獅子の頂を制する者達(2)
学校とはいえ、ラス・アルハゲに卒業式というものはない。
ラス・アルハゲ出身だと分かる証明書と、必要最低限の武器、就職先までの交通費と、実力に見合った報酬を渡して船に送り込む。それだけだ。
ただ時々、仲の良い生徒同士が見送ったりもする。
今回の卒業生、レイ・アマトキもどちらかといえば後輩には好かれている方だった。面倒見が良いからか、それとも身長が低いせいで親近感をもたれていたからかは分からないが。
「アマトキはおよそ十年で卒業か……意外に長かったよな」
小さくなっていく船を見送っていると、ギルファの隣で男がぼやいた。同じラス・アルハゲの教師であり、ノクターン・ウェポン〈カフ〉の奏者だ。
「あいつなら五年とは言わないが、一昨年ぐらいに卒業してても問題はなかったろ? ずいぶんと出し惜しみしてたな」
「レイは器用に色々とこなすが、秀でている物をより鍛えておくべきだと思ったからな」
「銃ね。お前のお気に入りでもあったようだし?」
確かに、レイはギルファが直々に鍛えることの多かった生徒だ。あまりに厳しくしすぎたせいか、最近では顔を見るたびに少し引きつったような表情をしていたが。
〈生きていくことの尊さ〉を知り、〈生きていく強さ〉を持ったレイを、ギルファは気に入っていた。
「んで、何でそのお気に入りの生徒を就職させるのが、レオエリアなんだよ」
溜息をつきながらこぼした彼に、ギルファは目を向けなかった。もう見えなくなった船の方向を見据え、踵を返す。
「お~い、答えてくれても良いんじゃね? 他からもっと条件良い要請来てたの、無理やり蹴ったんだぞ」
レオエリアとは、西大陸にあるエリアの一つだ。土地はそれなりに広大だが、何かパッとするものがあるわけではない。
統治している筆頭企業はシゼルディ精密機器産業。終末戦争の折は兵器産業で財を成した企業だ。
その資金を元に先代がのし上がり、多数の企業をまとめてレオエリアを作った。だが、世代交代の後はあまり光るものがない。
ヴァルゴエリアとは同盟を組んでいるようだが、同じ精密機器産業のスコーピウスエリアほど羽振りが良いわけでもなく、何かこれといって目を引くものがないエリアなのだ。
噂によれば、内部では傘下の他企業が好き勝手やっているという話も聞く。
レイが行くのは、そういう場所だ。
「アマトキはうちでも優秀な生徒だ。行けば何かしらの功績は挙げる。でも、レオエリアじゃあんまり良い報酬がこっちに来ないかもしれないぞ。〈狩りのできない獅子〉じゃな」
男の困ったような笑いに、ギルファは足を止めた。
〈狩りのできない獅子〉〈戦わない獅子〉
レオエリアを揶揄する言葉だ。
このエリアは、他のエリアからの圧力がかかっても反抗の意志を見せない。下にへりくだり、ギリギリのところで制圧を防いでいるのが現状だ。
「お前は、レオエリアには目をかける奴はいないと?」
「え? あ~、レクイエム・ウェポン〈ケセド〉の奏者、ヴァーミリオン・ベンズだっけ? あいつはまあ注目してるよ。レオエリア警備軍の統括だろ? あいつがいるから、他のエリアの進行が防げてんだよな。あと……確か何か最近有名になってきたのだがもう一人いたような」
「アジェスタだ」
ギルファは、男が思い出すより先に答えた。
「ああ、そうだそうだ。アジェスタって男。詳細は分かんないけど、確か副社長の幼馴染か何かで、護衛をしてるんだったよな。知ってるのか?」
「一度な、レオエリアを視察に行って……敵と間違えられて戦った」
「へぇ」
男が少し真面目な顔つきになった。
ギルファはラス・アルハゲで最強といわれている。その自分が、顔どころか名前まで覚えているというのは、相手を認めているということと同義。
そしてそれだけの相手は、ラス・アルハゲでも要注意人物になる。
「強いのか? 奏者?」
聞かれて、ギルファは数瞬言葉に詰まった。あの男を〈強い〉〈弱い〉であらわすのは違う気がするのだ。
「イェソドを持った俺に、銃で対抗してきた」
「無謀だね~」
「アンティーク銃を改造した、六発入りリボルバーだ」
