第1話‐1 新しい世界
「成功なのか?」
「召喚自体は成功だとはと思いますが、これは…」
耳元で、というか頭上で何やら声が聞こえる。頭がボーっとする。背中には硬くて冷たい感触。何だこれ、地面か?
そういえば、変な声が聞こえて、それから意識が遠くなって―なるほど、道に倒れているのか。いや、冷静に分析してる場合じゃないな。
とりあえず起きよう、と俺は瞼をゆっくり開いた。
「眩しっ」
強い光が目に刺さり、思わず再び目を閉じる。まさか一晩中ぶっ倒れてたわけじゃないよな?いやいくら何でもそれはないだろう。誰かが救急車なり呼んでくれるはずだ。
となるとここは、病院…か?とすればさっきの声は医者か看護士なのだろう。なんにせよ、まずは起きてからだな。
もう一度目を開く。さっきよりは光に目も慣れた。視界が徐々にはっきりしてくる。
すると、覗き込むような人影が目に入ってきた。まだはっきりとしない意識を総動員していると、その人影が口を開いた。
「お、起きたぞ。おいそなた、余がわかるか?」
「…!その声っ!?」
「わっ!?」
聞き覚えのある声に弾かれるように飛び起きる。間違いない。あの時、俺を呼んだ声だ。
「きゅ、急に大声を出すな!驚いたであろうが!」
跳ね起きたままの姿勢で声のする方へ顔を向けると、そこにいたのは―
「…えーっと、誰?いやそもそもその恰好は」
そこにいたのはゆったりとした服に身を包んだ、そう例えるならゲームなんかでよく見かけるローブのようなものを着た少女だった。
「恰好?何を言っておるのかわからんが、まずは名を名乗るのが礼儀であろう?」
「いや、礼儀どうこう言うのならまずは自分から名乗るのが礼儀だと思うが」
「なっ!余に向かってその傲岸な態度!覚悟はできておるのだろうな!」
しかし随分と変わった、というか普通に会話してるけどそもそもこれマジでなんなんだ。ドッキリ?いや仕掛ける意味もメリットもないな。
意識が覚醒してくるにつれ、頭の中は現状を把握しようとフル回転する。
そんな時だった。
「お嬢様。まずはこちらの方に現状を説明するのがよろしいかと。おそらく自分の身に何が起こったかも把握しておられぬようですし」
お嬢様、と呼ばれた少女の反対側、つまり俺の背後から声が聞こえた。振り返ると、そこに立っていたのはまさにザ・執事と言わんばかりの白髪の老紳士だった。
「むぅ…場所を変えるぞ。ついてまいれ」
「それではお客人、どうぞこちらへ」
「え、ああ、はい」
何だかよくわからないが、わからないことだけはわかったし、今騒いでもあまりいい事はないだろう。とにかく現状を把握することが第一だ。
促されるままに立ち上がり、改めて辺りを見回してみる。四方を石壁で囲まれた部屋で窓もない。それでも眩しいと感じたのは天井付近にふわふわ浮かぶ光の玉?のようなものが原因のようだ。
足元には何やら見たこともないような文字。魔方陣っぽくも見えるが―
「詳しくは温かいものでも飲みながらゆっくりと致しましょう、さあ」
柔和な態度を崩さない老紳士に促され、部屋を出る。石造りの廊下をしばらく歩くと、これまた石造りの階段があった。なるほど、ここは地下だったのか。
先を歩く少女は、その中ほどで足を止めると振り返る。
「そういえばアルバ、何度言えばわかるのじゃ!余をお嬢様と呼ぶな!余は『魔王』なるぞ!」
「はて?そうでしたかな。それは失礼を致しました、魔王様」
アルバというのがこの老紳士の名前のようだが、いや違う、そこじゃない。
「…魔王?」
地下室を出て案内された部屋は、応接室のような場所だった。そこで出された紅茶を飲みながら、ここがどこで、何が起こっているかを聞いたのだが。
正直、夢か幻か、にわかには信じられない話だった。
「つまり簡潔に言えばここは異世界で、代々伝わる召喚術とやらでここに呼ばれた、と」
「うむ、その通りじゃ」
どや!とばかりに胸を張る自称魔王。
「で、どうして俺がここに呼ばれたのかまだ聞いてないんだけど」
「それは簡単じゃ。お前には余の片腕となってもらう」
「いや待てその理屈がわからん。そもそも俺じゃなくたって構わんだろ」
「そ、それはじゃな…」
言いづらいのか、口ごもる。しかしそんな事はそっちの都合であって俺には関係ない。何せこっちは異世界とやらに突然連れてこられた挙句、魔王とやらの側近になれと言われているのだ。はいそうですか、などとふたつ返事で了承できるはずもない。
「言っておくが、俺はどこに出しても恥ずかしくないほどの凡人だ。不思議な力もなければ奇跡を起こしたりもできん。魔王とやらの側近が務まるとは到底思えない」
「いや、だからそれは―」
「では、私から説明させていただきますかな」
自称魔王が言いかけたところで、アルバ氏が声を上げた。
「アルバ!」
「お嬢、いえ魔王様。どのみち話さねばならぬ事でございます。我々の都合にて呼びつけた以上、お客人にも知る権利がございます」
「…わかった、そなたに任せる」
「御意」
アルバ氏は俺に向かい、じっと目を見据え、話し出した。
「魔王様の執事を務めておりますアルバと申します。お見知りおきを。さて早速ですが、そちらの世界では『魔王』といった存在はどのように伝わっておりますかな?」
