第2話‐2 初めての○○
ルジと共に緑の樹海を抜けた俺は、眼前の景色に目を奪われた。
「これは…広大というか雄大というか」
樹海を抜けた先は、見渡す限りの大草原。
目の前には草を刈られた幅五メートルほどの街道――だと思うが、そこ以外は膝よりやや下くらいの草花が風にそよいで揺れている。現実じゃお目にかかった事のないような大自然だ。
初めて樹海を見た時もそのインパクトに驚きはしたが、この光景だって決してひけを取るようなもんじゃない。
静かに感動する俺の横で、ルジが不思議そうな顔をした。
「どうした? いつまでも立ち止まって」
「いや、すまん。景色に圧倒されてた」
ルジの声で我に返り返事をしたのだが、ルジはそれでも不思議そうにこっちを見ている。
「景色なんてこんなものだろう?」
「いや、俺のいた世界には――いや、俺の暮らしてた場所にはこんな大自然はなかったから」
ふと、かつて暮らしていた街を思い出す。コンクリートなどの人工物に囲まれたあの世界とは、全く違う。
「ふむ。エイトのいた世界というのはどういった場所だったんだ?」
「そうだな。こういった環境を切り拓いて人間が暮らしてる。切り拓きすぎて手つかずの自然なんてあんまり残ってない、かな」
「それではどうやって暮らす? 自然の恵みがなければ生きていけんじゃないか」
「その代わりに色々な技術が発展してるからさ、生きていくってだけなら元の世界の方が楽かもしれないなぁ。だからってどっちが優れてるとかじゃないとは思うけど」
「時々エイトの言う事は難しいな」
「ははっ、そのうちもっと詳しく話すよ。さあ、行こうか」
そう言って街道へ足を踏み入れる。ルジもそれに従った。
正直なところ、どう考えたって元の世界の方が暮らすだけならはるかに便利だ。電気、水道、ガスなどのインフラも整ってるし、夜だって明るい。小腹が空けばコンビニだってある。
ただ、この世界はこの世界で魅力的である。不便ではあるけれど、いざ自然の中に放り込まれてみればこう、『生きている』って事を実感させられる気がする。
自分も世界の一部なんだぞ、と強く感じるような…上手く言えないけど。
小難しく考えてみたが、どうせサラサが完全な魔王になるまではこの世界で生きていかなければならないのだ。
だったら、少しでも楽しむ方向でいた方がいいだろ?
…なーんて事をダラダラ考えながら歩く。
どれくらい歩いただろうか。いつの間にか前を歩いていたルジが急に立ち止まり、ボーっとしていた俺はルジの背中にぶつかってしまった。
「あ、悪い。ボーっとしてた」
「ならば今すぐ気を引き締めろ」
謝る俺に、ルジが低い声でそう言った。腰を低く落とし、注意深く周囲に気を配っている。右手は、いつの間にか背中の大斧に伸びていた。
「ど、どうした?」
その様相にただ事ではないと気づいた俺は、おずおずとルジに尋ねた。
その瞬間。
「――来るぞっ!」
ルジの声と同時に、街道脇の草むらからいくつかの影が飛び出してきた。
驚いた俺は思わずルジの後ろに隠れる。
「マッドドッグだ。一匹一匹は大した事はないが、数が多いと厄介だ」
こわごわとルジの後ろから顔を出してみると、そこには目を血走らせ、牙をむいた大人ほどもある大きさの犬――マッドドッグがいた。
その数、四匹。
「お、おい、あれが魔物ってやつか?」
「魔物ではないが凶暴な獣だ。気を抜くと一斉に飛びかかってくるぞ」
見渡してみれば、四匹のマッドドッグは俺とルジを遠巻きに囲みながらじりじりと包囲を狭めている。
なるほど、習性としては狼に近いのか。見た目もどっちかといえば、狼だし。
などとじっくり観察している場合じゃない。
俺はルジと背中合わせになり、七彩を抜いた。
「囲まれてるならこ、この方がいいだろ?」
思わず声が震える。初めての実戦なんだ、仕方ないだろ。
そんな俺の震えが伝わったのか、ルジはふっと軽く笑った。
「上出来だ、エイト。囲まれた時はなるべく死角をなくせ。そしてまずは目の前の一匹に集中しろ」
「はは、そりゃどうも…」
「よし、仕掛けるぞ!」
「うぇ!? ちょ、ちょっと待てよ! 『身体能力強化』発動!」
言うが早いか大斧を翻し、前方のマッドドッグに飛びかかるルジ。こっちから仕掛けるとか聞いてねーぞ!
俺も慌てて『身体能力強化』を発動し、目の前のマッドドッグに向けて七彩を構えた。
相手もそんな俺の攻撃の意思を悟ったのか、グルルルルル…と低く唸り威嚇を始める。
やべえ、これマジで怖い。あの牙なんか俺の小指くらいあるぞ。
そう思った瞬間に、マッドドッグは地を蹴り俺へと躍りかかる!
