夢
悲しい夢を見た。
正方形の部屋、壁一面真がまっ白な部屋。
私はその部屋の入口に立っていた。
部屋は散らかっており、衣類や小さなゴミがあちこちに散乱し、大きなゴミ袋が部屋の隅に積まれていた。
正面奥は一面窓になっており、カーテンも掛けられてない窓からは柔らかな陽光が射していた。
そんな部屋の真ん中に、病院にあるような、質素なベッドが置かれていた。
ベッドの周辺にはゴミや衣類は無く、まるで周りを縁どられたかのように床は綺麗だった。
私は足元のゴミや衣類を気にせずベッドの方に進む。
私はベッドの横にった。
母が眠っていた。
白いシーツ。白い死装束。白い肌。
窓から射し込んでくる光が、母を柔らかく包んでいる。
触ることも、声を掛けることもなく、私はただ、母が居る。とだけ思った。
そして、安心した。
だが同時に、悲しくなった。
ずっとこのままなのだろうと、何故か思った。
涙が視界を霞ませる。母の像が歪む。
いけない。このままでは、母がいなくなってしまう。
そう思い。涙を拭おうとして。
目が覚めた。
酷く悲しい夢を、見た気がする。
私は普段、あまり夢を見る質ではない。
だが、今日は休日だ。
夢を見たのは、いつもよりよく眠ったせいだろうと思った。
顔を洗おうと思い、私は何気なく頬を触った。
濡れている。
泣いていたのか。
夢を見ながらでも、泣くことはあるのだろうか。
それ程に、悲しい夢だったのだろうか。
頭が明瞭となった今となっては、皆目思い出せない。
午前10時。少し遅いが、朝食にパンでも焼いて食べようかと思った。
オーブンにパンを入れ、ダイヤルのタイマーをセットした時、
電話が鳴った。
私は、何かを思い出したかのように不安になった。
急ぎ相手を確かめる。
父だ。
私は更に不安になる。何処から湧いてきたかも分からぬ不安に、微かに手が震える。
ダイヤル式のタイマーが、ジリジリと立てる音が、やけに耳に響くように感じる。
私は震える手で、電話を取った。
「もしもし?」
『おお起きてたか。電話に出るのが遅いんで、休みにかまけて、ぐうたら寝てるのかと思ったよ。』
酷いなぁと言いながらも、不安が募ってゆく。
父は要件も何も無く、電話をかけてくるような人ではない。
「それよりも、何かあった?」
『そうだよ、どうでもいい話をしてしまった。実はな、』
緊張する、少し手が汗ばむ。
この後の話を、不吉な話を予想している自分が居る。
『母さんがな』
あぁ不安が。
これ以上聞くと、不安が現実になってしまう。
『転んだんだよ』
「…はぁ?」
私は、その一言と共に、呆けた。
『だから転んだんだよ、家の中で。
そんときに腰を痛めてしまってな、本人がしょげちまったんだ。
医者も大したことないって言ってんのにな。
だから、後でお前から母さんに電話してやってくれ。』
上の空で聞いていた私の返事も聞かず、父は要件だけを一方的に喋り、電話を切ってしまった。
暫く携帯を片手に、棒立ちのまま、両腕をだらりと下げて、呆けていた。
そして、途端に馬鹿馬鹿しくなった。
夢は夢でしかない。
所詮は、自分の頭が眠っている間にでっち上げたモノだ。
そんなモノの内容が、いくら不安なものだって、いくら不吉なものだって。
現実になる訳がない。
そもそも、今となっては何一つ思い出せないのだ。
ただ、不安で、悲しい気持ちになっただけで…
悲しい夢。
私はそれを見て、泣いたのだ。
眠っていながらも、泣いてしまうほどのそれは、一体どんな夢だったんだろう。
この前、テレビで偉そうなお医者さんが、夢の内容を思い出すのは頭に良くない、とか言ってた気がする。
でも、それでも…
タイマーがチン、と鳴る。
パンの焼けた、香ばしい香り、腹をぐぅと鳴らせた。
あぁ、そういえば、お腹すいたなぁ。起きてからまだ何も食べてないし。
そういえば、父さん後で、母さんに電話しろって言ってたな。
まぁ、急ぎでもないだろうし、後でもいっか。
私は夢のことなど何もかもを忘れて、パンを頬張った。