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望まれていない婚約者


「まあ、聖女様はこのお茶会の趣旨をご存じないのかしら?」

「仕方がないのではございませんこと? 聖女様は貴族の慣例には疎い方ですから」


 くすくすくす。


 呼ばれてやってきた茶会の会場に入れば、真っ先にそんな言葉が耳に入った。ひそひそ話はいたるところで行われているが、向けられた視線に好意的なものは何一つない。いつものことだ、とエレノアは意識して背筋を伸ばして、柔らかな表情を心がける。

 ここで悲しんで見せたり、辛そうな顔をすればますます嘲笑される。これは経験から学んだことだ。


 嫌な視線を全身で感じながら会場の中央へ進み、王太子であるトリスタンの前で立ち止まった。金髪に碧眼、すらりとした背の高い美丈夫で、王族の特徴をすべて引き継いだ彼はその場に立っているだけでも圧倒的な存在感がある。何の冗談か、エレノアの婚約者でもあった。


「遅れて申し訳ありません」


 エレノアは遅れたことだけを謝罪した。トリスタンはエレノアの格好を上から下までさっと見てから、表情を歪めた。エレノアはその仕草で、自分の格好が笑われている原因なのかと初めて気がついた。


 慌てて送られてきた茶会の招待状の文面を思い出す。何度も侍女と確認したから、その簡素な内容は忘れてはいない。

 どこにも衣装について指定はなかったはずだと思いつつ、きっとわざと書いていなかったのだろうなと心の中でため息をついた。


「この茶会がどんな茶会か、知らないのか?」


 不愉快そうな表情を隠すことなくトリスタンは聞いてきた。エレノアは素直に頷いた。


「はい。特に招待状に書かれていなかったと思いますが」

「……そうか、知らなかったのか。知らないのなら、知らないと言えばいいものを。小さなことでも確認しないから恥をかくのだ」


 そう言われて教えられたものは驚くべき内容だった。季節ごとに催される茶会にはそれぞれ意味があり、ドレスコードが決まっている。今日は天気の良い日の続く季節であることから、空の青をとっているそうだ。


 簡潔にトリスタンに説明され、エレノアは周りを注意深く見まわした。


 令夫人や令嬢たちは皆、頭に花を使った髪飾りを付け、手には手首ぐらいの長さの白の手袋をしていた。どうやら小物も指定があるようだ。誰もが青系のドレスを身に着けている。

 男性もどこかに青の色を取り入れていた。トリスタンも上着の一部に青色を使っていた。


 エレノアは今日の茶会のためのドレスに淡いクリーム色を選んでいた。白でも黄色でもない色がとても綺麗だと思って選んだ。もちろんそれに合わせた首元を飾る宝飾品は緑色の大ぶりな宝石で飾りの少ない上質なドレスを引き立てていた。

 明らかに浮いている、とエレノア自身思った。本当に笑うしかない。


「王太子殿下、聖女様は辺境で育ったと伺っております。王城の催しに参加することも経験がないでしょうから、疑問にも思わなかったのだと思いますわ」


 何とも言えないぎすぎすとした雰囲気をとりなすように一人の令嬢がトリスタンに声を掛けた。彼女は優しい表情をしながらも、エレノアの常識のなさを嗤う。


「……他にも季節の茶会には意味がある。今後は気を付けてくれ」

「申し訳ございません。教えてくださってありがとうございました」


 エレノアは申し訳なさそうに謝罪した。聖女という立場上、王族であるトリスタンに頭を下げることはない。トリスタンは不愉快そうに鼻を鳴らし、エレノアの腕を乱暴に掴んだ。遠慮のない強い力で捕まれて、エレノアの腕が痛む。


「これから両親に挨拶に行く。挨拶をしたら下がれ。目障りだ」

「……」


 何かいい返そうと思ったが、気の利いた言葉が出てこなかった。反応があることを期待していなかったのかトリスタンは大股に歩き、エレノアを引きずるようにして国王夫妻の元へと向かう。トリスタンが歩けば、自然と道が開いた。


