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エレノアの生い立ち


 エレノアは辺境に住む孤児だった。


 両親もなく、優しい孤児院長の元、同じような境遇の子供たちと肩を寄せ合って生きていた。エレノアのように両親のいない子供たちがいて、それを不満に思ったことはない。


 小さくても役割を持っていて、体の成長の悪いエレノアの仕事は裏庭にある畑の手入れだった。もちろん耕すことはできないので、耕した後の雑草取りや水やりが主な仕事だ。


 その日も畑に水を撒くために裏にいた。いつもと変わらない日だったが、すぐさま異変が起こった。血まみれの騎士が一人の少年を抱えるようにして畑に飛び出してきたのだ。


 驚いて立ち尽くしていれば、後ろから魔物が追いかけてくる。魔物もかなり激しく攻撃を受けていたのか、全身血まみれで狂ったようになっていた。


「この方を頼む!」


 騎士はそれだけ言って、血だらけの少年をエレノアに押し付けると、すぐさま魔物に斬りかかっていった。恐ろしさに震えながら、少年を抱きしめた。


 その後の記憶はひどく曖昧だ。


 狂ったように暴れる魔物に必死に攻撃する騎士、それを見た少年が何やら叫びながら剣を片手に立ち上がって魔物に向かう。

 その時、正確に何が起きたかはわからない。


 ただ、少年の体が宙を飛んだのを庇おうとした騎士の背中がぱっくりと割れたのだけは見ていた。


 エレノアは力の限り絶叫した。

 何を思ったのかは思い出せないが、心の底から何かを願った。

 願いが沸き上がるのと同時に、体中が熱くて痛くて苦しくて。


 その後はぷつりと意識がなくなった。

 気がついた時にはすでに3日が経過しており、エレノアはとても居心地の良い部屋で眠っていた。


 そして告げられた言葉は。


 ――聖女様。


 記憶が曖昧だが、あの時の衝撃は聖女として覚醒したからだと聞いた。髪の毛もどこにでもある焦げ茶色だったのに、月の光を閉じ込めたような銀髪になり、瞳の色もどこにでもある薄い茶色が色鮮やかな紫色に変わった。


 何よりも、暖かで知らない力が体中を巡っていた。


 15歳の神官であったオースティンは数代前の聖女の血筋の子供で幼いころから神官として教育を受けていた。だからオースティンは聖女として覚醒したエレノアを迷うことなく引き取り、王都に連れて行った。


 オースティンは嫌な顔をせず、年の離れた兄のように何も知らないエレノアの面倒を見た。無知な子供に文字の読み書き、計算、それから歴史や聖女としての教養など様々なものを与えたのはオースティンだった。


 初めての勉強はとても苦痛で、逃げ出した。エレノアの一日は日の出とともに起きて、畑に出て、戻ってくる。そして次の朝を迎える。これの繰り返しだったから、体を動かしてもぼんやりしていることも多かった。


 孤児院にいた年上のお姉さんやお兄さんたちは面倒は見てくれるものの、自分自身も仕事を与えられていたから、文字の読み書きなどは教えてくれない。今思えばそこにいた孤児で文字が書けた人間はそれほどいないのではないかと思う。


 院長先生も昔は子供たちに最小限の教育をしていたとだけ聞いた。残念なことに高齢になってしまって、院長先生は根気のいる教育はしなくなっていた。


 エレノアは聖女としての役割はともかく、他はどうでもよかった。別に文字の読み書きができなくても、多少体が汚れていても気にしない。聖女は祈ればその役割を果たすことはできたし、教養を身に着ける意味が分からなかった。

 だから勉強の時間になると、こっそりと部屋から抜け出し、庭の茂みに隠れていたり、空き部屋で寝ていたりしていた。


 聖女としての自覚を促したかったのか、聖女の仕事が慣れてきた頃、オースティンはエレノアを王城に連れて行った。


 聖女らしい白を基調とした美しいドレスに、代々聖女が身に着ける宝飾品、さらには聖女の証と言われる素晴らしい彫刻を施した指輪。


 つけられた侍女たちに着せられた慣れない格好に、エレノアは不貞腐れた。


「こんなドレス、着たくない」

「よく似合っているよ。城に行けばそんな気持ちもどこかにいってしまうはずだ」


 適当に宥めながら、オースティンは王城に連れて行った。エレノアは警戒しながらもオースティンと共に定期的に城の催しに顔を出した。顔を見せる程度であったが、あまり居心地の良い場所ではなかった。


