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センスレス  作者:
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センスレス (下)


 配偶者とガキが出てった翌日、俺は再び東京出張だった。朝早くの東海道新幹線に乗る。

 今日は向こうで部長と落ち合う予定だった。最近昇進したばかりのイケイケ部長。「部長」という響きだけでビール三杯くらいはいっちゃいそうなくらいその響きに酔ってた。

 ま、でも俺としては上司はそれくらいイケイケの方がありがたかった。がんがん進んでくれるから、俺は一歩後ろでそれを見ていられる。ありがたい。

 こんな日に限って季節外れの大雪だった。新幹線は米原で一時停止。窓の外を見ると、日本昔話で見たみたいな雪景色だった。白銀、美しく、とりあえず此れを写メに収める。写メ、配偶者に送ろうか、とも思ったが、思い直し、ナルナールに送った。

 意外と早くナルナールから着信。うわぁ、すっげぇ、雪。とのこと。うん、そりゃ見たら分かる。返信はしなかった。

 東京についても雪が凄かった。ほとんど吹雪やん、これ。なんて思いコートの襟を立てる。が、無力な春物。RPGで出会う最初の敵みたいにコートはあっさりやられる。春の雪って、三島じゃねぇぞ、この野郎。

 降りしきる雪の中、傘も持たずに走るカップルとすれ違った。彼女の方はもふもふのマフラーを首に巻き、男は厚手のピーコートだった。しっかりと二人手を繋いでいた。ええこっちゃ。それにしても寒い。足先から少しずつ身体が凍っていくようだった。もう多分、膝くらいまで凍ってる。あれやな。なんか、青雉みたいやな。ヒエヒエだわ。

 目に付いたスターバックスでホットコーヒーを飲んで「雪、止まねえかなぁー」なんて思って外の景色を眺めていたが、一向に降り止む気配はなかった。街は白かった。純白と言ってもいいだろう。白かった。俺、生きて故郷に帰れるのだろうか。

 待ち合わせ通りの時間に部長と合流。部長はまずは俺のコートを見て驚いた。

「お前、そのコートはあかんやろ。ペラペラやん」

「これ、春物なんで。失敗しました」

「あかんなぁ、お前。天気予報くらい見な」

 と、言う部長は厚手のロングコートにマフラー、手袋。完全武装と言ってもいい格好だった。多分ちゃんと天気予報を見たのだろう。

「じゃ、行きますか?」

「うん、あんな。てかさ、俺、ちょっとニンニク臭くない? 口、大丈夫?」

「はぁ、別に大丈夫やと思いますよ。どうしたんですか?」

「いや、東京着いてラーメン食べてな。ついついニンニクのせてもうたんよー、これがさぁ」

「あ、そういう事ですか。でも全然臭わないですよ。大丈夫ですよ」

「うーん、いや、あんだけのせて臭わんのはおかしい。お前、ちょっと鼻悪ない?」

「いや、言われた事ないですけど……」

「ちょっと今日はあかんわ。俺、なるべく口閉じとくわな」

「はぁ……」

 俺の知る限り人間は口を開かないと喋れない。あ、いや。腹話術師ならいけるか。となると今日は俺が腹話術人形て事? 否。部長はきっと腹話術なんて器用な事はできない。

 結局、その日はほとんど俺が話した。イケイケ部長は口をつぐみ、途中何度も頷いた。頷きだけはイケイケだった。外に出てもう一度嗅いだが、やはりニンニク臭くなどない。何だかなぁ。



 打ち合わせが終わってから一人、雪の中を山手線で池袋まで足を伸ばした。

 サンシャインの近くにある大型ブックオフで何冊か本を買い、安居酒屋で酒を二、三杯やって手持ちのアイポッドで音楽を聴いた。

 俺は音楽が好きだ。

 だって音楽は光だ。光そのものだ。バンプオブチキンの音楽はなぜあんなに輝かしい光を放てるのだろう? キャロル・キングの音楽はなぜあんなに切ないのだろう? クラムボンの音楽はなぜあんなに温かいのだろう? たくさんのなぜ? が頭を過る。

 ドゥービー・ブラザーズのホワット・ア・フール・ビリーブスのピ、ピ、ピッ、ピッ、ピだったり、ドナルド・フェイゲンの雨に歩けばのテー、テ、テ、テー、テー、テー、テ、テ、テ、テーだったりが好き。本当に好き。

 しかしやたらと女の子のバイトが多い店だな。さっきから入って来る子、入って来る子、みんなバイトの子だ。しかも皆、なかなかの上玉ときている。「おはようございまーす」なんつって言って挨拶してるから間違いない。普通の客ならもう夜だし、そんな事は言わないだろう。黙って何人、てのを指で示したりするだけだ。

