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第四火薬庫  作者: 敗綱 喑嘩
第一章
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04

04 サン=リュ=トゥユリコの弟子

 数多の人の行き交う大通り、私は師匠、〝濃霧〟のサン=リュ=トゥユリコの後ろを歩き、透明感のある肩の肌から漂ってくる快い香水の香りを嗅いでいた。水の最高位魔術師の一人であることを誇るかのような、その拳のように大きな水色の髪留めが、齢が六十を越えていることを、こちらはひた隠すように瑞々しくある金の髪を縛めつつ、ゆらゆらと項の辺りで揺れている。この十三騎士様が何かを思いついて私へ話しかける度に、つまり振り返る為に、その顔貌がこちらへ(あらわ)となるわけだが、魔力や美容品の消費を伴う多大な努力によって、それは十七もいかぬ乙女のものにしか見えず、極上といっても差し支えない器量と相俟って見る者を魅了するのだ。私だって、トゥユリコ師匠の絶大な実力――と、激しい気性――を知らなければ、ぞっこんとなっていただろう。

 また師匠が何かを思いつき、つまり私にちょっとした幸福な時間が訪れた。宗教画を思わせる美貌が、実際の肉として声を発してくるという光景は――他でもないこの師匠による――私の日々の心労を慰めて余りある。

「そう言えばさあ、今年の水牛の日私忙しいから、あなた、私のお世話休んでいいわよ。鍛練の方はまあ、やりたければやればいいでしょうけれども勝手にやってね。」

 水牛というのは、神話上の動物である。なんでも、火による災難から護ってくれるとか何とか。

「はい、分かりました。」メモを取り出して書き留め始める。「朝一から晩まで一切居なくても良い、ということで構いませんか。」

 師匠は、脣や顎を左手で包むようにしてちょっと考えてから、

「えっと、そうね。やっぱり朝一だけ来てくれるかしら。ちょっとしたことを手伝って欲しいのよ。」

「手ぶらというか、空手で宜しいですか? 何か御用意するものは、」

「ええっと、それは大丈夫。あなたの体、というか魔力の器が有ればいいわ。」

「諒解致しました。」

 私は気が付いたことを口にした。

「しかし、水牛の日とは随分先の話ですね。なんの御用が有るのかお訊きしても、」

「駄目。アンタを失うのは惜しいもの。」

 ……聞いたら口を封じねばならんということだろうか? 恐ろしい話だ。

「しかし、私にすらそこまで真剣に言えないということは、なんとなく用向きの想像がつきますが、」

 師匠は背を向けたまま、そこだけ裸となっている肩を竦めた。

「まあ、そういうことよ。私の〝腕っ節〟が必要なくらいに面倒で厄介な事態がその日有るわけ。」

 ここで、何かに気が付いたように足を止めると、師匠はくるっと翻って私へ相対し、

「ああ、だから、そのことは絶対に内緒よ、良いわね!」

 ……往来の真ん中で言うことですかねえ、という言葉を返す代わりに、私はこれ見よがしに目を左右へ游がせた。

 しかし、この皮肉を受けて、師匠は不敵に笑むのだった。首を傾げる私へ向けて、師匠は親指で指し示すことで、右を向くことを促してくる。素直に従うと、おや、大道芸師が火の魔術を使って見せ物をしているな。我々にとっては陳腐この上ない、手から炎を出してみたりそれで獣や龍の形を象ってみたりという程度のものではあったが、魔導の心得の無い市民の目を楽しませることは出来るらしく、そこそこの観衆を集めていた。しかし、妙だ。彼の操る炎が空気を焦がす音が聞こえてこない。もしかすると炎の音を消す術がこの世に有るのかもしれないが、見せ物としては寧ろ音の鳴った方が派手で良かろうに。

 ちょっと見ている内に芸が終わったらしく、大道芸師が一礼し、観客からの拍手の音が、……おや? 聞こえてこないな。

 ここまできて、私は漸く師匠の仰りたい所を理解し、正面を向き直した。彼女が――恐らく、私への合図的なもの以外の意味を無しに――指を打ち鳴らすと、万雷の拍手が右耳を劈きはじめる。ついでに、焦げ臭い香りも鼻へ運ばれてくるようになった。

「はあ、」私は素直に師匠への感銘を示す。「風魔術か何かを使っての、防音障壁、ですか? そんなことも出来るとは存じ上げませんで。」

 また師匠の肩が竦められた。

「余技、というか、ピアノのレッスンで言う所の練習曲みたいなものよ――相当レヴェルは高いけれどもね、数える程しか可能な術師が居ないくらいには。別にこれを自体を身に付けたかったわけじゃないわ。天候にはあまり関係ないしね。」

 そう、師匠は、〝水〟を専門としながらも〝風〟の系統の魔術にも造詣が深いのだ。サン=リュ=トゥユリコはある時から――私が生まれる前の話である――水一辺倒からの転向を起こしており、水と風の属性を組み合わせた魔術で天候を操ることを志すようになった。その成果の一つが、ある戦役で大きな戦果を挙げ、彼女の()()ふたつ名である〝濃霧〟を与えたのである。

「まあとにかく、私とあなたを取り巻いていた気流の壁、その向こうからの音が聞こえないってことは、こっちからの話し声も外へ聞こえないということなの。分かる?」

 全く分からない。そうして再び首を傾げる私へ向け、師匠は大きな溜め息をつき、

「あなたね、本当に天候操作の研究へ身を投じる覚悟があるの。あまりにも自然に対して無知ではなくて。」

 魔術の方の訓練も有るし、あなたが働かせるから中々勉強する時間もなあ、と正直に吐露すると雷が落ちてくる――下手すると本物の方だ――ことが分かっていたので、申し訳なさそうに返事をすると、師匠は、思う所が彼女なりに有ったのか、

「まあ、こんどから隙をみて講義してあげるわよ。」

 そして、また向こうを向いて歩き出しながら、

「では早速。いい? この世界は、概ね空気というもので満たされていて、それは水の如く隙間無く、」

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