「エレノアか。最近、穢れが強く浄化に時間がかかっていると聞いている。負担も大きいことだろう。せめて短い時間だけでも楽しんでくれ」


 国王がトリスタンと一緒にやってきたエレノアに(ねぎら)いの言葉をかける。エレノアは淡く微笑んだ。


「ありがとうございます」

「陛下、エレノアは務めからこちらに来て疲れている様子。挨拶も済みましたから、下がらせたいのですが」

「それがよろしいわ。浄化に時間がかかるなんて疲れている証拠ね。力不足でも精一杯しているのですもの。茶会は気にすることはないわ」


 トリスタンの母である王妃の棘のある言い方にエレノアもムッとした。確かに最近の穢れは簡単に払えず、長時間の祈りが必要になる。だがそれはエレノアの力不足ではなく、聖女一人で浄化できる量を明らかに超えているためだった。


 王妃はいつだってエレノアが気に入らず、棘のある言葉しか吐かない。それがわかっているのに、連日の祈りでエレノアも疲れていたのか、どうしても我慢ができなかった。ダメだと思いながらも、つい余計な言葉を発してしまう。


「お気遣いありがとうございます。わたし一人で浄化できる量も限られています。本当に時間が足らないのです」


 エレノアがいい返したことに、王妃が不愉快そうに眉を寄せた。トリスタンも気分を害したのか、剣呑な眼差しを向けてきた。トリスタンが怒鳴る前に、王妃が張り付けたような笑顔を見せた。


「これからはお仕事の方を優先してちょうだい。わたくしも楽しめない方を呼ぶのも気分が悪いですから」

「ありがとうございます。それでは今日は失礼させていただきます」


 やってしまったな、と思いつつも後悔していない。王妃から言質をとったことだし、今後は茶会や夜会を断っても問題ない。やや投げやりになりつつも、一言挨拶をして国王夫妻の前から下がった。そのまま一人で会場を後にするつもりであったが、引き留めるように腕をとられた。


「馬車の所まで送ろう」


 断ることができずにトリスタンにエスコートされて茶会会場を後にした。わざと聞かせているのか、力も教養もない聖女だと嗤う声が聞こえてくるが、エレノアは一切を無視した。


 茶会会場から離れたところで、トリスタンは足を止めた。そしてエレノアの方へと体の向きを変える。エレノアは無表情に彼を見上げた。彼は眉間にしわを寄せ、口元を歪めとても不愉快そうな表情だ。


「聖女だろうがなんだろうが、もう少し気遣えないのか。貴女は確かに神殿では気遣う必要のない立場かもしれないが、いずれは私の妃になる。歩み寄りを心がけろ」

「歩み寄り、ですか」


 エレノアは努めて無表情でいた。トリスタンはその反応が気に入らなかったらしく、エレノアの腕をきつく握りしめた。先ほどよりも強く握られて、激痛が走った。その上、血の巡りが悪くなったのか、握られた腕がしびれてくる。


「聖女であろうが、辺境の孤児だった女が私の妃になるなんて。もう少し貴族を理解している人間だったらましだったろうに」

「そうですか」


 他に言いようがなくて、そう頷けば突き飛ばすようにしてエレノアを解放した。


「さっさと失せるがいい」


 自分で引き留めていた癖に、と思いつつ解放されてエレノアは急ぎ足で廊下を歩いた。目指すは茶会が終わるまで待っている馬車だ。そこに行けば、護衛も侍女も待っている。


「ふざけんな。もっとましな相手がよかったなんて、わたしのセリフよ」


 痺れた腕をもう一方の手で覆うと、小さく祝詞を呟いてふっと息を吹きかける。するすると腕の痛みが引き、痺れも消えていく。簡単な祝詞で元に戻ってほっとした。

 護衛や侍女に見つかれば大事になる。それだけは避けたかった。


 だが、いつまでもこんなことは我慢はできないだろうなとエレノアは考えていた。今はかなり頑張って我慢をしているが、エレノアは本来短気な人間だ。精神力だけで怒鳴りたい気持ちを抑えている。


 聖女になって10年。

 大嫌いな王太子の婚約者になって3年。


 側室よりも後ろ盾の弱い王妃とその息子であるトリスタンの立場を固めるためだけの婚約。

 同時に平民出身の聖女エレノアが貴族に受け入れられるために交わした婚約。


 どちらにとっても利益があったから結ばれた。だけど、理解しているからといって、感情をどうにかできるものでもない。


 あとどれだけ我慢できるか、エレノア自身でもわからなかった。



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