第7話 聖女は心を決めて足を踏み出す
たっぷりと睡眠を取って目覚めたのは、もう昼近くの時間だった。慌てて着替えて荷物を纏め部屋を出ると、ちょうど私を呼びに来たカテリナさんとばったり会った。
アルフォーゼ様からゆっくり寝かせてやってくれと頼まれていたのとカテリナさんは話してくれ、昼食を一緒にと誘いに来てくれたのだそうだ。
私は一も二もなく了承し、大食堂へと二人で向かった。
そこではカテリナさんのご同僚が席を取って待っていてくれ、大皿に積んだ昼食の山を片手に、ごった返す食堂の中を軽やかに進む彼女の後を追った。
修道女の皆さんは明るく朗らかな方ばかりで、お仕着せの紺色のドレスでも凛として美しい所作を自然と取れる素敵な女性たちだった。
私の目元の腫れを見つけた一人が、とても心配そうに聞いて来た。何年ぶりかの同世代の女性たちとの会話は楽しく、そしてひしひしと伝わる彼女たちの優しさが嬉しくもあり、瞼を腫らすほど泣いた自分が恥ずかしかった。
詳しく話せない私は、ただ一方的に婚約を破棄され、しまいにはその原因を私の不貞とされて冤罪なのに追い出されてしまったと話した。そこからはもう、元婚約者への罵詈雑言の嵐だった。それだけで胸の中が、少しは晴れた。
午後からはアルフォーゼ様が作って下さった時間を頂いて、談話室へ移動すると昨夜の続きになった。
彼が一番気にしているのは、私がこれからどうするつもりなのか?だった。
「それをお話する前に、私はアルフォーゼ様に教えて頂きたいことがあるのです」
「いいよ?私の知っていることなら、なんでも教えよう」
「―――女神様がフォルウィーク王国の大神殿へ初めてご降臨されたきっかけは、一体なんだったのですか?」
私の質問に、アルフォーゼ様は虚を突かれたように表情を無くし絶句された。それは当然のこと。聖女に選ばれた私が知らないとは思わなかったのだろう。
「貴方は、聖女に選ばれ大神殿へ招かれた後、大神官から聖女と女神様に関してのお話をされたのではないのか?」
「いいえ。お話下さったのは、女神様がご降臨なさった時の神託『この世に現れた悪心を持つ者』、すなわち魔王を倒すこと。それに伴い、各国の王城や宮殿に寄って依頼を果たしてそれを修行の一環とすべし。聖女はあくまで後方支援なのだから、勇者たちを助けて必ずや魔王を討て、と」
アルフォーゼ様のお顔が、より一層険しく顔色までお変わりになった。
「……それではまるで戦闘指南ではないかっ!あの方は、一体なんのつもりでっ!!」
それは、アルフォーゼ様が私の前で初めて見せた怒りの形相と怒声だった。思わず竦み上がった私に気づいて、彼は咳払いをすると「失礼」と詫びてきた。
私だとてフォルウィーク王国に生まれ育った者だ。女神様ご降臨のお話は、親から寝聞かせ話や何か月かに一度やって来る巡回神官様から教えられている。でも、それはほとんど女神様が聖女を指名するためにご降臨なさった、と言う部分から始まる。なぜ、聖女が必要になったかは「世界に悪心が満ちて」と言った曖昧な表現がほとんどで、それが時には魔王だったり、時には巨大な魔獣だったり、酷い話では北の蛮族が戦争を仕掛けて来てと、話す人によって変化にとんだ物語を披露された。
幼い子供相手ならばそれでもいいだろうが、聖女に指名されておきながら詳しい歴史も知らないことが情けなかった。
「では、私から女神様ご降臨のお話を―――」
アルフォーゼ様のお話の冒頭は、大昔の大陸に広がっていた戦乱期から始まった。
大小様々な国が興り、戦力のある大国が次々と呑み込み、それをまた狙う別の大国やその隙に乗じて独立を果たす小国…と、絶えずどこかが争っていた。無力な人々は自国から追い出されたり逃げ出したりと流浪の民が増え、人の命など砂粒程度の価値しかない扱いの世界になって行った。
そんな中、ある一国だけが戦争を行わず、流浪民を引き受け入れて国民として厚く保護した。だが、いつまでたっても戦乱の世は収まらず、人々が疲弊しかけた頃、その国の――――。
「戦争を回避し続けて来た国とはフォルウィーク王国です。その大神殿の聖堂に、数多の神官達による命がけの祈りに応じて女神様はご降臨なさいました」
そこまで話し終えると、アルフォーゼ様はすっと立ち上がって後ろに林立する書棚から一冊の古い書物を手にして戻って来た。
そして、お茶で口を湿らせながらページを開いた。
