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花見酒

作者: 浅野目 睦

 おうい、今日は無礼講だぞ!


 やあ、今年も桜が咲いてよかったですね!


 そろそろ昼飯にしよう!


 僕ね、ママの卵焼き大好きなの!


 人々の声は重なり、陽気な雰囲気がさらに人を呼ぶ。


 満開の桜である。訪れた老若男女はそれぞれの持ち寄ったゴザを敷き、それぞれの方法で楽しんでいた。


 約五千本ある桜も、人を枝の下に集めているというよりは、人に包囲されているようだった。いつもは静かな公園も、金属が擦れあうようにうるさい。人々の熱気に当てられて泣き出している子供もいる。


 可哀相に。こんなに沢山の人がいれば、子供は恐ろしく思うに決まっている。そんなことも分からないのか、馬鹿親ども。


 横目で見つつ、喜多は紙コップの端をなめた。辛口の日本酒がぴりりとのどを刺激する。


 こんな酒には乾杯が相応しいと、喜多は紙コップを掲げ何者かと乾杯した。


 何者かの姿はない。


 一人で桜を眺めに来たのだから、相手がなくて当然だった。それを毛にも思わず、澄ました顔で喜多は一口飲んだ。錆だらけでボロボロのベンチで酒を飲んでいた彼女の周りにも、砂糖に群れる蟻の集団のように人が集まっている。


 どうせ桜などしっかり見ていないのだから、どこかのカラオケボックスかボウリング場で盛り上がればいい。どうしてわざわざ、人がうじゃうじゃ集まる桜の下にくる必要があるだろうか。


 さっさと静かになってくれ。喜多はあたりの人々という人々を睨んだが、誰も刺すような瞳には気付かなかった。オードブルやビール壜に集まっているのだから。


 桜が満開の間は「桜」を見ることはできないようだ。盛大に咲く彼らは報われないのである。


「まったく」


 喜多は決して動かすまいと思っていた腰を上げ、紙コップを持ったままで入り口付近へと歩いた。ゴミが溢れかえるくずかごへ、紙コップを投げ捨てた。桜の芳香よりも酒の香りが強く漂った。風が吹いて花びらが散る音よりも、下品な笑い声ばかりが耳についた。


 右を見ても左を見ても、人、人、人。陽気な人々。


 喜多の容姿や仕草に心を奪われ、絡んでくる親父もいた。


「馬鹿男」


 喜多は、振りほどき、人々の間を割って、ずんずん進んでいくが、エロオヤジはひるむ事無く追ってきた。


 喜多はうんざりして、エロオヤジを突き飛ばした。


 こんな不快な思いするのは職場だけで十分だ。


 仕事でのうっぷんも溜まっていたので、その分もエロオヤジに叩きつける。


 突き飛ばされたオヤジは、ぱちぱちと瞬きし、何が起こったのか阿呆な顔のままで考えていた。オヤジの酔いがぱっとさめて、逆上する前に、喜多は人ごみの中へ逃げ込んだ。追いつくことができないように、わざとジグザグに進んだ。


 桜の頃になると、どうしてだろう無性に叫び出したくなる。主張をしたくなる。どこか遠い昔に置き去りにしてしまった何かを、恋しく思うようになるのだ。


 花見客へ当たり散らすのも、それが影響している。職場では現さないようにしている春特有の気の迷いを、見知らぬ人のために増幅させ、まき散らしていた。


 喜多自身でも迷惑だとは思っていたが、やめられない。心にぽっかりとあいたものが見つかるまで、空虚がふさがるまで、落ち着かないのだ。


 獣の通るような細い道を見つけて、そこへするりと逃げ込んだ。


 桜の枝が覆いかぶさってくる、白桃色のトンネルだった。


 四方を取り囲んでいた花見客はあっという間にいなくなった。ざわめきだけは聞こえるが、やがて、それすら聞こえなくなり、桜の芳香と、花びらの散る音ばかりが響いた。


 花見客の多い公園で、こんなに静かな場所が、あるだろうか。


 不思議に思っているうちに、喜多は小道を抜け、拓けた場所へたどり着いた。


 土の地面が広がる、小規模の広場だった。全国各地の桜の名所と同じく、どこもかしこも桜色である。だが、広場の形は、四角でも円でもなく、正確な五角形であり、広場の中心には奇妙なシンボルが立っていた。普通ならば、例えば、花壇や時計塔、もしくは彫像か噴水があるような場所に、広場設計者を疑ってしまうようなものがあるのだ。


 それは、枯れ木だった。


 大きなうろのある枯れ木。幹は太く根は広く張っているが、中身は朽ち果て、熊も籠もれるような大きな空洞を作っていた。


「桜の枯れ木か」


 今にも舞踊を始めそうな幹の反り方を見て、喜多は枯れ木も周りでピンク色の花を咲かせる木と同じであることを判断する。


「どうしてこんなところに枯れ木なんて植えておくのかしら。これを見た人は絶対に困ると思うわ」


 喜多自身もおどろおどろしい雰囲気を出す枯れ木を凝視しすぎたか、桜にまつわる怖い伝説を思い出していた。


 桜の下には、人の骨が埋まっている。


 喜多は背中に冷たいものを覚えた。もうこの場からは立ち去ったほうがいい。根元に突っ立っている私の足の下には、たくさんの骨が埋まっているに違いない。この枯れ木の近くにいては、きっと憑かれてしまう。喜多は回れ右をして、来た道を戻ろうとした。


