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38 クリュー=マッザ
嗜みと言うか、心得と言うか覚えと言うか、とにかく、ドラゴンを扱う時には万一の時のためにナエグ草を携えておくのだと、かつて師から口酸っぱく言われたお蔭で俺は何とか生き延びたわけだ。まあ、自分のではない龍へ向かって使うことになるとは思わなかったがよ。
っ、
痛え、痛え。目茶苦茶に痛い。血も、このままでは、足りない。畜生、畜生、後、一歩だったのに、後は他の奴らに任せるしか、無いってのかよ。
走る為の気力も体力も無くなり、茫然と小路を歩いていく。通りに人気はなく、その代わりに、それを追い出した音、爆発や魔術や殺戮の気配が周囲から漏れ入り闊歩していた。一際大きな爆発音が届く。蹌踉めいて、転びかける。
体勢を直して、前を見ると、おや、向こうに居るのは、
「ギランド!」
その、ボロボロの男は、いつにもまして酷い顔をこちらへ向け、駆け寄ってくる。良かった、元気なようだな、俺と違って、
「クリュー、」
無事だったか。そう、ギランドは続けようとでもしたのだろう。しかし、そこで絶句が起こった。俺の手を見ようとして、叶わなかったからだろうか。
それとなく、俺は腕を背へ回し、左手首からの血の噴出を隠そうとしたが、ギランドの奴にその腕を摑まれた。
「おい、どうした、これ、」
「貪食の奴に左手を丸々喰われた。もう、お終いだな俺は、」
「何を、馬鹿言っていやがる、」
「ああ、勘違いをするな、魔獣乗りとして終わりだって言ってんだよ。龍を始めとして、多くの魔獣は両手で操るように調教される。片手じゃあ、どうしようもなあ、」
「とにかく、血を止めさせろ! 貸せ、というか、まず座れ、」
軽く、話した。火薬庫の屋根に穴を空けてやったこと。貪食から命からがら逃げ延びたこと。そして、上空から見る限り、同胞たちに勝ち目が無さそうなことを、なんかをだ。ギランドは治療の為の作業をしながら黙って聞いていた。手当てをされる中、また、遠くで何かが爆ぜ、何かが倒壊する音が聞こえてくる。沈黙が際立ち、ギランドが気の毒になった。こういう事態によって、己のことのように、あるいはそれ以上に気を病む、ギランドはそう言う男で、俺とギランドはそういう仲だからだ。
「おい、」しかし、手を動かすギランドは湿っぽくなかった。寧ろ、威勢良く、「両手が有れば、良いんだな。」
「ああ?」
思わず、そんな気の抜けた返しをしてしまった。俺の左手首に即席の繃帯を巻き付ける為に、顔を伏したままギランドは、
「聞け、クリュー。そこの角を曲がった所にな、魔獣屋がある。当然、この騒ぎでは店主も逃げて蛻けの殻だ。そして、そんな慌てて逃げたものだから、商品は全部残っている。
そして、御覧のように、俺は一応五体満足だ。」
〝商品〟。そんな呼び方をするんじゃねえ、と、いつもなら憤っている所だが、幾重にもそんな場合ではなかった。
「で?」
「で、も何も有るか。お前なら分かってんだろ、俺の言いたいことがよ。どうだ、出来るのか。」
ギランドが顔を上げる。傷と痣だらけの顔の上で、両の瞳が、雄々しく戦意を燃やしていた。
「ああ、」ぼんやり、答えはじめた。「でき、なくはないだろう。未熟な魔獣使いを指導する際に、そういうのは一般的な手法だ。だが、俺にはそんな経験が、だってよ、弟子なんか取る身分でもないし、」
「なら、」
痛え! ギランドが、俺の傷口を繃帯の上から思いきり握ったのだ。俺に苦悶に気付いているんだかいないんだか、とにかく構わずにギランドは、
「俺を最初の弟子にしろ、お前の一番弟子にしろ。こんなところで、引き下がっていられるものか。ここまで来たんだぞ!」
ギランドの覚悟を感じた。そして、部位の喪失と痛みの衝撃でどこかぼやけていた俺は、ここでしかと思い出す。そう、当たり前だったのだ。俺達は、覚悟を携えてここに来ているのだ。馬鹿野郎。今更、危険がなんだ。左手がなんだ。
俺は、残った方の手の指先で額や顳顬を撫でつつ、少しだけ考え、ひとつ頷いてから立ち上がった。躊躇ったのではない。どうすれば一番上手くいくかを、ちょっと迷っただけだ。
「お前が言い出したんだ。どうなっても文句言うなよ。」
そうして、歩き出し、
「その魔獣屋はどっちだ、案内してくれ。」
「ああ、任せろ、」




