第9話 聖女は卑しき呪いを解呪する
「こちらにおいでです。どうぞ、奥へ」
昼過ぎに目的の町アザロに着いた私は、御者と護衛達に感謝と別れを告げ、真っすぐに神殿へと向かった。アルフォーゼ様から渡された紹介状を神官に渡して案内されたのは、こじんまりした小部屋だった。
神官長の執務部屋に通され、私は奥に座る好々爺然としたエルミュース様を見やってほっとした。
ああ、この方は悪心ある方ではない。老いてはいらっしゃるけど、とても理知的な光を目に宿し、私をしっかり見定めようとしていた。
「フォルウィークの田舎から参りましたフェリシアと申します」
「おお、アルフォーゼ様からの手紙にも書かれておった。遠い所からよく来られた。ささ、ここに」
執務室の窓際に設えてある、椅子が二つだけの小さな談話空間。そこは日当たりよく、エルミュース様の真っ白な頭髪がキラキラ輝いて、まるで神様のようだった。
「して、私にフォルウィークでの聖女指名の儀に関する話を聞きたいと?それは一体どうしてなのか…お聞きしてもよろしいか?」
アルフォーゼ様がエルミュース様宛に書かれた手紙には、私の紹介と聖女様に関する話をしてやって欲しい旨だけしか書かれてはいない。ただ、この手紙を手渡してくれながら、エルミュース様にお会いし、自分の目で相手を見て事情を話すか否かを判断しなさい、と忠告された。それが私の、人を見る目を作るための修行になるからと。
アルフォーゼ様は、この不慮の苦難の中で、真っ先に自分を頼ってくれたことが嬉しかったのだと告げた。私との信頼関係がきちんと繋がっていることを感じられ、神官冥利に尽きると。
反対に、私はアルフォーゼ様を訪ねてみることにしたけど、始めは拘束される可能性があることを怖れて躊躇していた。だって、私はいまだ清い聖女だ。誰とも婚姻していないと明かせば、聖職者にとっては次代の聖女指名の障害になる一大事だ。他の者ならば、当然の様に強引に留め置こうとするだろう。
それをアルフォーゼ様はなさらなかっただけでなく、こうして私の求めに叶う人と繋いでくださった。信頼をおいてなお、たくさんの感謝を捧げたい。
そして、この方も大丈夫だと、もう一人の私が頷く。
「私は――――今代聖女です。女神様から加護を賜って以降、いまだその加護をお返しする機会を失なったまま、ここまで彷徨って参りました」
私は自分の正体を明かしながら、エルミュース様の手をそっと両手で包み【治癒】を使った。お年もお年だからどこかに必ず支障があるだろうと、そこへ精一杯の力を注いで見せた。
痛めたきり完治しなかったらしい足が動くようになったことに喜び感激したエルミュース様は、驚愕しつつも私の手を握りその手に額づいた。
「これは確かに聖女様の御力……。では、あの勇者との婚姻は…」
「あれは私を排するため、王と元勇者が口裏を合わせて企てたことですっ!」
私は、エルミュース様に全てを話して聞かせた。もう悔しさに泣くことはなしない。それでも表情は沈んでいたのだろう。エルミュース様は握ったままの手を軽く揺すり、またゆっくりと撫で擦って慰めて下さった。皺の目立つ細くなった手指はそれでも暖かく、私の手以上に心を暖めてくれた。
「――――そんな訳で、私は真実を知りたいのです。私がこのまま生きている内は聖女指名のための女神様のご神託はないでしょうが、死した後に呼ばれた聖女相手にまたこのような扱いをされては、女神様に申し訳ありません。おかしな行いは私の代で断ち切りたいのですっ」
意気込んで訴えた私に、エルミュース様は私の手をぽんぽんと叩いて離し、ゆっくりと立ち上がって窓際から離れると、大きな溜息をついた。
