第2話‐1 いざ、旅立ちの朝
そして翌朝。
筋肉痛がまだ若干残ってはいるものの、昨日のように体を動かす事すら困難といったほどではなかった。
これに関しては寝る前に思いついた方法を試してみて正解だったと言える。
その方法とは――何の事はない、寝ている最中も『身体能力強化』を発動させてみたのだ。
身体能力を強化してくれるという事は、もしや治癒力や新陳代謝なんかも強化されるんじゃないか?と思って試してみたのだが、どうやら推測は正しかったらしい。
普段のトレーニングに加えて併用すれば、従来より短期間で体を鍛える事ができそうだ。便利だとは思っていたが、想像以上に使える能力なんじゃないかこれ?
とはいえ欠点もないわけじゃない。この能力は七彩を身に着けていなければ発動しないのだ。
つまり剣を持った状態で寝なければならないのだが抜身の剣をそのままに寝るわけにもいかず、アルバ氏に相談したところ、実にタイムリーな返事が返ってきた。
「そういう事でしたら、今ちょうど鞘をしつらえておりましたのでこちらをお使いになってくださいませ」
さすが紳士。いや、執事オブ執事。
丈夫な皮で作られた鞘は、間違って抜けたりしないようストッパーもついている。これなら寝返り打ってうっかり切腹、なんて事故もないだろう。
俺はそれをホクホク顔で頂戴し、無事に朝を迎える事ができたというわけだ。
「さて、と」
ベッドから起き出し、服を着替え、窓の外に目をやる。うん、今日もいい天気だ。
ここに来てから1ヶ月になるが、暑くもなく寒くもなく、春のような過ごしやすい毎日を送っている。四季とかあるのだろうか?まあ、今度サラサにでも聞いてみよう。
そんな事を考えていると、ドアをノックする音。
「はーい、どうぞー?」
てっきりアルバ氏かと思っていたのだが、ドアを開けて入ってきたのはサラサだった。
「うむ、寝坊はしとらんようじゃな、感心感心。体の調子はどうじゃ?その、昨日はほれ、今にも死にそうな勢いじゃったが…」
最初はいつも通りの尊大な態度だったものの、やがて目を伏せるように逸らした。ああ、どうやら心配してくれているようだ。
俺は軽く腕を上げ、答える。
「ああ、大丈夫だ。ありがとな」
本当はまだ少し痛むのだが、一応見栄を張っておく。いらん心配をかけたくないってのもあるけどさ。
すると俺が素直に礼を言ったのが意外だったのか、サラサは一瞬で顔を赤く染め上げる。
「れ、礼などいらぬわ阿呆!そもそも余の片腕であればそれしきで音を上げてもらっては困るのじゃからな!」
そう言って顔を逸らした。からかったらからかったで怒るし、素直に答えたら答えたでこれだ。
…めんどくさいなぁ、こいつ。
と、思っても口にも顔にも出さないのが社会人ってものだ。それにまだ若くてそこそこ可愛い女の子だし、ツンデレだと思えば許容範囲だろ?
『我々の業界ではご褒美です!』だっけ?まあいいや。
「で、わざわざ様子を見に来てくれたのか?」
「い、いやそうではなくじゃな…そうじゃ、アルバが朝食の準備ができたと言っておったのでな!せっかくの食事が冷めてはいかんからの!」
これだ!とばかりに言い繕うサラサ。いや、普段はアルバ氏が呼びに来るじゃないか。さすがポンデレ、今日も安定のポンコツぶりだな。
とはいえ、せっかくの朝食が冷めてしまうのがもったいないのも事実。
まだ何か言いたげなサラサを伴って、俺は食堂に向かった。
「それではエイト殿、こちらが旅の道具になります」
朝食を済ませ、食後のコーヒーをすすっていた俺に、アルバ氏が小さなリュックを手渡してきた。
「あ、どうもありがとうございます。あ、でも随分小さいんですね?」
こんな小さなリュックに着替えやらキャンプセットが入っているとは到底思えない。軽いし。
イメージとしてはガチ登山に行くような大荷物を想定していたのだが。
するとアルバ氏はニコリと笑みを浮かべ、言った。
「エイト殿、毛布と頭で念じてからリュックに手を入れていただけますかな?」
「え?あ、はい。毛布毛布…っと」
よくわからないが言われるままに手を突っ込んでみる。すると、何かが手に触れた。
俺はそれを掴んで引き出す。
「お、おお!?」
するとどうだろう、どう考えてもリュックの許容量を大幅に超えた毛布が手に握られているではないか!何これすごい。
「そのリュックは魔法鞄と呼ばれる貴重品でございまして、中は魔法で作られた別の空間に接続されております。もちろん無限に入るというわけではございませんが、テントなど重くてかさばる物も収納できますので便利でございますよ」
「うわ、改めてここがファンタジー世界だって実感したわー」
「あとはこちらがリュックに入れた物のリストでございます。出し方は先ほど同様、必要な物を頭に浮かべていただければ結構でございます。戻す時は、そのままお入れいただければ」
そう言ってリストを書いた紙を渡された。軽く目を通してみただけでも、半分以上がリュックのサイズを超える物ばかりだ。
アルバ氏は貴重品だと言ってたけど、これ元の世界でもとんでもない貴重品だよなぁ。一生左うちわじゃん。
などとゲスな妄想をしながらリストを眺めていたのだが、その中に見慣れない名前があった。
「アルバさん、ちょっといいですか?」
「何でございましょう」
「この、『精霊晶』?っていうのは何ですか?」
「まあ、奥の手だと考えていただければ。交渉の際にもうひと押しといった時に、なおかつその相手がエイト殿の信頼に足る人物だと判断した場合お渡しください。その際には、必ず魔王様からの書状も一緒にお渡しいただきますよう」
「は、はぁ…」
いまいち要領を得ないまま生返事をし、再びリストに目を落とす。書状書状…あった。
この際だ。奥の手でも何でも使えるものは何でも使わなければならない。何よりあのアルバ氏をして奥の手と言うくらいだ、切り札であるのは間違いない。
に、してもだ。信頼に足る相手にと言われても、正直そこまで人生経験を積んでいるわけでもないのでその辺りが若干不安ではあるのだが。
ふと押し黙っているサラサを見やると、俺の目を見つめ、頷いた。
ま、少なくとも俺を信じてくれるサラサとアルバ氏の信頼には応えにゃならんか。
「失礼いたす!エイト殿はおられるか!」
不意に外から大声が聞こえた。この声はルジだな。しかしここまで聞こえるとかどんな大声だよ。
「ルジ殿がいらっしゃったようですな。エイト殿、準備はよろしいですかな?」
荷物はアルバ氏が準備をしてくれたのだ、不備はないはず。
あとはそう、俺の心の準備だ。
正直、不安はある。ただでさえ異世界なわけだし、この国の外なんてもちろん初めてだ。魔物やら盗賊やらに襲われたら、万が一の場合は命を失うのかもしれない。
それでも。
それでも、人生にはリスクを背負ってでもやらなきゃいけない時は必ずくる。
その一歩が、今だ。
だから俺は答えた。
「はい、行けます!」
こうして、主人と執事に見送られ、俺は初めて外の世界へと踏み出した。