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02 モズノ=カナカ
「正気ですか、モーレさん。」
あまりにも馬鹿なことを言い出した上官へ今、忌憚なくこう申し上げているうら若き女魔術師が、この私モズノ=カナカである。上下の間で緊密な協力が必要となるこの隠密工作部隊では、他の部署と比べ、こうして人間間が少々馴れ馴れしくなるのが特徴であった。勿論、正式な命令や辞令においては、絶対に従うのであるが。
「いやまあ、我々も隊長殿の正気を疑ったよ。しかしねカナカ君、昨日のあの方は珍しく、素晴らしい青写真を持ち込み、そして私の知る限りで初めて、あの場の人間全員を肯わせたのだ。」
私の横で一緒に話を聞かされていたギランド=サーンが、今度は口を開いた。一語一語とともに、男らしく張っているその顴骨が蠢く。
「モーレさん、確かめさせて下さい。あなたは――というか輝かしき隊長殿は――、我らが仮想敵国、ネルファン国の大火薬庫のひとつを爆破しようと言い出したわけですね。合っていますか?」
「ああ、正しい。」
私は、困った時のいつもの癖で、得物である杖、風の魔術の詠唱用に特化させたその先端を、右の頬へべったり添えつつ、
「ネルファン国の大火薬庫群、六十年前に造り上げられたそれらは、水の魔術や魔力を利用した魔導障壁や魔力場、そしてその他の仕掛けが幾重にも張り巡らされ、たとえこの世で最も優れた火の魔術師達――それら二人ともがネルファン国に居るのは頭の痛い所ですが――であろうとも、燐寸一本燃やすことの出来ないとされる場所である、と認識しておりますが、」
「ああ、それは確かだ。」この場に居る最後の人間、私やギランドの同僚となるクリュー=マッザが先を継ごうとする。「モーレさん、俺は丁度ネルファン国へ潜入している時に見たんですよ、大火薬庫の〝安全性〟のデモンストレーションをね。ああ、正確には、同じような仕掛けの施された場所を使っての見せ物でしたが。とにかく、燃え滾る油樽を投げ込んでも、全く延焼しないどころか一瞬で炎が消えてしまった。まるで、ああ、窒息しているみたいだったわけです。」
魔術に明るくない彼の得た印象やそこからの説明は必ずしも要領を得ていないが、そんな細かいことはどうでも良かった。
「クリューの言う通りです。そりゃ、第四火薬庫を攻撃出来れば、魔術大国ネルファンの技術力を誇示するかのごとく――いや、恐らくは事実そうしているのでしょう――平然と首都の町中に建てられた火薬庫が大爆発を起こすのですから、大混乱を起こすことが出来、物的損害以上に大きな成果を得ることが出来るでしょう。」
「ああ、君は相変わらず聡明だ、カナカ君、実際、その爆破作戦の成功の暁には、師団で首都を攻撃する予定なのだよ。まあ、細かいことはこれから変わるかもしれないが、今のところの大ざっぱな計画としてはな、」
「モーレさん、」ついつい、蠅を払うかのように杖の先を揺蕩わせつつ、私が返す。「成功したらどうこうというお話は、まだどうでもよいのです。まずは、命を懸ける我々を納得させるべく、大火薬庫を炎上させられるという根拠をお示し下さい。」
「おやカナカ君、臆病風か。」
「ええ、怖いですね。」
皮肉へまっとうに返されたことでか、おや、と、こっちの目をまともに見据え出した上官の目を、こちらからもしっかり見つめ返しながら私は続ける。
「ヒューインやこの世の平穏の為には、あの悪辣なネルファン国がその比類なき横暴さと軍事力を保持したままで、我々の部隊が死滅するわけには行かないのです。ならば、それを構成する一部分に過ぎなくとも、無駄な命を落とすことは何よりも恐ろしい。そうではありませんか。」
ねばっこい間が有り、啖呵を切った私が心の中でどぎまぎしはじめると、ようやく上官殿は口を開いてくれた。
「良い言葉だ。今回もその威勢に期待させてもらおう、カナカ君。
ああ、では詳細を話そうか。カナカ君、君は先ほど、第四火薬庫がいつ建設されたのが、諳んじてみせたな。」
「六十年前です。」
クリューが、ひゅう、と、聞こえるかどうかくらいの口笛を吹いて感心を示す。
「素晴らしい。ではカナカ君、第四火薬庫の補修作業が最後に行われたのはいつかな。」
む。私は頬へ、最早杖をめり込ませるようにして考え込み、記憶の底浚いを図ったが、しかし、只管関係のない情報ばかりが思い浮かんでくる。しばらくそうしてからとうとう観念し、
「申し訳ありません、」
しかし上官のモーレは微笑んだ。
「真面目だな、君は。まあ、言ってしまうとだ。これまで一度もないのだよ、大火薬庫群が補修されたことはな。」
おや、と私は思い、意地の悪い上官への不満を捨て置いて、もっと重要そうなことについて問いかけることにした。
「ええっと、モーレさん、六十年間、一度も補修されていないと。」