「私がフォルウィークの大神殿で大神官をしていたのは、貴女より数えて三代前と四代前の間だった。だがな、大神官になる前――――神官長の頃に五代前の聖女指名の儀があった」
ごくりとエルミュース様の喉が大きく鳴った。はっとしてよく目を凝らすと、彼は眉間に深く皺を寄せて顔を歪め、顔面にびっしり汗の粒を滴らせていた。
「そして―――ーグォホッ…ガァッ!」
「エルミュース様っ!」
エルミュース様は喉を押さえながら咳込み、開けた口から大量の血を吐き出し、その場に蹲った。
私は悲鳴を無理やり飲み込み、慌てて駆け寄ると彼を支え起こした。
「わ、私は、契約…の、呪いを…掛けられておる…この…じ、事実をはな…話すことはっガハッ!!」
刻々と溢れ出る血を側に置いていた肩掛けで押さえ、聞き取りにくいながら事情を悟った。
「早く教えて下さればよかったのに!私はまだ聖女ですのよ!全ての呪いを解し、浄化をする力をもった唯一のっ!」
そっと老体を横たえ、ぜいぜいと喘ぐ彼の苦痛の元を探した。早く早くと急く意識を押さえ、【神聖結界】を張って彼を護り、焦って震えだす指先を額からそろそろと下ろして触診して行く。ああ、見つけた。これは契約ではない。【隷属の呪い】だわ。
首の周りを、首輪の様にぐるりと呪が帯になって巻き付いている。
『悪しき紋よ 卑しき主の元へ去れ!【解呪】 邪紋の痕を拭い 清き女神の御手で清めたまえ 【神聖浄化】』
祈りと宣言を篭めて詠唱し、神聖魔法で呪いを完全に解呪して送り返す。そして、苦しみと苦痛、呪いから吐き出された血を浄化して排除した。
エルミュース様の大量の吐血は、その一滴も一粒も漏らさず消え失せ。それと同時に、彼の呼吸も元に戻った。
「お、おお…消えたわい…ああ、ありがたい。聖女様……礼を」
「お礼なら、詳しく話して下さるだけで構いませんっ。もう、なぜ黙って――――」
「これは強制されたものではないのだよ…当時の私の意思で、契約に従った……つまりは黙して語らずを己で決定した証しなのだ…すまんの。世話をかけた…」
「こんな――――こんなモノは契約ではありません!隷属の呪いです!エルミュース様は人の尊厳すら踏みにじる死をお迎えになる所だったのですっ!」
あまりにも掛けられた者を卑しめる呪いに、私は怒りに興奮を抑えきれずに喚いた。
隷属の呪いは、魔獣を従わせ調教する場合に行使されるもので、人が人に掛けることは滅多に無い。例外は罪人に対してくらいだった。
呪いに込められた条件を破ると、苦しみ悶え血を吐き、ゆっくりと身体のどこかから腐り出して、それに耐えきれず狂い死ぬ。そして骸は早く浄化しないと、骸のある一帯を呪いで染め上げる厄介なもの。
私は討伐の途中、何度かそんな骸に出会った。ほとんどが魔獣だったが、中には逃亡した先で悲惨な死を迎えた罪人を浄化したことがあった。だから、知っている。この恐ろしさを。
身を起こしたエルミュース様は、自分の吐き出した物すら消えていることに目を丸くしながら立ち上がり、私は手をかして弱った体を椅子に戻して【回復】をかけてさしあげた。
「ありがとう。さて、続きだったか――――」
エルミュース様は冷めたお茶を飲んで一息つくと、静かに語り出した。
私より数えて五代前、正確に言えば六代目の聖女指名の儀だった。
選ばれた聖女はすぐに見つかり、聖女の祈りに供の者たちの条件も揃い、教義の学びを終らせた後に彼らは旅立った。聖女に、剣を扱う神官と魔法を扱う神官の二人を加えて。
「討伐対象は、やはり魔王だったのですか!?」
