第3話 聖女は不安な旅立ちをする
王都から一晩歩いたところにある街で宿を取り、家族宛に長い手紙をしたためた。
初めはこれを業者に預けて旅立とうかと考えていたが、五年以上も会えずじまいの上に婚約解消された私の所為で、両親や兄がどんな状況におかれているか心配になり、他人を装って手紙を届けに行くことにした。
私の育った村は王都から乗合馬車を使って丸四日かかる田舎で、王族なんて国王の名前くらいしか知らず、顔も姿も見たことのない噂ばかりの殿上人だった。それでも私が聖女に指名されたことで、村や家族がどんなふうに変わってしまったのか…私に関してどんな噂が流れているのか、それをちゃんと確認したかった。
何も変わっていないなら、それはそれで家族にだけ内情を書いた手紙を渡して去ろう。
私はすぐに新たな旅の装束を揃えると、乗合馬車を乗り継いで村へと向かった。
女の一人旅は珍しいからか、誰もがじろじろとあからさまな視線を寄こすが、ことに男は複数になると気が大きくなって大胆な誘いをかけて来る。なまじ途中で野営をする予定の場合は、守ってやると言う決め台詞を使って夜の誘いをして来る始末。これを無下にすると、馬車に乗っている間中嫌がらせをしてくる阿呆が多いのも困りもの。だから暗に誘いに乗った素振りをして、押し倒された直後に【眠りへの誘い】を展開してご就寝いただく。
このスキルは治癒魔法の一つで、不眠や疲労回復のために心地良い睡眠を取ってもらうためにある。お酒に酔った様に前後不確かなまま自然な眠りに陥るから目覚めても不快感はなく、むしろ熟睡しただけに爽快な目覚めに気分的高揚もあってか、夜のことは気にならないようだった。それに、誘った男の側が寝落ちなんて恥だろうし、私から口にしない限りは誰もが無視を決め込んでいた。
こんな技を思いつくようになってしまったのも、あのバカ揃いの勇者たちの所為だった。正気の時には、自制と私の後ろ盾を気にして我慢していたようだったが、お酒に酔ってしまうと何度か宿の部屋へと飛び込んで来た。別の意味で身の安全の為に結界を敷いて休んでいたが、だからと言って部屋で大暴れされては困るので魔法で眠らせた。それが今では役に立っている。
そんな風に『旅慣れた女』を装いつつ、私は聖女の己を隠して先へと急いだ。
聖女の顔を確実に知っている人は、たぶん平民の中にはいないだろう。聖女と至近距離で会うことを許される者は王侯貴族と神殿の者だけだし、討伐の旅の間はずっとフードを目深にかぶっていた上に、回りは勇者たちが囲んで近づくことを許さない。一見すれば、聖女を勇者たちが護衛しているように見えるけど、実は他者の注目が自分達より聖女へ向けられることに、我慢できないだけだったりした。まぁね、聖女一行じゃなく勇者一行なんだし、隊長である勇者が前に出るのは当然だから不満はなかった。
だから、こんな風に乗合馬車に同乗してても、誰も私が聖女だってことには気づかない。まさか、聖女が乗合馬車を使って一人で旅をしているなんて、誰も考えないでしょう。
「お嬢さんは、どちらへ?」
「王都から里帰りの途中なんです」
「護衛もつけずに…気をつけてな?」
乗り合ったご夫婦の旦那さんが、心配そうに私を見る。それに笑顔で応え、頷きながら感謝した。
「旅には慣れてますので…ご心配ありがとうございます。お二人は、どちらへ?」
明るく受けて、そろりと話題を私から相手へと逸らす。そして、黙って笑顔と相槌だけで彼らの話を聞き続ければ、和やかな時間を過ごせる。
「―――そうそう!王都と言えば、勇者様たちがご帰還なさったそうね。凱旋行列は見ました?」
「え…あ、はい。仕事の途中だったので、少しだけですが…」
ああ、王都からなんて言わなければよかったと後悔したけど、仕方ないと諦めて無難に答える。王都にいながら、あの騒ぎを知らないとは言えないし、当事者ですなんて口が裂けても言えない。
「前の魔王討伐よりも時間がかかったとか。それはそれは大変だったんでしょうねぇ…。それでも、聖女様もご無事でお帰りになられて、これでやっと国王様もご安心できるわね」
「ああ、王太子様も気がきじゃなかっただろうな。ご婚約者の聖女様に何かあったのではないかと…やれ、安心だ」
―――あれ?これは、どうもおかしいぞ?聖女は婚約を破棄されましたが?それに、私が討伐に行っている隙に、隣国のお姫様を娶ったはずですが?