 ――聖女様があんな野生児だから、オースティン様は苦労するのね。

 ――孤児だったところを、オースティン様が助けたのですって。厚かましいわ。

 ――聖女様の所作はとても汚くて見ていられないわ。あんな教養のない方が聖女だなんて、オースティン様はお可哀想だわ。


 一つ一つが胸に突き刺さった。

 自分自身のことはどうでもいいが、エレノアの評価がそのままオースティンの評価になってしまっていた。知らなかった世界に、エレノアは神殿に戻ると声を上げて泣いた。


「ごめん。誰かに何か言われた?」


 オースティンはある夜会の帰り、泣いているエレノアに気がついた。エレノアが声を殺して泣いていれば、オースティンはそっと抱き寄せた。


「成人すれば、城での催しには参加しなくてはいけなくなる。今のうちに慣れてほしい。何を言われても無視していいんだ」

「オースティンお兄さま」

「君は君のままで大丈夫だ。私が力を付ければいいだけなのだから」


 今のままでは駄目だと思ったのはこの時だ。

 エレノアはこの後、必死になって必要な知識を身に着けた。貴族たちは信用ならない。王族だってそうだ。誰もが神殿の恩恵を受けているのに、平民だから、貴族ではないからとエレノアを蔑む。


 聖女であるエレノアがしっかりすることで、少しでもオースティンへの誹謗中傷が減ればいいとそれだけだった。


 あの時が一番幸せだったかもしれない。

 自分の立場がなんであるのかを正しく知らず、優しく、時には厳しく接するオースティンを兄と呼び、無邪気に慕っていた。

 聖女としての力が安定すれば、いつでも褒めてくれて、失敗しても一緒に考えてくれる。結界も浄化も彼が側にいてくれたから身に着けることができた。


 でもエレノアの頑張りは思わぬところで望まない実を結んだ。


 王家と神殿のつながりを強化するためという名目の元、第一王子との婚約の打診があった。神殿は国から独立して存在すべきと言われているが、反目しあっているわけではない。


 だがこの婚姻の裏はとても単純だ。第一王子の後ろ盾が弱いという一点だけで望まれた婚約だった。貴族社会では、側室であり、宰相の娘の子供である第二王子を次代の王にと望む声が大きいからだ。王妃は他国の王女であるが、その国は小さすぎて後ろ盾にならないのだ。


 神殿の後ろ盾が欲しいのは第一王子の方なので、オースティンも神官長も愛情はなくともエレノアを大切に扱うだろうと考えていた。

 神殿側も貴族たちのエレノアに対する態度に頭を抱えていた時期だった。あまりの扱いのひどさに、神殿だけでなく王族との婚約が必要だった。


「第一王子との婚約? わたしが?」

「そうだ」

「でも」


 エレノアは唇を噛みしめる。言ってしまおうかどうしようか悩んだ。


「言いたいことがあるなら、聞こう」

「……わたし、聖女は大神官と結婚するものだと聞いていて。お兄さまと結婚できると思っていたの」


 小さな声だった。それでも思っていることは嘘をつけない。じっと答えを待つようにオースティンを見つめた。短い時間であったが、それでも永遠の長さを感じた。


「エレノア、私との年の差は12歳だ。やはり同じ年頃の相手を選ぶ方がより幸せになれると思う」

「そんなこと、わからないわ」

「――君は私にとって妹のようなものだ。君の想いは初めて優しくしてくれた相手だからだ」


 妹のようなもの。


 はっきりとした拒絶にエレノアは俯いた。胸の奥が痛み、苦しい。


「わかりました。第一王子と婚約します」


 オースティンへの淡い想いに整理がつかないまま、婚約するために王城で第一王子であるトリスタンと対面した。自分が王子の婚約者になることにも戸惑ったが、それでも王族側もエレノアを必要としているので大切にするだろうという言葉を信じた。

 もしかしたら、オースティンと同じように心地の良い関係になれるかもしれない。


「ふん。平民出身の聖女か。最悪だな」


 彼の目には侮蔑の色しかなかった。

 彼は平民以下の孤児が嫌いな人間だった。


 エレノアの淡い期待が壊れた瞬間でもあった。



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