その時、沈黙した男を責めることは誰にもできないだろう。振り向いたギルファの目に、笑ったまま硬直している姿が目に入った。
「……何だって?」
「イェソドに、たかが六発入りの、しかも、アンティーク銃を改造したもので対抗してきた。それに…………」
腕をまくって見せると、男は完全に暗殺者仕様の顔になった。
ギルがファの逞しい二の腕に、弾痕が一つ。
「当たったのか?」
「当てられたんだ。こちらも一矢報いたが、どうだろうな。擦り傷程度だろう」
傷を負おうが、レクイエム・ウェポンに最大級の力を集めようが、アジェスタという男は眉一つ動かさなかった。
こちらが本気ではないことを知っていたのかもしれないし、もしかしたら、あの男は完全な殺し合いをしてもあのままなのかもしれない。
死を知りすぎていると思った。
死と隣り合わせで生きてきたのではない、常に死を纏い、死の上で胡坐をかきながら生きてきたような男だった。
「そのアジェスタ本人から要請が来ていた。一人、銃使いを育てたいらしい」
「で、お気に入りをあげちゃったわけだ」
レイは武器の中でも銃を好み、それに関する素養が強かった。狙いも確かなら、銃を使いつつアクロバティックな近接戦闘もこなす。
ギルファが基礎を作り上げ、銃使いとして応用や実践はアジェスタが仕込む。将来、きっと面白い戦闘者として育っていることだろう。
「アジェスタが護衛しているのは副社長だ。社長ではない。それが面白いと思わないか?」
ギルファが問えば、男は何かを考えるように中空を見上げた。そして、思い出したかのようにぽんと手を打つ。
「あ~、なるほどね。最近、アジェスタとやらの名前を表に出し始めたのも、自分と同じような人間が欲しいのも、全部準備段階ってわけだ。その副社長さんの」
得心が行ったように頷く男に、ギルファも少し笑みを浮かべた。
レオカンパニーの先代統治者には、正妻と四人の愛人がいた。長男と次男は愛人の一人の子。三男が正妻の子で、残り三人の愛人から、二人の息子と二人の娘が生まれている。
先代が亡くなってすぐ跡を継いだのは、愛人の子であった長男だ。この愛人が、貴族の娘であったことが大きく影響したらしい。金と地位にものを言わせたようだ。
正妻は有能ではあったが、別の中小企業の娘だったからか、息子ともども端に追いやられていた。
だが、長男が不慮の事故死を遂げると、次男が社長に就任。そして、人手が足りないことと、生来の手腕が認められてか、正妻の息子が副社長に就任した。
その息子の名はジョシュア・シゼルディ。兄達に思うところはあっただろうに、反抗も謀反の意思もまったく見せず、のらりくらりと過ごしている男だそうだ。
ただし、その男が権利を握り動かしているのは、レオエリアの警備軍。そしてこのジョシュアという男に、あのアジェスタが常についている。
権力のある社長ではなく、まだ追いやられている副社長の手に武力が集中している現状。
「〈狩りのできない獅子〉の内部には、〈眠れる獅子〉も数匹いるようだな」
そこに、レイが行く。もしかしたら彼は、眠れる獅子に狩りの時間を伝える風となるのかもしれない。
「変革が起きるってわけか……」
「その立役者となれば、報酬もはずむだろう」
「立役者になれなかったら?」
二人そろって、船が消えた遥か海の彼方に目をやる。
未だ自分の役目を知らない小さな少年は、果たして船の上でどんなことを考えているのだろうか。
ギルファは真面目な顔で段取りを挙げているレイを想像し、小さく笑った。
「鍛え直しだな」
「うっわ、アマトキ可哀想」
大して心配もしていない声で言う男を置いて、ギルファは再び宿舎に向かって歩き出した。今度は、レイの弟分であるコハクを鍛えなければならない。彼もいずれはレオエリアに送るつもりだ。
レオエリアとの繋がりは、この先太いパイプにしておく方が良い。
「せいぜい、俺自らが制裁に乗り出さなくて良いようにしておくんだな」
ポツリと呟いた言葉は、木の葉の音が攫っていく。
ギルファは知らない。この時、船上のレイが果てしない悪寒を感じていたことを。