第23話 聖女は樹海の中で安らぐ
対抗馬出現!
逆ハーか!?
隠れの樹海にある村に住み始めて、十日ほどが過ぎた。七年ぶりの家族と一緒の生活は、そんな長い空白があったとは思えないくらい呆気なく始まった。何しろ、遠い場所への引っ越しなんていう一大事があったせいで、私が戻って来た喜びに浸る余裕ないまま日常が始まってしまった。
自然な流れで始まった新たな生活は、優しく逞しい村人たちの熱気に煽られて順調に馴染んで行った。人手不足の村ではすぐに職が見つかり、家族の誰もが一番不安に思っていたことが、一番最初に解消された。
そんな中で、私は女神様から残して貰った加護を役立てるべく巡回治療師を続けることにし、村々の治療所を回り、週に一度は王都へも回って行った。
そして、暇をみつけては樹海へ入って薬草や薬になる木の実を採取し、貴重な薬を作った。
「それ、何に使うんだい?」
いきなり掛けられた声に驚いて、手にした薬草を放り出して飛び退った。だって、草を踏む足音一つしなかったのに、突然耳元で声がしたから。
慌てて振り返りと、そこには短い銀の髪に金の眸を持つ不思議な青年が立っていた。銀髪の人はたくさんいるけど、黄金の瞳を持つ人は初めて見た。―――そう、人には無い色。黄金の目は人の持つものじゃない。
「あなたは…どなた?」
「俺は、ルー。この樹海の番人だ」
樹海の番人?聞いたことのないお仕事だわ?巡回警備かしら?
「どこの村にお住まいなの?」
「村には住んでいない。俺は番人だから、樹海の中をずっと回って歩いているんだ」
ずっと歩いてって…流浪戦士や流浪術師のような?
「ルーさんの、お住まいはないのですか?」
「ああ、棲み処か…あるにはあるが教えられない」
そう言って肩を竦めて苦笑した。
彼も、魔王国の人達の様に樹海へ逃げ込んで来たのだろうか?珍しい瞳の色を忌まわしいものと決めつけて追い払おうとする人たちに追われて。
「所で、俺の質問にそろそろ答えてくれないか?」
少しぶっきら棒な物言いだけど、嫌な感じは受けない。反対に、私の方が不躾な視線を彼に向けていたことに気づいて焦った。
「あ…これは、八重草と言って薬の材料なんです。樹海の外では、滅多にお目に掛かれない植物で、とても希少な――――」
「それなら、ここから少し行った小さな泉の畔に群生しているぞ?」
「まぁ!それはっ……ああ、でも、それはルーさんに所有権があるのでは?」
「所有権?なんだそれは?樹海の物で俺の物じゃないぞ。それに、俺にとってはただの草だ」
番人と言うお仕事で歩き回っているとなると、色々な発見があるだろう。一番先に見つけた者に所有権が発生し、採取するにはまだ早い物には所有の紋を刻んだ木の札を立てておく。その場所に手を出そうとしても採取することは出来ない魔法だった。それがこの世の決まり事。
でも、本人がそれに価値を見出していないなら関係ない。
「では、案内をお願いできますか?お礼をしますから」
謎の人物だけど、この「隠れの樹海」に認められているから歩き回れるのだろうし、加えて番人となれば、危険な相手ではないだろう。
私がそんな提案をすると、彼はすぐに踵を返して歩き出した。
「こっちだ。数が多いから、その籠じゃ…」
「魔法袋がありますから、大丈夫です。お礼は何がいいですか?」
「君が必要なだけ採取したら、その量に合わせて考えよう」
振り返って私に向けた笑顔は、なんとも悪戯好きな子供の様だった。
私よりは年嵩だと分かるが、兄や魔王様のような鍛えられた立派な体躯ではなく、とても細身でしなやかな猫のみたいな……あ、そうそう、大きな猫のような人だわ。足音を立てずに歩き、生い茂る草や灌木をするすると避けて進み、私が付いて来れているかを横目で確かめる時、その金の目が木漏れ日に光る。
「…この樹海は、本当に神様の庭の様ですね…。たくさんの恵みを抱いて…」
「神はいないが、精霊王が棲んでいる。会いたいと願えば、いつか会えるだろうよ」
「ええ!?精霊王様…ですか?もしかして、隠しの樹海と呼ばれている所以は……」
精霊王様がいらっしゃるなんて、初めて聞いた。不思議な樹海だと知っているけど、なぜかまでは聞いていない。
「ああ、そうだ。太古の昔からここは精霊王の生まれ育つ場所だ。心が穢れている者は樹海の掟に従て、ここに住まう者に裁かれるが定め。―――他の者には秘密だぞ」
秘密って…。そんな大事を聞かされた私は、酷い混乱に陥った。
「そんなことを言われても…。人に話したりはしませんが、そんな大それた秘密を!困ります!なぜ私に教えたりしたんですか!」
「精霊王が、君に興味をもっているらしいんでな。――――ああ、着いたぞ。あそこだ」
さらりと恐ろしいことを言われたが、私の意識は彼の指が差し示した場所へと飛んでしまった。
きゃー!凄い!!こんなに大量の群生は初めて見たわ。
八重草は、人の心臓を強くする薬になる。心臓の音が弱くなって、血の巡りが悪くなったり、何もしていないのに早くなりすぎて息苦しくなったりする時に使う。でも、とても採取量は少なく、薬師たちは四苦八苦して集めていた。それが、こんなに…。
鼻歌でも歌い出しそうな高揚感の中、必死で摘む私の後ろから、ルーの忍び笑いの声が届いた。
「あ…ありがとうございます。これくらいで止めておきます。お礼は何が?」
「そうだな。金は必要ないし……そうだ、森苺のパイを食べさせて欲しい」
お金は必要ないと言われてホッとし、次に出された物を聞いて呆気にとられた。森苺のパイ。
あまりにも彼の見た目からかけ離れた要望に、ぽかんと口を開けてまじまじと彼の顔を見つめてしまった。
彼は私の表情でなんと思われたのか気づいてか、少しだけ照れたように視線を逸らして呟いた。
「何だ?俺がパイを欲しがるのは可笑しいかい?」
「え?い、いいえ!ただ……もっと違う物を要求されるかと思っていたので…」
「例えば?」
「例えば、巡回のために保存食の干し肉や干し果実とか…美味しいお茶の葉などを」
「それでもいいが、それらは俺も作れるしな。パイは、何度か挑戦してみたが無理だった。なので、それを頼みたい」
パイ作りに何度か挑戦って。それを聞いて、今まで謎で不思議な存在だった彼が、いきなりとても身近に感じられて微笑ましく思えた。
「もちろんお受けします。それで、どこへお持ちすれば?」
「君がまた採取に来る時で結構だ。ここまで来て、俺を呼んでくれ」
細身だけれど、さすがに樹海内を巡回しているだけあって鍛えられたしなやかさを持った体躯のルーは、それだけ言うと突然飛び上がって、近くにあった大木の枝へと乗り移った。
「私の名はフェリシア。ヤウイ大杉の村に住んでいます」
「ああ、それも知っている。では、また。楽しみにしている」
ザザっと騒がしい音を立て、彼は他の枝へと飛んで樹海の中へと消えて行った。
金色の輝きを、私の心に残して。