第11話 聖女は頑張って耳目を使う
セルヴァを離れた私は、北へ向かいながらも点在する小国を通り、その国や町や小さな村へと寄って、人々の暮らしや噂に耳目を使った。
ルベーヌ帝国の内乱に関しては詳しい話が噂となって流れていたけど、フォルウィーク王国の聖女や勇者の成婚に関しては全く聞かない。
立ち寄った屋台の奥さんに、試しに話題を振ってみたけど、聖女は王族とご成婚なさったんだろう?と返って来た。
彼女たち庶民にとってみれば、聖女や勇者など近くの街道を通り過ぎて行った有名人に過ぎなかった様子。会えればありがたいが、自分の生活には縁のない人物みたいだった。
私はその態度に、首を傾げることになった。だって、ここはフォルウィーク王国よりもずっと魔王城に近い地域なのに、なぜこんなにも勇者や聖女に無関心なのか?魔王討伐がすでに叶った後だから?
なにも話の度に深く感謝している旨を話して聞かせて欲しいと思っている訳じゃなく、なんだか魔王の影響による被害なんて全くなかった雰囲気なのが気にかかった。
「この辺りは、魔王復活の被害はなかったのですか?」
奥さん手作りの、具がたくさん入り山羊のお乳を使ったスープを味わいながら、この際だと続けて尋ねた。
「魔王の被害かい?そんなもの聞いたこたぁないねぇ。最果ての樹海近くに、魔王城があるって噂は昔からあるがねぇ……勇者様たちは、そこを壊しに行きなさったんだろう?」
「ええ…壊しにというか、魔王討伐に行かれたと聞きました。なんでも被害が大きいからと近隣の国から使者が来て訴えられたとかで」
「被害ねぇ…この辺じゃ聞かないし、実際なかったしねぇ。もっと北の国からですら、そんな話は流れて来なかったけどねぇ…」
奥さんも私の説明を聞いて、同様に困惑しながら首を傾げた。屋台を商って長いから、旅人や商人から色々な話が聞けるし、得た話をまた彼らに還元するのも売りの一つだったりするらしく、他の町人たちより情報通だったりする。
そんな彼女が、ちらとも聞かないとなると…これはもう国家による、女神様相手の詐欺行為としか思えない。ここまで来るとエルミュース様の言われた「私利私欲のため」が、現実味を伴ってきた。
私は奥さんに礼を言うと、乗合馬車の停留所へ急いだ。
段々と元魔王城があった北の果てへ近づいて行く。そこには『古の魔樹海』と呼ばれる、人の手を拒む魔の樹海がある。
私はそこを最終地点と決め、この旅を始めた。でも今は、そこを目的地としながらも、寄れるだけの国や町へ寄ることにした。
乗合馬車に乗車すると、思いのほか人は少なく、反対方向へ向かう馬車は待ち人が溢れているのを見れば、北へ向かう目的の人は少ないのが分かる。思い切って、向かいに座ったお子さん連れのご夫婦に声を掛けてみた。こちらをちらっと見た男の子に微笑みかけると、恥ずかし気にお母さんの上着に顔を埋める。かわいいっ。
「北へ向かう方は少ないんですね?この時期だけなんですか?」
「そうでもないわよ?北はね……これといった産物はないし、ちょっと閉鎖的な国で、ねぇ?」
そう言うと、奥さんは旦那さんに同意を求めてか、顔を向けた。
「大昔に同じ王族から分たれた小国同士だからかなぁ、仲が悪くていつも小競り合いをしてんだ。貴族も利権争いに忙しそうでな、国民のことなんざ二の次三の次で逃げ出すやつも多い。最近じゃ樹海へ手を伸ばし出したって話も聞こえて来るし…」
旦那さんは話しながら、顔を顰めて吐き捨てるように言った。奥さんも困ったものだって表情で呆れたように頷いていた。
「勇者様に魔王の討伐を頼んだらしいって話だが、ありゃ魔王城をぶっ壊して貰って、あの辺りを足掛かりにして樹海の端っこでもいいから占有しようって腹だろうさ…」
そこで会話は途切れた。いえ、切られたといった方が正しいような感じだった。北の情勢は詳しく話してくれたけど、それ以上の関りは話さないと無言で言われた感じだった。
