第22話 聖女は恋心と現実に悩む
ディアベル魔王国の王クライブ=ノヴァ=ディアベルに、すでに決められた王妃候補がいると知ったのは、件の貴族令嬢と初めて出会った時だった。
王国は近隣国へ進軍を開始する直前で、王都は兵たちが溢れて住民と共に盛んに気炎を上げ、騎士たちの士気も上がって緊張の度合いも高まっていた。
私は護衛役の騎士をお供に、樹海の療養所からの帰りだった。樹海に近い北門を通り、馬車から降りて城内と続く裏手小玄関へ向かいかけた所で、勇ましい恰好のご令嬢と出くわした。
銀の全身甲冑に身を包み、結い上げた黒髪は艶々とし、キリリと目尻の上がった大きな紅い瞳は生き生きと輝いていた。片腕に兜を抱え、腰に刷いた剣は飾り気のない実用的な物だった。まだ十代だろう瑞々しい気迫が、少しだけ離れていた私でも感じ取れた。彼女を囲むお付きの騎士たちも、それぞれが十分な実力を持つ武人だろう。そんな彼らすら、彼女を前にしては存在が霞んだ。
美しいご令嬢は足を止めて私を見るや、
「貴女かしら?聖女と称して、城中奥に留め置かれているというのは?」
と、少し硬い張りのある声で私に話し掛けて来た。
私は慌てて腰を落として、供の騎士と跪礼した。
聖女を冠して挨拶した覚えはない。でも、陛下か宰相様が誰かに伝えたのか…。
「はい。お初にお目にかかります。フェリシアと申します」
「……陛下も物好きな…こんな軟弱で役立つかも分からない女を…。いい?覚えておきなさい?陛下にはすでに私を含めた幾人かの王妃候補がいるの。貴女のような自称聖女が!それも、以前に陛下に剣を向けた無礼者の一団だった貴女が、お傍にいて良い御方ではないのっ!」
頭の方は小声で誰にともなく呟き、途中からは私に対しての忠告のようだった。
それを耳にした瞬間、頭から冷水をかけられたようにいきなり目が覚めた。どこかしら夢うつつの様だった気分が、一瞬にして現実へと引き戻された。
咄嗟に返す言葉が思い浮かばず、もごもごと口を濁した。
「それは……十分に…」
「そう?理解しているなら、早く身をお引きなさい!」
そう言いおいて、振り返りもせずに颯爽と立ち去って行くご令嬢を、茫然としたまま見送った。それからすぐに部屋へ戻り、付き添いの騎士に彼女の素性を尋ねた。
そして、彼女がこの国で王の次の地位にいる、ディオン大公爵のご息女フェルミナ=オルデ=ディオン様だと教えられた。
彼女は、私が聖女の身分を利用して、クライヴ陛下に王妃の座を強請っていると勘違いしているらしかった。冷静になって考えてみれば、その誤解も分からない訳じゃなかった。
ある日、王自らの出迎えで、一人の女が王城奥の貴賓客室に招かれた。見れば同胞ではなく、何をしているのかと思えば、町や樹海へ行って治療士をやっているだけ。戦が近いと言うのに、陛下は宰相を引き連れやたらと親し気にその女の部屋へ出入りしている様子。探ってみたら、聖女と呼ばれているらしい。
聖女と言えば、ついこの間まで敵の一人だったはずなのに、陛下は一体なんのために…。
第三者の目で見れば、こんなものでしょう。そこに私の側に居た侍女や衛兵のついた噂話が加われば、聖女の名を餌に王妃の座を狙う女のできあがり。
額に手をやり寝椅子に躰を横たえると、お腹の底から大きな溜息をついた。
それ以降、私は出来るだけ城内の人達との接触を避けた。親切にしてくれていた五人の侍女たちも、なんとか理由をつけて少しずつ減らして貰った。
治療や孤児院へ行くことだけが息抜きの機会になり、城内では極力一人にしてもらった。
私が受けた屈辱を、他の女性に味わわせる訳にはいかない。たとえ、陛下にその気が無くても、そんな風に誤解されるような状況は作りたくなかった。その誤解一つで、王妃候補の女性たちは苦しい思いをする。それでなくても、私とは違って彼女は陛下をお慕いしているのだから。
でも、静かに静かに私の心は、クライヴ陛下へと傾いて行った。
どうしてこんなに心が揺れるのか、自分でもよく分からない。ご令嬢の言う通りに以前は敵同士だった。その後は、同じような立場で同じ相手に報復をと考える仲間に。再会は偶然だったけど、あの時は謎の人物で…。でも、あの時から私は彼を、一人の人間として認識を変えたんだわ。
それまで私にとって魔王と言う存在は私達と同じ人間ではなく、大神官から教えられた人の形をした悪意の塊りや、復活した瞬間から魔獣の様に人を襲う邪悪なる存在だった。
だから女神様の加護にある神聖スキルが必要で、倒した跡を浄化しなくてはいけないと思っていた。
それが、戦いの最中に落とし物をしながら逃亡し、再会してみれば人助けの真っ最中で、私に落とし物を届けてくれと頼んで来て。次に現れた魔王様は、真っ黒な衣装がとても良く似合うおどけた紳士で。スライムなんかに呼ばれて……。
最後は、柔らかな抱擁を受けて、温もりを持つ人間なんだと実感した。
恋も満足にしたことがなく、娘盛りを碌でもない男たちに囲まれて過ごし、最後には断りもなく捨てられた。男性嫌いになっても可笑しくない経験ばかりの私の心に、宝石の様な赤い瞳を煌かせてするりと入り込んで来た魔王様。
あまりにも屈託なく抱き寄せてくる腕が優しくて、野性味たっぷりの微笑みで囁く声が甘くて、「陛下」と呼びながらも彼の立場を忘れていることが多かった。
気づいたら、魅せられていた。
そうよね。独り身の国王様だもの。いずれ…いえ、近く王妃様を決定しなければならないだろう。国民の願いは勝利で叶った。今度は国の安定と、王の世継ぎ。
終わりまであと少しだから、許して欲しい。
その時の私は、密かに願うしかなかった。
前半が恋愛展開ではなかったので、ジャンルを「ファンタジー」に変更しました。
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