第4話 聖女は良心を封印します!
以前と同じように野良仕事に精を出している父を見つけ、私は周りの目もかまわず走り寄った。
「父さん!!」
結界を張っての山越えだっただけあって体を痛めることはなかったけど、逸る心に押されて休みなしで来たためにフードは脱げて髪も化粧も乱れに乱れていた。それでも、父を見つけた時はそんな乱れなんか気にならないくらい嬉しかった。
ああ、無事でいてくれた。それが、どんなに幸せなことか。思わず涙がこぼれた。
「フェ……フェリシア!!無事だったのか!!」
「父さん、会いたかった!ごめんなさい…何の音沙汰もせずにいて…」
ああ、懐かしい父の声で名を呼ばれる喜び。忘れていたわ。ずっと『聖女様』と呼ばれ続けられると、私は『フェリシア』ではなく『聖女』と言う名の女なんだと――――ひたひたと沁み込んで行ったのだ。
土に汚れた力強い腕が、私を遠慮なしに抱きしめてくる。そして、無精ひげの残る皺の増えた固い頬が、私の頬に額に頭に擦りつけられる。
「いいんだ、気にするな。お前が無事だったのなら誰も何も言わん。さあ、母さんにも顔を見せてやってくれ」
父は鍬を手にすると、私を囲うように抱き寄せて歩き出した。少し離れた場所で農作業をしていた村人が、何が起こったのかと手を休めて様子を伺っていた。それに片手を上げて「王都へ行っていた娘が帰って来たんだっ」と、父は声を張り上げて応え笑って見せた。
家は、以前住んでいた建物よりは広く、しっかりとした建物だった。それに家畜小屋まで備えられており、牛と鳥がのんびりと顔を覗かせていた。
父に連れられて家に入り、奥から出て来た母に泣きながら抱きしめられた時には、もう私は『聖女』の冠を下ろしてもいいんだと、やっと思えた。
「前に暮らしていた村へ寄ったの。そしたら、こっちに引っ越したって…それも国王からの通達らしいって。一体、なにがあったの?」
涙の再会もどうにか心を落ち着かせ、母の淹れてくれたお茶を口にしながら尋ねた。
両親は厳しい顔を見合わせて頷き合ってから、私に事情を話し出した。
「勇者様ご一行が旅立って三年目あたりだったか……。突然に王家から使者が来て、お前から何らか近況を知らせる手紙などが届いてないか?と尋ねられた。無いと答えたら、その時はすぐに帰って行かれたが、その後すぐに戻って来られて、いきなり大金と土地をお与え下さった。―――ただし、娘が聖女であることは誰にも口外するなと言い渡されてな…。
名誉ではあっても無暗に自慢することじゃない。娘は…フェリシアは、女神様からのお役目を果たしに行っただけ。なのに、口止めされる様なことか!と悔しかった。だが、頷かなければ、お前になにかされるのではと…それでなくても聖女様が亡くなったんじゃないかと噂が流れたくらいだ。黙って頷くしかなかったんだよ…」
父の話しを聞きながら、私は無意識に拳を握っていた。
悔しかった。何も知らずに、勇者の言いなりになって余計な時間をかけて旅をしていた自分が。
私は、王都へ帰還してから起こった一連の出来事を話して聞かせた。
婚約の儀まで行ったのに婚約破棄を申し渡された上に、すでに隣国の姫君を娶っていたこと。大神殿でも全てを剥ぎ取られて、王都から追い出されたこと。道すがら出会った人に聞いたが、聖女との婚約破棄や隣国の姫を娶った話は、公にされていないと知ったこと。
それを踏まえて考えると、家族が村から引っ越しをさせられた原因が見えて来た。
「…その姫様を娶るために、儂らを聖女の家族と誰も知らん村へ押しやった訳か…」
話す間中、母はまた涙を零して聞いていた。私に代わっての悔し涙ね。その肩を抱き寄せ、私はわざと笑顔で囁いた。
「婚約破棄されて、私の方が助かったわ。あんな女神様を冒涜する様な王家に、誰が嫁ぎたいもんですか!反対に、そのお姫様に同情するわっ」
その夜、山での狩りから戻った兄の抱擁は、それはもう熱烈だった。滂沱の涙に何を言っているか分からない声を上げて褒め称えと説教が交互に注がれた。懐かしい母の手料理に満ちたテーブルの上と、お酒に酔って陽気に歌い出す懐かしい兄の歌声。それらが私を包んで、ゆっくりと眠りへと誘った。
心も体も疲れていたらしい。
私は、本当に鈍感だ。自分のことすら知りもせず、ただ魔王を倒すのだ!と意気を上げる勇者に付いて行っただけの、白い魔法が使える人形でしかなかった。何もかもが轍の上に揃えられ、考えることなくそれに従って進めば、用意された幸せが転がり込んで来るんだと、当然のことのように思い込んでいた。
だから、私はこの幸せの中から、再び旅立つことにした。
私が受けた侮辱は、ひいては女神様への侮辱だ。そして、もう聖女ではない私は勇者や王の命に従うことはない。私は―――フェリシア自身として、この恨みを晴らさせてもらいますわ。
***
私は、自分がここに居ることで王家や大神殿から狙われることを理由に、村を離れて旅立つことにした。私が亡くなってから魔王復活が起るのならいいが、魔王が討伐されていない事実を知っている私には、いつ聖女指名の儀式が行われるか不安だった。そして聖女に関する内情が知れ、王や大神殿からの使いが聖女ではない私に何をするか―――。それは到底我慢できることじゃない。私一人なら何としてでも身を護って逃げ隠れできるが、家族までは無理だ。
そう話して納得してもらうしかなかった。
父は言った。あんなことなど忘れて、フェリシアとして誰かいい男を見つけて嫁に行けと。けれど、私は苦笑しながら首を横に振るしかなかった。二十歳をとうに過ぎた娘に、そう簡単に縁談が来ないことは知っていると。それでなくても、ここに長く居れば何となく訳ありなのだと気づかれて、遠巻きにされることになるだろう。
「絶対に死なないわ!生きて生きて天寿を全うしてやるの!」
だから、どこへ向かうかは黙って旅立つ。王都から誰かが来たらこれを見せてと、無難な旅の近況を書いた偽手紙を渡した。そして、もし安住の地が見つかったら、必ず知らせると約束して別れた。
後ろを振り返ることなく来た道を戻り、また山中を走った。以前の村には寄らずに乗合馬車の出る村まで歩いた。
一歩一歩遠くなる家族の顔が、涙の中で滲んで流れた。
向かうは隣国。嫁いで来た姫様のことを少しでも知りたいから。
聖女を偽れと言われて、それを一国の姫君が黙って受け入れるはずはない。いくら王たちが偽りの役をさせたって、勇者一行が帰還する前から城に滞在する姫を今更聖女様ですと言って誰が信じると言うの?
現に私は大勢の貴族たちが列席する謁見の間で、勇者一行の一員として討伐の終了と無事の帰還を称えられたのだ。どちらが聖女か――――あの大勢の者達を誤魔化すことはできはしないはず。ただ、謁見の間には自国の貴族たちしかいなかったことが気になっていた。そして、他国からの賓客たちは、祝賀晩餐会からのお目見えになる予定だったが、私は神殿への報告と女神様への祈りの為に晩餐会は辞退しなくてはならなかった。が、結局は王に会うために戻りはしたけどね。
一体、どうなっているの?この国は……。