以前の私なら「親切なご夫婦」でおしまいにしたことでも、今の私には意味あってのこととしか思えない。それに気づいたからって、何か言い募ろうとは考えていないけど。
ルベーヌ帝国の内乱もそうだけど、ここから北の情勢不安もフォルウィーク王国からすれば遠い対岸の出来事でしかない。政治的に繋がりのある王侯貴族諸氏は知っていることなんだろう。でも私達平民は自分の側にしか目を向けることがないから、世の乱れなんて離れている間が遠ければ遠いほど他人事になってしまう。それでいいのか悪いのかは、今の私には判断がつかない。でも聖女である私個人には、無罪ですみはしないと判る。理解ってしまった。
女神様がおっしゃった『公平な目と耳で裁き』は、私は全くできていなかったから。
だから、私は目を開き耳をすまそう。そして公平な判断を。
***
私は樹海に一番近い国ラルゴン公国の端の村で、薬草を採取したり、それを煎じて造った薬を村人に売ったりして数日を過ごし、得た金銭で旅の食料と水を補充した。
聖女の持つ女神様の加護の一つに、【天の倉庫】がある。それは、他者には見えない出入り口を持つ巨大な鞄のような物で、口はここにあっても中身は天にある倉庫に繋がっていて、魔獣や人以外ならなんでも入る。商人たちが持つ高価な魔法袋に似た用途のものだ。
刻も流れず腐ることなく出来立ての食べ物や水を仕舞えて便利だけど、入れた物は使えば無くなる。それを補充するための金銭もだ。
本国で毟り取られた私には聖女としての資産や褒美はなく、討伐の旅の際に支払われた旅費の残りと道程で売った薬や採取依頼を受けた報酬でここまで来た。治療などの聖女の力を密かに使ったことは何度かあったが、それは無報酬で対応した。それが、聖女じゃないフェリシアとしての矜持だった。
それでもなんとかやって来れた。
旅立ってから一年と半分が過ぎていた。
高い場所へ立てば、遠くに霞んで見える樹海の縁。その手前に大河があると聞き、渡るにはここから二つ向こうの町から出ている船を使うしかないらしい。その船賃が、驚くほど高かった。
それでも薬師や治療士は依頼が多いから稼げるよと助言され、街道沿いの町や村へ寄りながら向かうことにした。道の途中で森へ入り、日課になった薬草や香草の採取をする。遅い春がやっと追いついて来たのか、下草はまだ短く歩きやすい。ただ、それと同様に薬草の育ちもまだまだ遅いのが難点。
季節や気温に関係なく生い茂る薬草は、森の奥へと行かなければ手に入らない。春先だけにお腹を空かせた魔獣もいるだろう森の奥へは、通常なら狩人や戦士を雇って入るもの。
「でも、私には結界があるし~」
独り言を漏らしながら奥へと入り、見つけた群生に走り寄った。
その時、どこからともなく人の悲鳴と乱れた呼吸音がした。そして、それを追う男たちの怒号も。
私はすぐに叢へ飛び込んで身を屈め、声のした方向へと目を走らせ耳をすませた。そのすぐ後に、何かを抱いた幼い少女が向かいの草むらから走り出て来た。見れば、服はぼろぼろで刃物で切られた様な痕があり、そこから血らしきシミが浮いている。露出した肌にも、かすり傷と一緒に刃物傷が見えた。
私は反射的に本能に従っていて、気づいた時には少女の腕を掴み、自分が潜んでいた叢へと彼女を引き込んでいた。
「―――ひっ!」
「大丈夫っ!私は味方よ。静かにね!」
彼女の口を掌で軽く押さえ、声を落として小さな耳に囁くと、自分の体の下へ押し込んだ。じりじりとした刻の中、男たちの声が右往左往する。近くなる度に、私の下の細い身体が震えあがるが肩を撫でてあやした。
半刻ほどして、男たちの声や足音はどこからも聞こえなくなった。僅かに顔を叢から覗かせ、気配を探ってみた。大丈夫。そう確かめると、ほーっと溜息をもらした。
「もう大丈夫よ。どこか痛い所はある?」
腕を解き、縮こまっていた痩せた体を開放して診察の目を走らせた。
「ありがとう、お姉ちゃん……」
桃色の瞳が涙をためて、私に向けられた。