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31 モズノ=カナカ
トゥユリコがその杖を振り下ろすのへ呼応するように、――あるいは、実際に魔導的に連動して――数も知れぬ氷槍が私へ降り注いできた。その宝石のように清らかな刃は、背景として巨大な赤茶色の建造物を背負っていても尚見えづらく、その殺傷能力を更に増している。押しつぶすような戦慄に、思わず目を伏せて頭を抱えたくなったが、ええい、モズノ、ここが正念場だ、今こそ、私の力を見せるのだ!
重力と、トゥユリコの風に乗って飛来する刃の軌道。私はその殺意へ直接逆らわず、ほんの少し、ほんの少しだけ力を加えてやる。ほんの少しと言っても、私からすればかなりの努力を要するのだが、とにかく元の運動量と比べればほんの僅かに相当する仕事を、刃へ与える。具体的には、両手で先のほうを摑んで突き出した杖の先端から、前方へ突き出る半橢円体を描くような風を、思いきり放射するのだ。刃達の、私へ向かって真っ直ぐ束ねられた軌道は、それぞれが微妙に私の中心から外れていた分、横腹から私の風に押され、丁度その束を解くように散開し、勝手な方向へ外れていった。振り向くわけにはいかないが、窓の割れる音や壁が穿たれるような音が背後でし、トゥユリコの顔の忿怒へ、より複雑なものが混入しはじめた。騎士たるもの、都市を破壊することへの躊躇いが働くのであろう。
その躊躇いに駆られてか、はたまた初撃で仕留め損ねたことで焦れたか、とにかく、トゥユリコは露骨に、より強烈な攻撃の準備を始めた。先ほどの倍は有ろうかと言う数の氷槍、倍は強いかと思われる風が、私を狙い澄まし、そして、杖が振り下ろされ、
再び杖を突き出す。目一杯、死に物狂いで風を放つと、再び、何とか刃達を私から逸らすことが出来た。しかし、背後から聞こえる破壊音が、先ほどよりも大きい。威力が高いと言うだけではない、きっと、音源、すなわち着弾箇所が近いのだ。つまり、殆ど軌道を反らすことが出来ていない。
まず、このままでは持たない。もう少し、もう少し待たねばならないのに。
そう、思う私へ、トゥユリコは突然叫んで来た。
「何故だ!」
突然の呼びかけを怪訝に感じながらも、素直に返す。こちらからも風を貫通出来るように、有らん限りの声で。
「何が!」
「その若さでそれだけの伎倆! 頑健な意志によって磨かれたに違いない!」
「ええ、そうかもね!」
「それほどの、尊き精神を持つ者が、何故、市中の火薬庫を攻撃すると言う、馬鹿げた、真似を!」
街中にそんなものを作ったのはそっちだろう。とも思ったが、より、重大な憤りを、私は叫び投げた。
「何を言う! 貴様等だ、貴様等の方だ!」
「はあ? 何を、わけの分からぬ、」
轟々と互いの風が鳴っている。風使いとして鍛えられている我々の聴覚だからこそ、何とか成立しているこの会話は、段々と様相が変わってきた。トゥユリコの忿怒の灼熱から、私の忿怒の灼熱へ。
「黙れ! 貴様等が、貴様等さえ居なければ、私達は、ずっと、長閑に、平和に、」
濃霧が眉間に皺を刻む。その隙を、衝くように、
「死ね、悪逆な大魔術師よ、この都市と共に、こんな国と共に!」
「なるほど、小娘、貴様の狙いは、思いはそこか! この国の進撃を、止めるつもりか! しかし小娘、貴様等の狙いが成就すれば、幾人がここで死ぬと思っている! 何が違う、貴様の責める所と、何が、」
「アンタらこそ、何だ! そう、アンタこそだ、トゥユリコよ!」
「何を、」
「アンタこそだ! アンタこそ、それだけの魔術を修めるのにどれだけの鍛練を積んだ! そしてそれを支えた精神は、この国の、今の姿を何故許している、悪逆を窮め、貪るように他国を滅ぼす、ネルファンの姿を、何故許すことが出来るの!」
トゥユリコが、歯を喰い縛る。泣き出しそうにすら見えるが、しかし、その気勢は無くならないままだった。
「貴様が何を知っている、四半世紀も生きていない小娘が、」
もう少し、もう少しだ。
トゥユリコの声音が嗄れはじめた。
「平和を語るか、平和を愛すか! 良かろう! しかし、それは、平和は、単に愛し、語れば手に入るものでもないのだ! この世は、――少なくともこの国は、ネルファンは、貴様の世間知らずな頭では到底理解の及ばぬような、柵を抱えており、」
よし。
私は、杖を振り上げ、トゥユリコの語りを折った。ちょっと訝しげになったその顔へ、
「御託は沢山だ、さっさと、もう一度来なさい、この腰抜けめ!」
私と会話によってか、これまでどこかぼんやり散漫となっていたトゥユリコの怒りが、一瞬にして錐のように研ぎ澄まされた。そのような変化を、濃霧の、この世のものと思えない相好が教えてくれる。
「良かろう、」
と、恐らくトゥユリコが風の向こうで言っている。聞こえない。
「そんなにこの国が嫌いならば、今すぐに送り出してやる、冥府でもどこへでもな、」
更に数を増した氷塊が、トゥユリコの周囲に展開された。最早、トゥユリコが背負っている赤茶色の建屋の全容が覆い隠されつつすらある。私は、その屋根の辺りへ視線をやらぬように努力した。
トゥユリコの醜い杖が振り上がっている。
「潰れろ、」
そう、口が動き、杖が振り下ろされた。
文字通り、叩きつけてくるような風が、トゥユリコの方から私へ向かって吹き注ぎ、氷の質量が私の元へ運ばれてくる。ああ、これは無理だ、凌げない。そもそも魔力も殆ど涸れている。そう、覚悟した私は、諦め、抗う代わりに、つい、……ああ、何と愚かしいのだろう! つい、自らの命の成果を見届けるべく、向こうで偉容を誇ってる建築物の屋上へ目をやってしまったのだ!
老獪なるトゥユリコは、一瞬の、私のこの迂闊を見逃さず、目を見開いて蒼白となった。何かが有ると察してしまったのだ。風の吹き荒れる中で、背後を確認しようとし、つまり振り返ろうとし、その露となっている右肩をこちらへ晒してこようとする。しかし、叶わなかった。我らの同胞が屋根の上から投じた、数々の戟、槍、剣、その他目茶苦茶な金屑が、トゥユリコ自身の風に乗って襲いかかり、トゥユリコの身を、針鼠の如くし、弾き飛ばしたのだ。私へ氷塊を届ける為に風を吹かせば、より後方から気流を持ってこねばならず、つまり、トゥユリコよりも後方から刃を投ずれば、当然、トゥユリコ自身も、その殺意の対象となる。この発想に立った作戦はこうして功を奏し、偉大なる魔術師を、とうとう、仕留めた。
私は、一瞬、一瞬だけ満足を噛みしめることが出来た。何故一瞬だけかと言えば、次は私の番だったからである。
襲いかかる金屑たちの猛烈な勢いは、まるで、帆船に轢かれるかのような印象を私へ与えた。




