熱いまなざしを向けている。カイリーも気持ちが高揚しているのか、頬を赤らめていた。
「カイリーは王族ゆえに神殿に入っていないだけだ。こちらの国で聖女と認められれば私と結婚できる」
エレノアは呆れてしまった。トリスタンの婚約者にエレノアが選ばれたのは、民衆の信仰心を集めるエレノアを妃にすることで国王になるための後ろ盾にしようとしたはずだ。
そのことを曲解して、彼の婚約者が聖女であれば問題ないと思っているようだ。他国の、実績のない王女が聖女ですと言いふらしたとしても、民が認めるわけがない。
トリスタンの言いたいことが分かったのか、オースティンは不愉快そうに眉をひそめた。
「……それでは王族籍から抜け、平民として聖女判定の儀を受ければいい」
「この髪と瞳の色がすべてだろう!」
思うように話が進まないせいか、トリスタンが声を荒げた。エレノアはその声に体をすくませた。オースティンは大きくため息をついた。
「聖女候補となった時に、髪と瞳の色が変化する。それは聖女候補としての一つの印にすぎない。聖女と判断できる奇跡を起こすことで初めて聖女候補となる」
「奇跡だと?」
「……エレノアは聖女認定の儀において騎士たちの傷を癒し、治癒が難しい怪我を治した。中には目が潰れている者もいたが、それも元に戻し奇跡を起こしている。次期聖女と目されているジェイダは穢れた土地の浄化を行い、生活に必要な綺麗な水を作り出した。先代の聖女も奇跡と呼べる出来事を示した。それを10人に認められて初めて聖女候補になる。聖女となる条件は何も色だけではない」
この基準はどの国も同じだ。聖女候補になった後が大変で、それなりに基準を設けておかなければ聖女候補として教育される方も大変であるし、教育に当たる神官も大変だ。聖女に近い色を持っているからだけでは聖女候補にはなれない。
「10人の証人を集めればいいのだな?」
「違う。10人の証人の前で奇跡を起こす必要がある」
淡々と説明しているが、次第にオースティンも面倒くさくなってきたのだろう、受け答えが雑になっている。
「わたくしはこの国で聖女になりたいのよ」
「それは難しい。どこの国も聖女を他国に渡すことなどしない。それでもどうしてもというのなら、平民になりこの国の民になって聖女認定を受けるしかない」
自国の浄化のために必要なのだから、聖女だとわかっていて他国になど出さない。それが常識なのだが、カイリーには通じなかったようだ。
トリスタンとカイリーはひどく不満そうな顔をしてオースティンを睨んでいた。エレノアはため息をこっそりとついた。
「いくら訴えられてもこればかりは神殿での共通した決まりですので変えられない。それを守れないというのなら、そもそも聖女の資格はないと言える。我々はこれで」
オースティンは対外的な笑顔で挨拶をすると、エレノアを連れてその場を立ち去った。何とも苦い思いがエレノアの胸に広がる。
「本気でこの国の聖女になりたいのかしら」
「さあ? でもあの王女は頑張っても神官程度の力しかない」
「見たの?」
「見えた」
不可抗力だと言葉を直される。聖女になりたいのならなってもらってもいいのだが、力がないのなら余計なことはしてほしくない。
エレノアは一抹の不安を抱えて空を見上げた。