第34話 聖女王太后様の勢いにのまれる
「我が息子ながら、魔力はあっても能天気な気性はどうにかならないかと旦那様と悩みに悩んで、それならばと前宰相と将軍に厳しく選考して頂き、精鋭揃いの側近を選んで付けたと言うのにっ!なぜに揃いも揃って塵に成り果てるんですの!?」
アンジェリカ様は私の手を握ったまま、ぐるりとお顔だけ振り返ると、クライブ陛下とアレックス宰相様に向けて言い放った。
とても艶のある佳人だけに、発揮される威圧と相まって迫力満点だった。たちまち陛下と宰相様の顔色が失われて行く。
それでも、すぐに陛下が口を開きかけたが――――。
「聖女様をお連れして来たと喜んで、宿願だった戦に勝って、さあ!今度は婚姻よ!と期待しておれば、腐り果てた愚か者共の勝手を許していたとは!!」
「母上!別に許していた訳では…」
「では、なぜにフェリシア様に何度もご災難が降りかかっているのですか!!」
私はここへ入室してから、驚きの声を上げたきり一言も発せず仕舞だった。どうにかお二人にご挨拶せねばと焦っていたが、目線で助けを求めた宰相様は小さく頭を振ったきり、俯いてしまわれた。
もうここまでお話が進んでしまうと、私の挨拶など必要とは思えず、ただただ、どうしようと混乱が増すばかりだった。
これは、私も当事者と言うことで、覚悟を決めると口を挟んだ。
「あのっ、アンジェリカ様。どうか、どうかクライヴ陛下をお責めにならないで下さいませ。私が、王妃候補のご令嬢方の目先に踏み込んでしまったのが浅慮でしただけで…」
「まあぁ!!それは貴女に責はないの。貴女をお連れしたのはコレ。城に留め置いたのもコレ。愚か者共の不穏な動きを察知しておりながら、罪証を狙って様子見などと何の手も打たなかった阿呆もコレなのです。まさに愚王!そうでしょう?クライヴ陛下?」
「……ええ。私の方が浅慮でした」
頑張ってみたけれど微塵も勝てず、それどころか陛下の責を増やすだけになってしまって落ち込んだ。言い負かされた陛下が、力ない返答するのを聞いて、心が重くなる。
「……クライヴ陛下は、私情に溺れることなく冷静に物事を見定め、国王としてとても有能な方ですわ!」
ぽろりと口から零れ落ちた言葉は、意識して考えて出たものではなかった。庇うとか助けるとか、そんな軽い気持ちではなく。
肩を落として萎れた私に気づいてか、アンジェリカ様は再び私を見ると、ほっとするような柔らかい微笑を浮かべた。
「ねぇ、聖女…いえ、フェリシア様。どうして、こんな愚息をお庇いになるの?貴女を苦しめた元凶ですわよ?」
先ほどまでのお声とは全く違う、陛下への愛情が感じられる優しい母親の口調と眼差しで、アンジェリカ様は私に問うた。
彼女の肩越しに、前王様がにこやかに笑んで頷いているのが見えた。
「…嫌いになりたくても、どうしても嫌いになれないのです。私はどうしたら…?」
私の切ない困惑に、アンジェリカ様は握ったままの手を引いて側に置かれたソファへと導いた。
疲れの限界に来た私は礼儀も忘れてすとんと腰を落とし、アンジェリカ様はしとやかな所作で横に座った。
「フェリシア様、聞いて下さる?―――元々この国は、近隣の小国に生まれ落ちた忌子がここまで逃げ延び、集まり助け合ってできましたの。初代王もその側近や臣下も、誰一人として王族や貴族の血を引く者などおりませんでしたわ。皆が平民の、それこそ名すらも与えられずに育って逃げて来たような者ばかり。親子関係などない者同士が、支え支えられして開拓し、国らしい物を作りましたの。
かく言う私も平民の血を引く身。それでも旦那様に求められて王妃の座につきました。アレは、そんな王妃の産んだ息子でしかないのです。
だから、貴女は身分や家格などに煩わされなくてよいのですよ。好きか嫌いか―――アレをただの男として見て…考えて頂けないかしら?」
陛下に似た、煌く赤い瞳に私が映っていた。
頑なな私の心の奥にその煌きが、まるで乾いた大地に注ぐ清水の様にするすると沁み込んで行った。
と、美しく整えられた爪先が、私の頬をなぞった。気づかない内に、涙が溢れていた。
「誰も貴女を苦しめるつもりはないの?ただ、お心のままに……ね?」
さらりと頬を優しく撫でられ、その手は離れて行った。
そして、涙の止まらない私を置いて、アンジェリカ様は立ち上がると先王の側へと戻って行かれ、陛下に何事かを囁くと、お二人は宰相様を連れて部屋を出て行かれた。
静まりかえった会見の間には、私と陛下だけが残された。
先ほどアンジェリカ様に漏らした泣き言を聞かれていてけれど、もう疲れでぼんやりしてきた意識では緊張すらできずにいた。座り心地良いソファにうっとりとした眠気まで忍び寄って来る。
ふと我に返ると、近くで良い香りがした。
「フェリシア…大丈夫かい?」
陛下が私の前に跪いて、花と柑橘の香りのするお茶の注がれたカップを、そっと持ち上げた私の手に持たせた。
ゆっくり零さないように口元へ運び、一口飲んで喉の渇きを思い出した。登城直後の宰相様との面談以来、全く何も口にしていなかった。その上、あれだけ声を張り上げた後だもの、当然だわね。
「ありがとう…とても美味しいわ…」
なんの迷いもなく礼が言えた。陛下自ら気遣ってくれて、手ずからお茶を勧めてくれたのが嬉しかった。
美味しいお茶とほっとする時間――――好きな人。
睡魔がそーっと私に残された気力を攫って行った。