第1話‐2 食卓にて
「エイト、よく眠れたか?」
「ん、まあそれなりに」
「ふむ、なかなかに肝が据わっておるのじゃな。感心感心」
「………」
トンデモの連続で脳が疲れてたんだ、と言おうとして口をつぐみ、目の前に出された珈琲を飲む。食卓にはトーストやサラダなども並んでいる。
なるほど、食事に関しては問題なさそうだ。元いた世界と比べても特別変わった事はない。それより気になる点がいくつかあったので、質問をする事にした。
「なあ、サラサ。いくつか聞きたい事が――」
「余の事は魔王様と呼ばぬか、側近。無礼であるぞ」
俺の言葉を遮って、サラサが不機嫌そうにそう言ったのだが。
「口の周りのジャムくらい拭け。あといくら何でも寝間着はどうかと思うぞ」
「んなっ!?余、余は朝は苦手なのじゃ!誰も見ておらぬし構わんじゃろう!」
ここに側近がいるわけだが。この威厳もへったくれもない『魔王』にどうして敬意を払えよう。
口の周りを必死で拭き取るサラサの姿はどう見ても――ポンコツだ。
しかしそれでも、今ここを追い出されても非常にまずい。とりあえずここは折れるとしよう。
「確かに王に対して名を呼ぶのは不敬かもな。一応は雇用主であるわけだし」
「う、うむ。その通り。わかっておるならよいのじゃ」
「ま、努力はしてみる」
尊大にふんぞり返るポンコツ、じゃなかったサラサに肩をすくめて答える。
それをどう受け取ったのか知らないが、サラサは急にもじもじし始め、
「し、しかしじゃな?エイトがどうしてもと言うのなら、その、あれじゃ。公の場でなければその、名、名で呼んでも構わぬぞ?」
と、照れ臭そうにそう言った。
何これ、ツンデレか。いやポンコツだからポンデレか。いやドーナツかよ。
思わず脳内でノリツッコミをしてしまったが、何にせよ向こうから譲歩してくれたのだからお言葉に甘えるとしよう。
「ありがとう。そうさせてもらえると助かる」
「か、構わぬ。部下の願いを聞き届けるのも王の務めじゃからな」
何かなぁ、無理してる感がひしひし伝わってくるんだよなぁ。王の威厳なんて出そうとして出るもんじゃないだろうに。
「あのな、サラサ」
「ところでエイト殿、魔王様にお聞きしたい事があったのではございませぬかな?」
それまで一言も言葉を発さず、サラサの脇に立っていたアルバ氏が口を開く。ああそうだ、聞きたい事があったんだっけ。
「あ、そうそう。いくつか質問があるんだけどいいか?」
「何じゃ?」
「じゃあまず一つ。この城、他に人はいないのか?」
そう、ここは城なのだ。まあ、魔王の住居なのだから城の方がファンタジー的には正しいわけだが。ただ今朝までの間、場内でサラサとアルバ氏以外の姿をついぞ見かけなかったのだ。
「ああ、誰もおらぬ。余とエイト、そしてアルバがこの城の住人じゃ」
「いやそんな自信満々に返されてもな…他に使用人とかいないのか?」
「理由は色々とございますが。始祖の代よりこの城には魔王様のご家族と必要最低限の使用人しかいなかったそうです」
アルバ氏がサラサに代わり答える。いや変だろ、こんな城に住んで、ロクに使用人もいないとか。
不思議そうに首をひねる俺を見て察したのか、アルバ氏はこう付け加えた。
「城の外をご覧いただければ、多少なりとも理由はおわかりになるかと」
「外、かぁ」
確かに昨日は窓もない地下室から始まり、日も暮れていた。そのうえ突然の環境の変化に心身ともに余裕もなく、この城の外なんてまったく意識を向けていなかった。
たとえ成り行きでも、今日からはこの世界で過ごさなければならないのだ。何にせよ情報が多いに越した事はない。
「外出とかって、できるか?」
「あまり遠くに行かぬのなら構わんぞ。どのみち今日はこれから外を見せようと思っておったからの」
「それは助かるな。じゃあさっそく行くか」
「阿呆!寝間着で外になど出られるか!ここで待っておれ!」
「お、おう…」
そう言って、アルバ氏を伴って出て行ってしまった。
なるほど。いくら魔王(笑)とはいえ、そこら辺の良識は持ち合わせているのか。どんどん俺の中での魔王株が下がっている気がするのだが、まあいいだろう。
言われるがまま、冷めた珈琲をすすりつつサラサを待つ。
そういえば寝間着はアルバ氏から渡されたが、替えの服がない。ここに来たままのTシャツにジーパン、パーカー姿のままだ。
アルバ氏に頼めば用意してもらえるかなぁ、などと考えているうち、扉が開きサラサが入ってきた。昨日と同じ、ややゆったりした服だった。
「待たせたの。では、エイト。ついてまいれ」
「ああ、頼む」
城内を歩くサラサの背を追う。そもそもこの城内すらまともに知らないな。あとで案内してもらおう。
ふと、普段はサラサに影のように従うアルバ氏がいない事に気がつき、尋ねてみたのだが、食事の片付けや雑事など、色々忙しいとの事。そりゃ、家事とか全部やってるんだろうしなぁ…大変だ。
あと、先ほどは聞きそびれたのだが、王が臣下と食事を摂る事に問題はないのかと問うと、一人で食べる食事ほど空しいものはない、とおよそ王らしくない返答が返ってきた。だがまあ、それに関してはその通りだろう、と思う。食卓は誰かと囲むからこそ楽しいのだ。
最後に家族と食事したの、いつだったかな?なんて思い、少し胸が痛んだ。
そして、先を歩いていたサラサが足を止めた。そこには大きな窓。振り返り、サラサが口を開く。
「城下に出ても良いのじゃがな、領地を見渡すにはここからの方がわかりやすいからの」
言いながら窓を開く。ああ、バルコニーか。確かに周囲を見渡すには最適かもしれない。俺はサラサに続いてバルコニーへと足を踏み入れる。
「さあ、これが我がアーテル家の領地じゃ!」
大きく手を広げ、誇らしげに胸を張るサラサを横目に、俺は眼下へと視線をやり――、
「な、何だこれ…」
まるで想定外の光景に、思わず絶句した。