「女神様はこうおっしゃられた『この世に蔓延る悪心を持つ者。同輩の命の流れを喜ぶ者。弱き者を甚振り虐げる者。その者らには、失った命と等価の贖いを。聖女を名指す故、公平な目と耳で裁き、万民に届く断罪を!』と。そして、一人の流民女性の名と居場所を告げてお還りになられた」
私は、目を見開きぽかんと口を開けてアルフォーゼ様を見つめていた。きっと間抜けな顔だっただろう。
だって、女神様のご神託が、こんなに長い物とは思わなかったのだ。
「私が教えられた神託の内容は、それの一部でしかなかった……のですね?」
それも、呆れることにその一部すら改変されている。
アルフォーゼ様は苦笑しながら、手にした書物を私の前に置き、神託の内容が記された箇所を指先で示してくれた。それは書物の古さと同じ古い文字だった。そして、文盲だった私は女神様の加護に助けられ、読み書きどころか古代文字まで読めるようになっている。
「これが、初代聖女の…」
「そうだよ。彼女は三人の神官を供にして戦場や避難してきた流民地を回って浄化や治療をし、戦争国の王を訪ねて行っては裁き、断罪して回った。そして、あっと言う間にこの世から戦争を無くした」
節の目立つしっかりとした指を目で追い、聖女の巡行記を読んだ。
その中の彼女は、年若く学のない平民ながら心を強く持ち、女神様の遣いである己の役目を自信と矜持を以て執行なさっていた。
「三人の神官……始めから勇者様がいらっしゃった訳ではないのですね。では、一体いつから…?」
「勇者に関する記述は、フォルウィーク王国大神殿の【至秘】とされ、他国の神殿には公開されていないんだ。その上、フォルウィーク王国大神殿でも、大神官しか目にすることは叶わない」
「なんなんですか!?それはっ!勇者様は、女神様や主神様の御遣いではないのですか!?」
「私個人の考えだが…御遣いではない、と思う。そうであったら、貴女同様に女神様なり主神様から直接名指しされるだろう。貴女に授けられた勇者の条件も…あれは……供にする者を選ぶための条件でしかないのでは?と、常々考えていた。ああ、これは内緒だよ?」
私はずいぶん悲壮な顔をしていたんだろう。アルフォーゼ様は場を和まそうとしたのか、微笑みながら人差し指で唇を押さえてウィンクして見せた。私はそれを見て、彼の茶目っ気に笑った。
それにしても、アルフォーゼ様のお考えになった内容は、とても現在の教義から外れている。でも、すんなり納得できてしまうのは、私が聖女として主神様から「勇者を選ぶための条件」を神託として賜る立場だったから。
今でもきちんと覚えている。
主神様の神託には、「勇者」と言う言葉は一言も出ていなかった。その代りに「供する者」と。
「確かに―――主神様は、供する者を選ぶ指針とせよ。と…」
「いつの間にやら、それは「勇者」に変換され、それを何も知らぬ聖女に教え諭し……つまりは、指導者の勝手な曲解だ」
私たちは互いの目を見つめ合い、黙したまま「それが真実なのだろう」と確かめ合った。
それにしても――――それなら、あの魔剣は?
「では、勇者の剣と呼ぶあの魔剣は―――」
勇者を自ら選ぶ魔剣。あれは、神の手から離れた場所に存在するモノ。
「それを含めて……貴女に会わせたい方がいらっしゃる。二代前のフォルウィーク大神殿の大神官を務められていた方だ。現在、隣国セルヴァ王国のとある町の神殿におられる」
「会いに行きます!」
私はすぐに答えた。セルヴァはこの逃避行の道程にある国。お会いしない訳はない。
アルフォーゼ様に頂いた手描きの地図を大切にしまい、見送りに出て来てくれた彼にもう一度向き合った。
兄と別れる時の様な寂しさが込み上げて来たけど、私は精一杯の笑顔を浮かべた。
「聖…いや、フェリシア―――今まで貴女は十分やって来た。ここで、修道女として暮らしてもよいんだよ?」
「それはまだ、できません。私には私の目的があります。それに…私がここにいては、必ず迷惑がかかります。どうか、この先の旅が無事に行くよう祈ってて下さいませ」
「―――貴女と言う人はっ!」
切なげに眉間を寄せたアルフォーゼ様は、強引に私の肩を引くと、その広い胸の中に私を閉じ込めた。
一瞬の出来事に、私は抗うこともなく強く優しい抱擁を受けた。見る見る顔に血が上って行くのを感じ、激しくなる鼓動に慌てるしかなかった。
「行かせたくない……いや、行かせねばならないんだろう、が…」
抱きしめられた時と同じく、唐突に腕は解かれた。
離れがたい気持ちの残滓を纏った指が、私の頬を撫でて行った。
言い回しを変更 1/1
寝物語はやはりマズイな…。