「いいや、聖女様を呼ぶ理由は一つ。この世を混乱の極みに落とし、女神様や主神様の品位を貶める行いをする外道を倒すため。つまり、無差別に民を殺戮し、それを楽しみながら他国を侵略せんとする凶王を討つためだった」
初代聖女の時の様に、彼女たちも戦場へ赴き、その殺戮王の首を取り、大軍勢を瓦解させた。まるで女神とそれに従う軍神のようだったそうだ。
「でも、女神様の加護には攻撃魔法はありませんよ?」
「しかし、兵たちを強化し、耐性をつけ、完全回復を無限にすることはできるであろう?それにな、何も聖女一行だけで立ち向かったのではないぞ。凶王の手が伸びかけていた各国の軍も加勢しておった。その者達全てに女神様の加護をお与えなさったんだ」
雑兵は加勢軍が相手をして蹴散らし、神聖結界に包まれた聖女一行は真っすぐに殺戮王へと向かい、そして女神様からの断罪を与えた。首を飛ばされ息絶えた王を看取り、聖女は大音声で終結の宣言をした。
「その時だ。凶王の手にしていた魔剣が別の者の手に勝手に移り、その剣を手にした者は狂ったように敵味方かまわず切りかかって行った。それを見咎めた聖女様は、すぐに元凶がその魔剣と知り、女神様の加護で封印して持ち帰った」
「では、それがあの勇者の剣……?」
エルミュース様は深く頷いた。
「帰還なされた聖女様は王に進言して城の奥深くの地下に封印の間を造らせた。そして、地下を掘った時に削り出された大岩に魔剣を封印なさった。聖女様の封印は誰にも解封できん。聖女様以外は。だが……七代目の聖女指名の時だった…」
その時にはすでにエルミュース様は大神官の座を退き、フォルウィークの王都から少し離れた町の神殿で神官長に戻って務めていた。王都で聖女指名の儀が行われるのは通達されていたし、北の大国から使者が訪れて魔の者たちが現れ我々を苦しめると訴えがあったと聞いていた。
実際に大国を中心に周りの小国を含めた一帯で、その様な騒ぎが起こっているとの噂は商人や旅人から耳にしていた。
「もう大神殿から離れた身だ。今代の聖女様の御役目が無事終えられるように祈る事しかできない。そう思っていたある日、いきなり王都から数人の神官と魔法師が訪ねて来た。用件は、先代聖女様に関わる一切のことについて口を噤めとの厳命だった。理由を聞いたが、王の勅命とだけしか言わん。だが、それに否と答えるならその場で命を失うことになると気づいた。だから頷くしかなかった……気づいた時には呪いに縛られておった」
なぜ契約の呪いまでと混乱する中、エルミュース様は今代聖女指名の儀の後に『勇者の選定』なる儀式が行われたことを知った。
供する者の条件を『勇者を選ぶ条件』にすり替え、力を持つ戦士を募り、『聖女の開封によって現れた勇者の剣に選ばれた者』を勇者とし、聖女一行の巡行が『勇者一行の討伐の旅』に仕立てられてしまった。
その時よりフォルウィーク王国は、聖女様に護られた国から、勇者と言う武力を持つ国と世に知れ渡った。
「勇者なぞ、もとより女神様も主神様も求めてはおらんかった。ただ、供として聖女様に助力するならと見咎められずにすんでおったのかもしれんな…凶王ほどの者がおらんかったことが幸いしただけだがの…」
フェリシア「エルミュース様は…おいくつなんでしょうか?」
りぃん 「この世界の人族は魔力持ちなんで長命ですよ。120~130が平均寿命かなー?」
フェリシア「では、私も長生きができますね!」
りぃん 「フェリちゃんは女神の加護があるじゃん?もっと長生きだね!頑張れ!清い乙女!」
フェシリア「……」
誤字訂正 1/7