「うわぁっ!?」
どうにか突進をかわしたものの、態勢を崩して尻もちをつく俺。
慌てて立ち上がろうとしたその時、再び俺に肉薄したマッドドッグは前足を振り下ろす!
「ぐぁっ! い、いてて…」
しかしその攻撃は運よく革の胸当ての上をかすめただけで、俺にはさほどダメージはない。が、痛いものは痛い。
さらに、かすめただけとはいえバランスを崩された俺は仰向けに倒れ込んでしまった。その隙を見逃すような敵ではない。
前足で俺の胸を押さえつけ馬乗りのような状態になると、大きな口を開き、喉笛を食い破ろうとする。俺はとっさに左手を前に出した。
「グルルルルルルル…!!」
「ぐっ、くぁっ…!」
牙が腕に突き刺さる。分厚い革の籠手が牙の侵入を防いでくれているものの、その噛みつく力は強く、腕がギシギシと軋む。
ちなみに革の胸当てなどの装備一式は、アルバ氏から旅立つ直前に貰った物だ。
防具なかったら、とっくに死んでるなぁ…ありがとうアルバ氏。
思わず現実逃避してしまったが、何とかして状況を打破しないと本気でやばい。
何とか振りほどこうともがくが、敵だってそう簡単に放してはくれない。籠手だって、このままでは破られるのは時間の問題だ。
必死でもがく。しかし外れない。口が近い。何ともいえない生臭さが鼻をつく。肉と血が腐ったような不快な臭い。
それは俺に、目の前にある『死』を実感させた。
こんな異世界で犬のエサになって終わりかよ…まだ、何もしてないのに。信じてくれたサラサ達に、俺はまだ何もしてやれてねえぞ…?
悔しくて。怖くて。悲しくて。
思わず強く握る手の中に、右手に強く握りしめた『力』がある事に気がついた。
いや、思い出した!
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ギャアアアアァァァァァ……」
無我夢中で、右手を突き出していた。右手に握っていた、七彩を。
それは吸い込まれるようにマッドドッグの左脇腹へと突き刺さり、心臓を抉る。
肉を貫く、何ともいえない感触。
同時に凄まじい絶叫を上げて、マッドドッグは糸の切れた操り人形のようにくたっ、と倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ… や、やったのか?」
動かなくなったマッドドッグを押しのけ、フラフラと立ち上がる。
俺が、殺したのか…?殺せたのか?
まだ実感が湧かない。足元もフワフワとおぼつかない。そういえばルジはどうなった?
その時、背後から声がした。
「危なっかしいが、初めてにしてはよくやったぞ」
「ルジ!」
振り返った先には、三匹のマッドドッグの残骸と、仁王立ちで腕を組みながらこちらを見ているルジがいた。
「ルジ、無事だったか!」
声をかけるとルジはひょい、と肩をすくめる。
「この程度相手にもならん。早々と片付いたのでお前の戦いを見せてもらったぞ」
「それなら助けてくれよ… 死ぬかと思ったんだぞ?」
「本当に危険なら助けるつもりだったが。まさか剣の存在を忘れているとは思わなかったのでな」
「ぐっ…!」
思い返してみれば本当にその通りだ。マウントを取られたところで右手は自由だったのだから、七彩を振れば良かっただけの話だったのに。
「し、仕方ないだろ。戦うのなんて初めてだったんだから」
「ふむ。まあ、そのうち慣れていくだろう」
「慣れたくなんかないんだけどな…」
しかし、ルジの言う事は正しい。これからもこういった戦いは避けられないだろうし、その都度テンパっているようではいずれ命を落とすだろう。最悪、人間と戦う事だってあるかもしれない。
慣れるというわけじゃない。きっと、割り切らないといけないのだ。
避けられないなら、俺は死にたくない。相手の命を奪ってでも、生きたい。
すぐには無理だろうけど、そうしなきゃいけないんだ。俺は、聖人君子でもないんだし。
改めてこの世界の現実に直面し少し憂鬱になった俺を尻目に、ルジは腰のポーチから小さなナイフを取り出した。
「ん? そんなナイフどうするんだ?」
「皮を剥ぐ。マッドドックの毛皮は丈夫だから衣服の材料になるし、牙や爪は加工すれば武器の素材にもなる。スバインで売ればいくらかの金にはなるだろう」
簡単に答え、手際よくマッドドッグの解体を始めた。うげ、当たり前だけどグロい…
思わず目を逸らす俺に、ルジから追い打ちの一言。
「教えるからエイトも覚えるといい。今後もそういう機会もあるだろうからな」
「う…」
こうして俺は、初めての戦闘と初めての解体を経験したのだった。