第21話 聖女は過去を脱ぎ捨てる
ディアベル魔王国は、人口のほとんどを国民自ら称する黒髪と赤い目の《魔族》で占められている。
忌子と呼ばれて蔑まれ、命さえも危ぶまれる環境から逃げて来た者たちで建国したこともあり、その後も同じ境遇の者達を引き入れて来た。少ないながらも小国と言えるほどには人が集まり、今では大部分を自給自足で足りる発展を遂げた。
ただし、その発展は《隠れの樹海》と呼ばれる地域あってのことだった。
太古の昔から存在するこの樹海は、悪心や敵意を持って足を踏み入れると命に係わるほどの拒絶を喰らい、ただ一身に救いを求めて逃げ込んだ者は包み込むように匿われる。そして、樹海に住まう者には、食料・鉱物・薬など様々な物を与えて来た。
そんな不可思議な樹海が、間接的に王国を護り、王国では手に入らない物の多くを担っていた。
現在、この樹海には人里が五つほどある。皆、近隣の国々で迫害を受けて、命からがら逃れ来た平民や元貴族たちが住む。今も逃げ込んで来る者たちは絶えず、里も村から町へと規模を膨らませつつあった。
「なぜ、魔王国へ移り住まないのか…かぁ」
私は、各村にある療養所を回って、治療士としてお仕事をしていた。怪我人や衰弱しながらも逃れて来た人たちの治療をすることが多いのは、戦争が終わったばかりだから。
魔王軍によって、圧政を行った者達はことごとく倒されはしたけど、影響はまだまだ残っている。そんな人たちを魔族が逃亡の手伝いをして、ここへ連れて来る。
そして提案されるのが、この樹海に定住するのか魔王国に移住するのか。
答えは、ほとんどの人達が樹海への定住を望んだ。
「ええ、ここの生活を悪く言うつもりはありませんが、元貴族だった方々などは慣れない生活はお辛くはないか?と。魔王国ならば、才能如何によっては、色々な場所へ取り立てて頂ける機会も多いかと思いますし…」
療養所の長を務める治療士のバルクさんに、私はぼんやりと気になっていた疑問を問うてみた。
「お嬢さんは、少しの間、城へ滞在なさっていたな?」
「はい、半年ほどですが」
「その間、様々な魔族の方々と交流なさったかね?」
そう返され、私はこの半年ほどの記憶を脳裏に蘇られてみた。
私が城へ滞在を許されていたのは、聖女としての私を匿うためと、復讐のための計画をクライヴ陛下と宰相アレックス様と話し合うため。その間、重要な部屋がある棟とは別棟の、非公式の会見の間や客室などがある棟の一室をお借りしていた。私を訪ねて来るのは陛下と宰相様だけに、棟の一番奥にある居間と寝室だけの小さな客室だった。
後は、私の世話をしてくれた侍女のシャイナや護衛の騎士二人。孤児院の方々や子供たちと治療を施した兵士や騎士。―――ああ、思い出した。樹海の療養院へ行った帰り、偶然に貴族のご令嬢と行き合って言葉を交わした。
「…交流と言えるほどの相手は、陛下や宰相様と孤児院の…」
「ならば感じるまでには行かなかっただろうな。人はな…己と違う大勢の者の中に長くおるのはな、居心地が悪くなるものなんだよ。我々が受けたような差別や迫害ではないが、な」
なるほどと納得する。私も聖女に指名された後の環境の中で、ずいぶんと居心地の悪い思いをした。全く違う価値観の人々の中で、無理やり身につけた間に合わせの物で体裁を整えようとした。その努力は、結局場違いな場所にいる己に気づかされただけ。
だから、婚約破棄された時には、一方的に下されたことに怒りが先に立ったけど安堵もした。
「昔から同じ比率で人がおれば良かったのだが、ここまで分かれてしまうと無理は言えないだろう。何も気にせずあちらに住んでいられるのは、魔法使いと聖職者と治療士だけだな」
どの人も、自分の心に決めた何かを持つ人達だわ。
魔法を、神を、人を救うことを。
私は――――。
「それで、お嬢さんはなぜ樹海に住むことにしたんだ?」
***
家族が樹海に移住すると決めた時、私は当然の様に家族と共に暮らすことを考えていた。家族がフォルウィーク王国へ帰国すると言えば、一緒にはいるのは無理な事だったけど、ここに住むのなら問題はなかった。もう七年以上も父達と別れたきりだったのだから。
それに、すでに目的を達成し終えた私には、これ以上は王城滞在する理由が無かった。
私はまだ女神の加護を持っていたが、すでに聖女のお役目は終えていたし、特別な立場は必要なくなっていた。
ただの平民のフェリシア。
そんな者が、長々と王城に居て良い訳はない。
だから、家族が樹海へ移住をする前日、陛下にその旨とこれまでの感謝を伝え、王城を去ることを告げた。
「なんだと!?貴女はここに居るつもりではなかったのか!?」
「はい。フォルウィーク王国へは戻りません。長らく離れていた家族と共に樹海で生活を―――」
「そうではない!城にと言っておるのだ!」
クライヴ陛下の苛立ちに、私は驚きながらも内心では気づいていた。
彼から、信頼以上の好意を示されていると感じていた。なぜ、そんなに私に好意的なのかと戸惑ったけれど、私も仄かに生じ始めた感情に悪い気はせず、それを黙って甘受していた。だって、同じ目的を持ち、それを達成し終えるまでの間のことと思っていたのだ。
「私には、これ以上滞在させて頂く謂れはございません。報復も終え、もう聖女の名は捨て去りましたし、ただの平民である私を無意味に城に置いては皆さまに示しがつきません。あとは……受けたご恩返しと思って、この国と樹海に住む方々の為に、女神の加護を使って生きて行きたいと思っております」
「無意味では……」
「不敬を承知の上で申し上げます。それは陛下の私情……。王国の方々にとって私は、陛下のご助力を受けただけの、市井の女に過ぎないのですから」
恩知らずな、情の無い物言いだったと思おう。
でも、国を捨ててディアベル魔王国に属する樹海に住む立場の私は、クライヴ陛下の足元に寄る民の一人でしかない。
そこを弁えずに、ここに居ることはできない。
―――傍にいるだけでいいから―――