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19 モズノ=カナカ
夜の海風が乱暴に私の顔を叩き、着ているローブの余っている布が、羽搏く蝙蝠の翼の様に姦しくばたついている。遠くから、大海獣の悲しげな唸り声が聞こえ、続いて、ガーゴイルか何かの赤い断末魔が耳を劈いた。恐らく、前者が後者を食したのだろう。遠巻きの、生命の営み。その直後に怒濤の欠片が欄干を乗り越え、私の頬に二三の冷点を生じさせる。しかしその水滴も、あまりの強風に敗けて肌の上をじわじわ走り、そして間もなくどこかへ爆ぜ飛んでいくのであった。
「おい、何やっているんだ馬鹿、」
そうやって声を掛けられ、渋々目を開いた。いつの間にか大きく傾いだ満月が、私が随分と長いこと甲板で瞑想を続けていたことを教えてくれる。潮の香り。
振り返らなかった。
「魚釣りでもしているように見える?」
「いいから戻れ、ほら、」
後ろからギランドが肩を摑むので興が冷め、中へ戻ってやることにした。
「もう、折角こんなに良い夜なのに、」
「何が良い夜だ、こいつは、時化とか嵐っていうんだよ、」
風の音が、壁を貫通して聞こえて来ている。
「風を浴びるのが好きなのよ、強ければ強いほど、身が千切られそうなくらいが最高だわ。」
「そうかい、じゃあせめて丘でやってくれ。危なっかしくてしょうがない。」
海上だからこそこんなに良い風を浴びられるのに、と反駁しようとも思ったが、確かにネルファンにも辿り着かず終わるわけにも行かないので、渋々黙ることにした。
「ところでギランド、あなたこそ何で甲板なんかに、」
「どっかの風馬鹿でもあるまいし、あんな所に用事があるものか。お前を呼びに来たんだよ。」
「あら、何?」
「ちょっと良いことを思いついてね。」
「へえ? あの――十三騎士の拒否権のことだ――話?」
「いや、そっちについてはまだ何にも。お前の方は?」
「私もさっぱりねえ。で、あなたの言おうとしたのは何なの?」
「あの四人の中で、女の奴のことなのだがな、」
〝濃霧〟か。
「うん、アイツがどうしたって?」
「アイツが、というか、……なあ、風ってのは、何処から始まるんだ?」
「はあ? 文学的な話?」
「いや、」
「じゃあ、宗教的な、」
「物理的、あるいは魔導的で頼む。」
「ええっと、一つの風が始まっている場所を決めるのは難しいわよね。例えば、そう、」一旦、窓から外をちらと見て続ける。「そう、波が何処から始まっているのか、ってのも難しいじゃない? 強いて言うならば海面が起き上がろうとしている場所なのだろうけれども、何処からなのかはっきりしないし、また、その場所もどんどん動いているわけだし。」
「うん、つまり同じように、風ってのは明確な端が無いわけだな?」
「ええ、グラデーション画法の様なものよね。しかも、蠢き続ける。」
「で、波と言うのは、海水が立ち昇る為には、その近所のどこかがその分沈まないといけないわけだが、」
「ええっと、多分そうよね。」
「じゃあ、あれか、風も同じようなわけか? つまり、ある場所の空気を使ってお前の顔を押す為には、どっかから、その分の空気をその場所へ持ってこないといけない、と、」
私は、思い返すと恥ずかしいくらいに饒舌となり、
「ええ、ええ、それは完全にそうよ。空気と言うものは虚ろを嫌うの。例えばさ、完全に封をした、」
ギランドが右の掌を振る。
「ああ、待て待て、そこまでだ。でだ、俺の思いついたことなのだが、」
じっくりとギランドの話を聞き、何度も頷き、聞き終えて、船室に向かいながら良く咀嚼した。だんまり、むっつりと。
そして、船室の扉を開けることになってようやく、
「つまりさ、最初の作戦とは変わるわよね? 濃霧の、昔の技を使わせないように、市街地とか市民を背に取ろうって言う、」
「ああ、寧ろ逆に、狙って本気を出させるってことだな。」
「うん、」
船室に入ると、ギランドの話を先に聞かされていたのかクリューは尋常に起きており、ベッドに腰掛けつつ、明かりを消して窓からの星を眺めていた。
「ああ、帰ってきたか。モズノも一緒か?」
「ここに。」
「で、どうだよ? ギランドの言い出したこと、悪くないと思うんだが、」
「ああ、クリュー、寧ろ私から訊かせて、」
「ん?」
こっちを見た、月明かりで辛うじて目鼻の位置が分かるクリューの、恐らく不思議そうにしている顔へ私は投げかける。
「ねえ、どっちが恰好いいと思う?」
「はあ?」とギランド。
「恰好、……いいかって?」首から下では向こうを向いたままであったクリューが、足を撥ね上げつつ体をくるりと回し、こちらの向きへ座り直した。
「そりゃ、今度の案のほうだろうよ。片や、騎士の魔導へ枷を嵌めることで何とかしようとし、片や、十三騎士の本領へ挑むんだぜ?」
「そう、よね。」
うん、うん、と、私は頷いてから、
「ねえ、二人ともさ。私、出来れば恰好良く死にたいの。駄目かしら?」
薄暗い中、声を発すのを躊躇う二人の想いを汲むのは容易ではなかった。




