一方その頃――――フォルウィーク王国・王都
慌てろ慌てろw
その頃、ラーデス王と王太子レオンは真っ青な顔で、ジョーデル大神官相手に怒鳴り散らしていた。
魔王が復活したから勇者一行を差し向けてくれ、と使者が来たのは一昨日のことだった。こんな短期間でまたか!?と驚きはしたが、貢ぎ物をうず高く積み上げて平身低頭で頼む姿を見ては、無碍に追い払うことはできなかった。
そして、その日の内に大神殿へ聖女指名の儀を行うように申し渡したのだが、二日祈り続けても、女神の神託が下りないとジョーデル大神官が慌てて伝えて来た。
ラーデス王とレオンはすぐに大神殿へ駆けつけると、大神殿の中央で大量の汗をかいて震えるジョーデル大神官に迫った。
「どどど、どういうことだっ!!聖女降臨の神託がないとは!」
「わ、分かりませぬ…どんなに女神様に祈っても、全く神託が降りて来る気配がありませぬ…」
「ま、魔王が復活したのだぞ!なにを悠長に……せ、先代大神官はどうした!?何か知っておるやも知れん!!早急に聞き出せ!!」
大聖堂で上げる恫喝の声は、荘厳な室内に似合わない焦りと危機感に満ち溢れていた。だが、それもジョーデル大神官とて同様だった。
いつもなら魔王復活の声と同時に、大神官が祈れば女神からの神託が降りる。どこの誰が聖女であるか指名し、名指しされた聖女が勇者の剣の封印を解き、その剣が勇者を定める。
だが、と内心では思っていたことがある。
勇者の剣さえあれば、聖女なぞ絶対に必要だとは思っていない。いつも通りに腕自慢を集めて剣に選ばせ、後衛ならばそれが得意な魔法使いをつければいいだけだ。何も四人で行かせなくても、王に進言して一個師団ほどつければいい。
そんな風に軽く考えてはいたが、それもこれも聖女が存在しなければ始まらない。勇者の剣が納められている大岩の封印を解くことができなければ、ただの子供の妄想と同じだった。
彼は、混乱の極みにいた。
前回の神託が、彼にとって初めての仕事だった。二度目にしてまさか神託すら降りないとは、予想すらしなかった最悪の状況だった。つくづくもあの時、ランドルに頼んでもう一度話を聞いておけば良かった、と悔やんでみても今更遅い。
ランドル大神官のいる他国の大神殿へと、すぐに早馬を走らせた。そして、神殿の神官全てを呼び出し、即祈りの間に入ると全力で祈りを捧げた。
***
人々の寝静まった深夜、城からの使いに叩き起こされた元勇者エルシドは、安眠を壊された不機嫌さを隠すことなく王の居間へと現れた。
長椅子に体を預け、自分以上の不機嫌さと険しい表情で頬杖をつく王を見て、エルシドは何か良からぬことが起ったのだと悟った。
「一体何事が…?」
ラーデス王の方は、エルシドの跪きすらしない態度を不快に感じだが、今はそれをとやかく責める心境ではなかった。むしろ、ここでエルシドの機嫌を損ねるのは失策だとさえ考えていた。
「女神様の神託が下りん!が、魔王の復活は起こった。万が一の時は、お前の妻を聖女に仕立ててお前は勇者に戻り討伐へ出てもらう。しかと心得よ」
眠気を引きずっていたエルシドは、想像もしていなかった王命に唖然としたまま突っ立っていた。
「せ、聖女はともかく、私ではなくてももっと若く強い奴を選んで―――」
「聖女が選ばれない以上、勇者の剣の封印は解けぬ。何も知らぬ者よりは、一度は魔王とまみえた経験のあるお前に行ってもらうが得策。剣は、宝物庫に眠る魔剣を与えよう……なに、万一の時だ。案ずることはない…」
そう言いながらも、打ち払っても沸く焦燥感に心はじわりじわりと苛まれている。
たかが魔王。たかが勇者の剣――――たかが聖女。
大国の王である己を前に、そんなものなど大した物ではない。仮に勇者が倒されたとて、それは遠い他国の問題。少し助勢したに過ぎない。頼まれて成したことまで恨まれる筋合いはない。
ラーデス王は、失いそうな正気を必死に立て直す努力をしていた。無駄な足掻きでしかないのに。
***
王太子離宮の一室で、王太子妃レデリカは一通の封書を前に悩んでいた。
昨日の深夜、夫であるレオンが王からの火急の知らせを受けて飛び出して行った。それほど時間を過ごすことなく戻っていたが、彼の顔色は冴えず、眉間の皺を深くして黙したまま寝台へ戻った。夜が明けても彼の様子は好転する事なく、朝の挨拶すら心ここにあらずの態で政務へ向かった。