 ビールより単価の安い、やくざな焼酎に切り替えて酒盛りを続ける。やくざな焼酎はアルコールそのものの味がした。世紀末みたいな味。酔った。

 音楽が甘ーく、頭に浸透してくる。酔いのおかげでそれはいつもより深く、深く、俺の中に入ってきた。ちらちらと可愛い女の子達を見る。たまらんね。芸術と女。それ以外に楽しい事なんてこの世にあるのかな? 俺の人生にあるんかいな? なんて思う。

 そんな事を考えていたらじゃがバターのバターがすっかり溶けていた。ドロッドロに溶けていた。

 お気に入りの屯ちんラーメンで締めた後、さぁ、どうしようかなぁ、なんて考えてたら急にむらむらしてきた。むらむらと。多分、さっきのきゃぴきゃぴ居酒屋バイト女子達のせいだ。急に街中の女子達の突っ張った乳達がやたら目に付く。くうっ。えーい、こうなったら、ソープランドにでも沈んでやろうと、地下を潜り池袋の西側へ移動する。

 西池袋の街をうろうろ。ソープの看板をちらちら。その中でも気に入った店に入り待ち時間の確認や値段交渉をしてみるが、どうも俺のニーズと合致しない。またしても、まいったなぁ。なんて呟いてみて、妥協に妥協を重ねて結局リーズナブルな「人妻専門」のソープへ足を踏み入れる(ほんとかよ)ま、ここなら直ぐに入れるだろ、なんて思い。

 いかにも胡散臭い階段で地下へ下り、安っぽいぴこぴこ音に迎えられる。受付にはこれまた胡散臭そうな男。タキシード。口元には髭。

「いらっしゃいませ」

「あの、一人なんやけど」

「現在待ち時間が一時間半程度ございますが」

「えっ、一時間半も?」

「ええ、一時間半」

 なんてこった。こんな胡散臭そうな「人妻専門」のソープでも一時間半も待ち時間があるのか。どうかしてる。池袋どうかしてるよ。

 しょんぼりして再びエロを求め西池袋を闊歩していると、ポケットに配偶者から着信。こんなタイミングで。

「もしもし」

「もしもし、あ、今大丈夫?」

「あぁ、うん。大丈夫」

 てめぇ、何日も家を空けていながら大丈夫もクソもないだろ、と思ったが何も言わない。

「なんか騒がしいなぁ。どこにいるの?」

「ん、今、池袋」

「あ、東京に行ってたんや。出張?」

「うん。で、何?」

「さーちゃんが全然泣き止まないのよ。鼻も相変わらずずるずるだし。こんな事今までなかったから心配で……」

 さーちゃんとはうちのガキの名だ。思えばさっきから電話の向こうでびー、びーとガキの泣き声が聞こえる。

「そか。どれくらい前からなの?」

「一時間くらい前かな」

「一時間前か」

 ちょうど俺がソープ街を闊歩しだした頃じゃねぇか。

「分かった。時間はかかるけど、とりあえず帰るよ」

「そうしてくれる? お願いね」

「うん、じゃまた」

「また」

 結局、抜けずのソープ街を後にして俺はJR池袋駅の改札まで戻る。残念、無念。

 改札の近くでわらび餅の店があった。わらび餅は配偶者の好物。せっかくだから手土産にしよう、と名案。

「これ、どれくらい日持ちします?」

「んー、あんまり持たないですねぇ」

「あ、そう。今から新幹線に三時間くらい乗るんやけど、大丈夫かな?」

「それくらいは大丈夫だと思いますよ」

「ほな、一パックくださいな」

「あいよっ」

 店員さんがわらび餅を包んでくれているのをぼーっと見る。何だか職人気質な店員さんだった。すると急に、

「お客さん、どこまで帰るんですか?」

「大阪だよ」

「大阪かぁ! 僕も昔、大阪で働いてたんですよ。上新庄で」

「あ、そうなの。上新庄、知ってます。知ってます」

「お、お客さん、じゃ、あれだ。トリシマポンプ、知ってます?」

「えー、あ、まぁ。知ってますけど」

「おぉー、嬉しいなぁ」

 そう言って満面の笑みでわらび餅を差し出してくる。

 トリシマポンプ、酉島製作所は大阪府、高槻市に本社を置く公共用・産業用ポンプを主に取り扱っている企業だ。俺はたまたま昔付き合っていた女がその工場の近くに住んでいたから知っていたが、大阪人なら皆、トリシマポンプを知っていて当たり前なのだろうか? どーなんだろ。なんて思っていたら、また、配偶者から着信。