「魔王、ですか?うーん…創作物の中に出てくる悪魔や魔族の王、って程度の認識です」
少なくとも俺が暮らしていた現代において、魔王なんてものはいない。いるのはゲームや漫画、アニメなんかの中に出てくる悪の親玉、くらいの認識しかないのだ。
「なるほど。それは少々毛色が異なりますな。我々の世界の魔王というものは人間でございます。『魔法』の『王』であるから『魔王』と呼ばれるのです」
「魔法の、王…」
アルバ氏は頷き、続ける。
「簡単に言えば強大な魔力を持った者、ですな。そしてその力は子へと受け継がれ、その力を継いだ者が新たな『魔王』となるのですが、そこに少々問題があるのです」
「問題?」
「はい。先代の力を継いだといっても継いだ瞬間にその力が振るえるわけではありません。継承した膨大な知識と魔力を自らのものにするためには数年単位の時間がかかるのです」
「えっと、つまり?」
「魔王の力を得るためには、それまで自らが持っていた魔力の大部分を用いて最適化を行わねばなりません。つまり完全に継承を終えるまでは、魔王はまったくの無力なのでございますよ」
何となく話が見えてきた。要は魔王が本来の力を得るまでの護衛が欲しいのだろう。だがそれだと辻褄が合わない部分が出てくる。
「だけどそれが俺を召喚した事とどう繋がるんですか?王とか言うくらいだから兵隊だろうがそれなりに用意できると思うんですけど」
「先代は、いや始祖の代から我が一族は争いを好まなかった。領土といえば聞こえは良いが小さな集落程度の規模しかないのじゃ。それはそれで良かった。民が安らかに暮らしていける、それこそが領主の、王の務めなのじゃから」
アルバ氏を遮って口を開いたのは、今まで押し黙っていた魔王だった。
「じゃが、それだけでは立ち行かなくなったのじゃ。近隣の国は領土を拡げようと小競り合いを始め、時には戦も起こる。その矛先がいつここへ向かうのかわからぬ…」
「それは…」
何か言おうとして、口をつぐんだ。この世界について何も知らない俺がどうこう言える話じゃない。そもそも、何を言うつもりだったんだ、俺は。
「半年前、書庫の魔導書の中にある記述を見つけた。それが異世界からの―召喚術じゃ。異世界より召喚した者は、この世界の者を凌ぐ力を持つ、と記されておった」
「それで召喚術を試してみた、と」
「…うむ」
困った事になったな、と内心頭を抱えた。この世界の軍事力がどれほどの者かはわからないが、少なくとも文明のぬるま湯にどっぷり浸かった俺が勝てるとはとてもじゃないが思えない。
謙遜でも誇張でもなく、平凡なのだ。そんな俺が何の役に立てるのだろうか。誰が書いたか知らないがいい加減な事を書いてくれたものである。
あるいは、大昔にはそういった貴重な成功例があったのかもしれないが、それは俺の与り知らぬ話だ。
とはいえ、ここではいさようならというには少し抵抗があるのも事実だった。なぜなら―、
「君が現『魔王』ということは、その―」
「母上は余が物心つく前に亡くなられた。先代魔王であった父上も、去年流行り病で、の」
これだ。見たところ十五、六歳だろう。高校生くらいの少女が両親を失ったうえ、それでも国と民を護らなければならないなんて、召喚術とかいう何が出るかわからないギャンブルにでもすがらなければ耐えられないのだ。
俺だったら逃げ出してると思う。間違いなく。
「その、別の誰かを召喚したりとかは」
「無理じゃな…先ほどアルバも言っておったろう。余の魔力の大半は魔王への最適化で使われておる。わずかに残った魔力で召喚術を行い、余にはもはやロウソクの火を灯すほどの魔力もないわ」
それがどの程度のものか、魔法を知らない俺には判断がつかないが。少なくともよその世界から何かを呼び出すよりは遥かに容易いのだろうとは思う。
いや待て。それはつまり、その、アレか?
「ちょっと聞きたいんだが」
「何じゃ?」
「それってつまり、俺も戻れない、んだよな?」
「…ま、まあそうじゃな?」
「何で疑問形なんだ、ってかお前まさか元の世界に戻す事考えてなかったんじゃないだろうな!?」
「……………」
無言のままぷい、と視線を逸らされた。マジか。マジで考えなしにやったのか。
「まあ、魔王様が完全に力を継承すれば元の世界にお返しする事も可能でございますよ」
アルバ氏がしれっとそう言った。絶対知ってて黙ってたなこの執事。
俺は深く、深ーーーーーく溜息をついた。もうどうにもこうにも『詰み』ってやつだ。腹を括らざるを得ない。
「わかった。役には立たんと思うが片腕とやらになってやる」
「そ、それでいいのか…?」
「いいも悪いも選択肢がないしな。右も左もわからん世界で放り出されても野垂れ死ぬのが関の山だ」
「そ、そうか。それもそうじゃな!」
安堵の表情を浮かべ、嬉しそうに言う。やはりそれなりに不安はあったのだろう。
「そういえば名乗ってなかったな。俺は衛人、桜庭衛人だ。改めて名前を教えていただけますか、魔王様?」
わざと大仰な素振りでそう言うと、考えなしの魔王様は弾けるような笑顔でこう言った。
「余の名はサラサ・ベルン・アーテルである!エイト、余の元で励むがよいぞ!」
かくして、平凡なサラリーマンだった俺は異世界にて、魔王の側近へと転職したのであった。