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23 モズノ=カナカ
水牛の日が近くなってきた今日、ジェイン氏の協力で何とか手に入ったウェルフ鋼が占拠している部屋の中で起床した。有明の薄暗さの中で、墓石のように行儀良く板金の山が居並んでいる。足を引っ掛けないよう、蛙人のような滑稽な足捌きで洗面場へ行き、顔や髪を整えた。
錠を掛け、近くの池に向かう。明らかに人工されたそれは、しかし、世話を叮嚀に焼かれているのか完全に澄んだ水を湛えていた。岸からひょいと跳ね、大きくない池の中央にぽつんと一つ据えられた飛び石の上へ乗ると、靴が石の表面を叩いて気持ちいい音が鳴る。姿勢を整え、目を閉じ、呼吸を整え、再び開いた。
右手で握った杖を体の真正面に持って来る。イメージ。心臓、より言えば、そのやや上から滾々と生成する魔力を、右鎖骨、右肩、右上腕、肘、腕、手首と走らせ、手から杖に籠め、そこから昇らせて杖の厳めしい頭頂部から放つ様をイメージする。実際の〝魔力〟と呼ぶべきものがどうなっているのか知った所ではないが、とにかく私やその師匠はこの様な心像と共に、魔導を身につけ、それを磨き、そして行使してきたのだ。イメージを重ねる。そうして放たれた、筈の、〝風〟の魔力が、一旦は、羅針盤の目盛りを伸長したかのごとく、等方的に、水平面へ真っ直ぐどこまでも延びていく様子を想像する。そして、その魔力の筋を、糸を巻き取るように曲げていくのだ。曲げる、曲げる、捩じ切れるまで曲げていく、すると、上から見た渦潮のようなものが心像の中に出来上がる。後はこれを、力強く、回転させていく。ゆっくり、ゆっくり、しかし力強く回転させていくと、私の心像が、少しずつ現実を変えていくのだ。訓練を重ねた者でなくは知覚出来ないであろう、私を包む、僅かな気流が生まれる。まだだ、まだ、ゆっくり、ゆっくり、力強く回転させていく。風が強くなる。集中を切らさぬように極力ぼんやりと足許を見ると、円形の水面のけば立ちが私の風の存在を保証してくれていた。ゆっくり、ゆっくり、力強く、力強く。気流が鳴き声を発しはじめる。靴が清らかな水で濡れはじめる。ゆっくり、ゆっくり、……力強く。ローブの端が攫われ、私に巻きつくようになる。杖が持っていかれそうになる。水面は、最早海神の王冠のような形を見せる有り様となり、そこから漏れる飛沫だけで、私の膝から下をずぶ濡れにした。
杖ががくがくと顫え、それを支える腕が軋み出した所で、私はようやく脱力する。僅かな残滓を残した上で風が消え、小高く昇っていた水はばしゃりと凋み、その跳ね返りを私の顔まで飛沫として届けた。何とか岸まで戻り、そこでどすんと座り込む。ああ、疲れた。全身をべったり覆う疲労を、まるで膝下からローブの染料を変えたかように見せている、隈無き水濡れの冷たさが癒してくれる。
「おいおい、御精が出るのは良いがよ、」
いつから眺めて来ていたのか、出し抜けに声を掛けてきたギランドだったが、見上げると、私が話すこともままならないのを察してくれたらしく、その息が整うまで待ってくれた。
「で、何?」
「いや、御精が出るのは良いが、服がよ、」
「ああ、確かにちょっと失敗だったけれども、まあ、出る前に着替えるわよ。それで?」
「それで? というと、」
「何か用があって私の元に来たんじゃないの。」
「ああ、そうだ。今日はモリジェイ通りを当たるって話だったけれどもな、」
「うん、」
「三日月街を先に回ることにしないか?」
「三日月街? 何それ。」
「この都市からちょっと離れた、西へいくらか街道を進んだ所なんだがな、」
「ええっと、ちょっと待ってギランド。なんで、この首都から離れようとするのよ。技術一般、とりわけ魔導に関する技術においては卓越しているこの都市で職人を探すのが一番良いでしょうに。」
「しかし、いま俺達が捜しているのは、ウェルフ鋼を加工出来る鍛冶職人だ。」
「ええ、」
「で、今までに巡り、そして依頼を断ってきた鍛冶屋連中はなんと言っていた?」
「魔導火や熱の通じない材料を持ってこられても困る、って、……あ、そっか。」
「そういうことだ。もっと鄙びた所へ行った方が良いかもしれないぜ。」