「もしもし」

「あ、もしもし。さーちゃん、泣き止んだわ。んで、寝た。今。なんか大丈夫みたい」

「あ、そう。なら良かったけど」

「ほいじゃーね」

「うん」

 とりあえず良かった。

 はぁ。日持ちのしないわらび餅を抱え、JR池袋駅改札。大丈夫なのかぁ、良かった、良かったー、ほな、改めて一発抜きに行きますかぁー、ともいかない。もう、諦めて山手線に乗り込む。故郷へ続く新幹線を目指す。トリシマポンプの待つ故郷へ。

 気分が晴れないので新幹線のトイレでエックス・ヴィデオで一発抜いてやった。電波が悪くて、動画がしきりに止まる。非常に見辛かった。



 週末のカラッと晴れた天気の中、二階のバルコニーに洗濯物を干す。順番に。かつ、落とさないよう、慎重に。

 バルコニーの向こうに一羽の蝶が飛んでいた。俺は年甲斐もなく、捕まえたい、なんて思いバルコニーから身を乗り出して蝶に手を伸ばす。その時、ちょうど、一台の車が軒先きに停まった。車種はビーエム。ナルナールだ。

「よぅ」

「おう。何だよ突然」

「近くまできたからさ。おるかなって思って」

「そうか。今降りる。上がってけよ」

 俺は一階まで降りて玄関を開ける。ナルナールをリビングに通し、粗茶を一杯。俺にも一杯。久しぶりやな、なんて。お互いちょっと老けたみたいだった。それにちょっと恰幅もよくなってる。

「よくここが分かったなぁ」

「お前、この前メールで住所言うてたやん」

「あれ、そうやっけ」

「そうだよ。今日、奥さんと子供は?」

「いねぇ。二人で友達の家に遊びに行った」

「そかそか。なんだ、てっきりまた愛想つかして出てったんかと思ったよ」

「馬鹿やろ。そんなんもうないよ」

 と、誤魔化す。二人が一時帰って来なかったのは、つい先週の話だ。

「すげぇなぁ。戸建。買ったん?」

「買った。まぁー、俺等もええ歳やからね」

「せやなぁ。俺は転勤族やからなかなか家買うって気にはならんわ」

「あー、それも辛いなぁ」

 なんて話して小一時間。ちゃんとした話は最初だけで、後は誰それが最近どうだ、なんて噂話や、先週のサザエさん見た? とか、村上春樹の新作は文庫本になるまで待つ、とか、やっぱ焼酎よりビールやぁーなぁー、なんて話して。だらだら休暇の午前中を浪費した。

 唐突に奴は、

「じゃ、俺。そろそろ帰るわ」

「おう」

 いったい此奴は何しに来たんだ、なんて思いながらも軒先きまで奴を送る。件のビーエムは近くで見ると写真よりもずっと大きく見えた。

「すげぇ車やね」

「だろ?」

「うん。高かったんやない?」

「そりゃー、お前。ビーエムやで」

「うん」

 本当に大きい。七人は乗れるのではないか。と、思い後部座席を覗き込むとチャイルドシートが一つ設置されていた。そう言えばナルナールの家にも去年子供が生まれたんやった。

 この車なら、あの大学二回生の春の夜のメンバー、皆んなで酒飲んでボーリングをしたメンバー、みんなナルナールの車に乗れるんじゃないかと思った。でも駄目だ。まず、ナルナールの奥さんと子供、それでもう三人だ。あの夜のメンバーはナルナールを除いて五人だから乗り切れない。それに今ではみんな、それぞれに家族がいる。俺だってそうだ。時が経ち、またも俺達はナルナールの車に乗れ切れない。

 みんな、七人乗りの大型車でも乗り切れないものを抱えて生きている。単位のない世界の中で毎日、黙々と。でもそれを恥ずかし気もなく幸せと呼んでしまっても良い気がする、なぁ。

 バイバイ、なんつってナルナールを見送った後、洗濯物を干している途中だった事を思い出す。俺はバルコニーに戻り、再び慎重に洗濯物を干した。全部干し終わると不思議と誇らし気な気持ちになった。

 バルコニーに揺れる、俺のだるだるのボクサーブリーフ、その横につるりとした配偶者のパンティ、またその横に小さな真っ白いガキのパンツ。ゆらゆらと。向こうには澄み切った青。

 俺はそれを眺めて冷蔵庫から取ってきた缶ビールを一杯やる。

 桜、まだ咲かねぇかな、なんて思いながら。

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