「あのー…王太子様は、聖女様ではない方とご結婚なさったと…」
「ええ!?それはないだろう?聖女様がおいでの時は、必ず王家の方とご婚礼なさるはず。今代の聖女様は、確か王太子様とご婚約をなさっていらっしゃったと?」
「はい…ただ、今回は魔王討伐があまりにも長くかかったため、聖女様のご帰還を待たずに隣国の姫様をお迎えしたと聞きましたが?」
私の話に、ご夫婦は互いの顔を見合わせて驚いていた。それに、話を耳にした他の人達も騒めいている。
「それは本当かい!?嘘なら不敬になってしまう…あまり口に出さない方が良いかも知れないよ」
周りの雰囲気を察してか、旦那さんが声を潜めて私に忠告してくれた。
まさか隣国の姫君との婚礼が秘められていたとは思わず、私の方が面食らった。そして、慄いた。
「……はい、そうします。まさか公に告知されていないとは思いませんでした…」
どういう事なの?
聖女との婚約は、確かに公式の場で宣言された。私たちが旅立つ日の式典で、王自らが詰めかけた人々へ向けて告げたのだ。なら、それ以降の事柄に関しては、内々の事として終わらせたの?
私のことはともかく、一国の姫君を迎えておいて秘密にしておくって、それはあまりにも酷い。いずれは王妃になる方なのに、国民には正体を秘して聖女と勘違いさせておくつもりかしら?
妙な雰囲気になりかけた馬車の中で目を伏せ、それ以降は口を噤んで静かに過ごした。誰もが先を聞きたそうな素振りだったが、私が黙ってしまえば誰も促す者はいなかった。
ようやく里の村へ着いた時、私はほっと肩の力を抜いた。居たたまれない雰囲気の数刻は、苦痛以外の何物でもなかった。この先は用心して口を開こうと決め、村へと入って行った。
村の様子に変わりはなく、五年前と同じように村人たちは各々の仕事に精を出していた。広い畑のあちこちで農作業をする人達を懐かしい気持ちで眺めながら、ゆっくりと村の中を歩いた。
見知った顔が何人か通り過ぎたが、私はそれになんの反応も示さずにまっすぐ前を見て進み、通り沿いの雑貨屋に入って主に声をかけた。
「こんにちは。すみませんが、聖女様のご実家はどこでしょうか?」
知っていることをあえて尋ね、聖女とは別人であることを示してみる。十五までは顔なじみだった小父さんだけど、二十歳を過ぎて育ち切った上に化粧をしている私は簡単に見破られることはないだろう。
案の定、雑貨屋の主は私を見て一瞬目を見張ったが、私の口から出た質問に眉をしかめた。
「ああ、何でぇ?聖女様に会いにでも来なすったのかい?」
「いいえ、その聖女様からご家族へ手紙を預かっておりまして、お届けにきたのですが…」
「…そうかい…あのな…聖女様のご家族は、もうこの村にはいねぇんだ…」
「ええ!?それは――――お亡くなりになったとか!?」
雑貨屋の主の浮かべた表情と言葉に、私は顔色を変えた。頭に浮かぶのは最悪の出来事。
「いやいや、そうじゃねぇから。ただ引っ越しただけだから安心してくれ」
私の反応があまりにも顕著だったからか、主はこそっと声を落として引っ越し先と引っ越す原因となった出来事をかいつまんで話してくれた。
なんでも、あまりにも魔王討伐が遅いのは聖女が旅の途中で亡くなったからじゃないかと、この村と近隣の村に噂が流れたのが始まりだった。
そんな所に国王からの使者が実家を訪ねて来て、聖女から何か連絡は入っていないかと執拗に尋ねて来た。それが、根も葉もない噂を補強してしまった。本当に聖女に何かあったんじゃないか!?と村中で不安になっていた所に、またしても使者が実家を訪ねて来て、何事かを言い含めると大金を渡して去って行った。そして、やたらと気落ちした両親と兄は、誰に訊かれても口を噤んだままで引っ越して行ったのだそうだ。
これは、もう聖女の身になにかあったのは間違いないと、村人たちは去って行く家族の後ろ姿を黙って見送ったのだった。
「安心して下さい。聖女様はお元気です」
「そうかい!そりゃあ良かったよ。勇者様は凱旋したって話を聞いたが、聖女様に関してはなんにも流れて来ねぇからなぁ。それなら、無事に王太子様とご一緒になられたんだな?」
「あー…それは、どうも変わってしまったようで。それをお知らせするために手紙を持参したんですが…」
「ああ、それなら急いで渡した方が良いな!」
私が口ごもったせいで何か気づいたのか、雑貨屋の主は簡単な手描きの地図を渡してくれた。見れば、この村よりもっと田舎。驚く私に、雑貨屋の主は気の毒そうな眼差しを向けただけだった。
後はもう振り返ることなく、急ぎ足で村を出た。街道を通れば歩いて一日かかる場所だが、裏山を突っ切れば半日かからないと知っている。
そこは昔、大きな町があった。でも、魔王の出現に影響された上位種の魔獣に襲われ、死の町になったと言われる曰くつきの場所だった。
いくら王家に何か言われたからとは言え、そんな所へ聖女の家族が引っ越さなければならない理由なんて。
――――父さん母さん兄さん!一体何があったと言うの!?―――――
私は、心の中で大声で叫びながら、夏草の生い茂る山道をひたすら走った。
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