何があったのかと問いかけたかったが、いまだ王太子妃の立場では政治に口は挟めない。それでなくても女性を軽んじる気質を隠すことのなくなった夫に、残り少なくなった好意が削れて行っている。今、夫を問い詰めれば、きっと一気に嫌悪だけの存在に変わるだろう。
そんな不安定な心情のさなかに届いた父からの手紙だった。故郷の王城を思い、気弱だが優しい父王を思い、その手紙を開いた。
――――同封した書を読み、後はお前の心に託す。だが、父としての心中は、聖女様の情けを受け取って欲しい。
そんな添え書きの後に読んだ、同封された書をじっと凝視して刻が過ぎた。
何度も読み返した。そこには信じられない事柄が書き綴られていた。しかし、虚言でないことは判っていた。そこに、王や王太子以外にレデリカと彼女しか知らないだろうことが加えられていたから。
「レデリカ様…?」
文机についたまま厳しい表情で身動ぎ一つしなくなった主に、エリエンスクから従って来た侍女は声をかけた。
今朝がた届いた生国王家からの手紙は、なぜか王の近衛騎士が運んで来た。挨拶もそこそこに騎士はレデリカ王太子妃の手に直接渡すようにと言い付かったと訴え、呆れながらも侍女は彼を案内してレデリカに会わせた。その時手渡された手紙を前に、主は異常な雰囲気に陥っていた。
深く沈んだか細い声が、侍女シェイーラにかけられた。
「ねぇ、シェイーラ。もし…もしも貴女が私なら、そう考えて答えてちょうだい」
「…はい…」
「私はとある企みに巻き込まれ、加担を迫られました。しかし私は頑としてそれを拒み、その企みは潰えました。けれど企んだ者達はたくさんの恨みを買っていて、とうとう復讐が始まりました。その復讐者は、私にそっと囁きました。『お前は無罪だ。ただ巻き込まれただけと知っている。そして言いなりにはならず心を強く持っていた者だと。これから私は復讐の裁きを開始する。だから逃げよ。避難せよ』と。しかし私には立場がある。王太子妃と言う、次代の王の傍らで国民を護らねばならない…」
「もしも」と念を押した語りを聞き終え、シェイーラは愕然としたまま詰めていた息を思い切り吐き出した。
これは大変なことを聞いたと言う胸騒ぎと、大事な姫様の心痛を思う同情と――――求められた答え。三つ巴の災難に、シェイーラは必死に頭を働かせた。
しかし、初めから答えは一つ。それしか侍女である彼女には無い。いくら主の立場でと前置きされても、レデリカを守る立場のシェイーラには、考えの行きつく先は一つだ。
「……私がレデリカ様であるならば、答えは一つ。その者の囁きに応じて逃げるのみにございます」
「なぜ!?私は王太子妃よ!?」
悲痛に満ちた声が、シェイーラを非難する。
しかし、シェイーラはじっとレデリカを見つめた。
「僭越ながら申し上げます!レデリカ様、国の責は王と王妃が受けるもの。今はまだ王太子妃でしかないのです。それも、いまだ王家の血を繋ぐことのない…」
シェイーラの最後の言葉は、いまだに世継ぎを持つことが叶わないレデリカの心に突き刺さった。通常なら不敬を通り越して侮辱になる。が、シェイーラがそれを理解してなお口にしたことも分かっていた。
ふうっと重く深い溜息を零した。
それからすぐに、レデリカは父王に向けて返事をしたためた。
――――お父様のご容態を理由に里帰りをお願いしてみます。すぐに迎えをお願いします。
その手紙をシェイーラに渡し、侍女はすぐに返事待ちをしていた騎士の元へと走った。
その日、妃は公務中の王太子の元へ直接出向くと、父王の見舞いを理由に里帰りを願った。
そして、エリエンスク王家から遣わされた早馬が来たことを知っているレオンは、何も考えずにそれを許した。
通常王族の里帰りには、王太子妃だとてフォルウィーク王家の馬車を出す。戻ってくることが前提にあるからだ。なのに、なぜエリエンスクから迎えが来るのかを、訝しく思う余裕は今の冷静さを欠いたレオンにはなかった。
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