「ああ、少なくとも、大規模にはな。」
「魔導系も含めて、ですか。」
「ああ。」
私はつい天井を仰ぎながら、大分昔に受けた魔導理学の講義の内容を思い返しつつ、「はあ、風魔術を専門とする私とすれば、ちょっと信じられない話ですね。水の魔力による力場やその他のものが、風によるものよりも一般に頑丈であることは何となく知っておりましたが、まさかそんなに長く持つとは、」
「ああ、その通りだカナカ君。当時の技術であろうとも、水の魔力によるその失火防止の機構は、六十年ほどはなんとか持つ代物であったらしい。」
俄な沈黙が流れた。言葉を返すべきであった私が、天井を見上げたまま、目を見開き、左手を口に当て、半ば感銘の内に考え込んでしまったからである。
ようやく身をがばりと起こした私は、つっかかるかのように、
「まさか、モーレさん! あなたの言いたい所は、」
「その通りだカナカ君。六十年間第四火薬庫を守護し続けた魔力障壁や魔力場が、もうじき一切交換されることになる。そして、その交換作業の際には、一度その場全ての魔力を取り払う必要がある筈なのだ、魔力同士の余計な干渉や混乱を避けるためにな。」今度はモーレ上官の方が感銘に浸っていた。「つまりその日は、六十年間その都市の、あるいは国家の心臓を護り続けたヴェイルが一旦剥がされるという素晴らしい記念日なのだ! まさに胸を開かれたドラゴンのようなものであり、鱗も皮も骨も我々の刃を阻むことが無く、その心臓を爆ぜさせてくれるであろう!」
手が顫えている。ここ数十年悪と戦乱を黒く撒き続けているネルファン国、あの魔導超大国を滅ぼす、あるいは平れ伏させることさえ出来れば、この世界はどれだけ良くなるだろう。成る程、ああ、この私の命を、そしてこの部隊の一部分を懸ける、あるいは抛つだけの価値が間違いなくある! 勿論、それだけ派手な破壊工作を行ってしまっては、殆ど罪の無い、ネルファン国の市民の幾らかも巻き添えてしまうだろうが、しかし、革命には、どうしても犠牲が付き物である以上、大きな平和のために小さな死々は、
そうやって、盛り上がった私の思考が事態を完遂した後の言い訳を練る所まで及びはじめる中、隣のギランドは冷静だった。
「モーレさん、しかしだ、ネルファン国だって馬鹿じゃない。いや、寧ろこの上なく狡知を働かせる連中でしょう。」
「否めんな。」
「つまり、あなたの譬えを借りれば、已むなく胸が開かれようとも、その吐火や爪や尾、翼によってネルファン国は身を護ろうとするでしょう。つまり、幾らその修繕作業のことを秘密裡にしていようとも、それで安心して無防備を晒すわけが無い。何か、企んでいる筈だ。」
物理的な生理機構とは真逆に、この冷や水によって私の顫えは収まっていた。
「成る程ね、ギランド。確かにそうだわ。」しかし私は――恐らくは爛々と目を輝かせつつ、――前のめりとなる。「でもねえ、ネルファンの連中が馬鹿でなければ、私達だって馬鹿じゃない。チェルノ隊長を始めとする方々に勝算が有ると踏ませる何かがきっと有る筈、そうでなければこの話が私達の許までわざわざ及ぶわけが無い。」そうして、ちょっと強めに声を張った。「でしょう、モーレ副部隊長殿!」
上官は首肯する。
「ああ、奴らがどのような防護策を張ってくるのかまで、我々は把握することが出来ているのだ。流石のネルファン国と言った所か、中々凄まじい困難ではあるが、しかし我々や君たちであればそれを乗り越えることが出来るやもしれんだろうと、私は想像しているのだよ。」
「出来るやもしれん、ですか。」疑懼に曇ったクリューの声。「あなたがそのような言葉を使うってことは、いよいよ厳しそうですね。……ああ、勿論我々は命を張りますし、必要ならば抛ちますが、それほどの難題なので?」
「ふむ。そうだ、けっして生優しくないし、君たちが生還する可能性は高くないだろう。しかし、」
この、じっとこちらを見つめつつの沈黙による問いかけに、我々は堂々と応じた。
「勿論、」とクリュー、
「ええ、是非もなく、」とギランド、
「私達は世の平和とヒューインの繁栄のために全てを捧ぐと、御旗に誓ったのです。我々にやらせて下さい。」そして私。
上官殿は満足げに頷いた。
「ふむ、では具体的な話に移ろうか。ずばり言うとだな、〝十三騎士〟の内の水魔術を専門とする者、あの四名が当日の護衛に付くことになっている。」
この言葉を聞いて私の士気は、ガン、と搏たれ、一瞬大きく揺らいだ。しかし、毀たれはしない。〝十三騎士〟という威名に脅かされないといえば嘘になるが、しかし、それを破らねばならず、またその為には、事前に能う限りの知略を巡らせる必要が有るだろう。ならば、気を折っている暇はない。
私は、自ら、そしてギランドとクリューを励ます為に、虚勢を孕んだ少し大きめな声で上官への次なる質問を吐き出し始めた。