「おい、」


 男の声がした。聞き覚えのない男の声である。まさか幽霊か? 喜多は振り返り、枯れ木の陰で揺れる藍色の袖を目にした。力強く羽ばたく鷹のように揺れる、着物の袖だ。そばへ置かれた瓶に羽は伸び、すい、と水鳥の動きのようなしなやかさで、持ち上げた。藍色の着物を羽織った男は、枯れ木の元で手にした杯に瓶の中身を注いでいた。


 喜多はいぶかしんだ。


 男の容姿、していること、している場所すべてにおいて異様だった。


 トレーナーかスーツの上着を脱いだ姿かが大体の男客であるのに、着物を羽織っているのは、この場にして異様である。おまけに満開の桜に囲まれた唯一の枯れ木の元で、杯を傾けているのである。


 なんのつもりで、枯れ木の元で座っているのだろう。まさか花見のつもりではあるまい。花見なら、花のある桜の下で命の水を飲むだろうに。


 この男が何者か、喜多に考えられるのは三つあった。


 馬鹿か。


 ひねくれ者か。


 狂った奴か。


「うん?」


 不意に藍色の着物の男が振り返った。烏色の死んでいるような目で、喜多を見てくる。もじゃもじゃの黒髪を大きなゴーグルでとめている。作業着にでも着替えさせれば、映画に出てくるようなパイロットだ。けれども、男の容姿からして、パイロットにはなれないことは明らかだった。外見だけでは判断できない妙齢だったからである。歳をとっているようで、歳をとっていないような顔つきだった。右目下の泣きボクロさえ男の年齢を分からなくさせるアイテムだ。


 男は目を細めて、喜多をじっと見つめた後、口をへの字に曲げた。


「お前、穴を空けようとしないでくれ」


 わけの分からないことを言った。


「はあ?」


 喜多は驚きを禁じえなかった。


「『はあ?』ってお前、知らないのか?」


 男は呆れた、とため息をつく。


「穴が開くほど見つめるとよく言うだろうが」


「はあ?」


 今の文脈ですぐに分かれば最高だよ。分かるわけないだろうが。喜多は胸中で毒づき、表情に不快感を表した。


「私は、見つめられすぎて、本当に穴が開いてしまった女を見たことがあるぞ」


 男は杯を揺らしながら、真実とも嘘とも、にわかには判断できないような抑揚で告げる。そして、突然、


「お前、私を酔狂な奴だと思っているのか?」


 男は喜多の心が考えていたことについて問い、唇の右端だけを奇妙に吊り上げた。


「まあ、私をどう思ってくれても構わないが、」


 男は片腕に瓶を抱えて、片腕の袂に杯ごと手をしまいこんだ。そして、足を伸ばして立ち上がる。


「……確かに、酔狂かな、私は、」


 枯れ木を仰ぎ見て、枯れ木に語りかけた。ああ、酔狂だよ。喜多は再び毒づく。


「しかし、このような花見もまたいいだろう?」


 男はくぐもった笑い声を出した。思わず、頬を指先で触り、喜多は弾力を確認した。目の下の隈を気にするようにはなってきたが、喜多はまだベテランOLな歳ではない。


最近は、歳を聞くだけでセクシュアルハラスメント法を適用させることができるが、「若返り」などを口にした男を相手取ることができるだろうか。


「おい、私はお前に言ったのではないぞ? 何を勘違いしている?」


 男がやや、背中をそらせた体制で振り返った。いつの間にか取り出した杯に瓶の中身を注ぎ込んでいる。


「私は、この桜へ言ったのだ」


 男はにやりと笑い、杯の中身を四分の三のみ干した。飲み残しは地面へ飲ませ、その癖また新しく、杯の中身を注ぐ。


 喜多は、唐突に、喉の渇きを覚えた。


「私も、飲みたい」


「本当か?」


 男は顔を上げ、聞き返す。


 異様なオーラを放つ男からいただくことは、不安が拭いきれないことでもあったが、目の前でぐびぐびとやられては、喉が鳴るに決まっている。


「香りは甘いが、よくまわるぞ」


 それでもいいのか? と男が念を押す。どうやらそれが最終確認だったようで、男は袂から薄紅色の小さな杯をつまみ出した。松竹梅すべてが描かれている、縁起のいい杯で、それを手渡された喜多は扱いに困った。


「気にするな、有形のものは壊れるのが常であるからな」


 男は悟ったようなことを言った。


「……そうですか」


 喜多は杯を口元へ寄せると、いっきに傾けた。中の液体すべてが喜多の体へ吸収された。


「おお、よく飲むな」


 男は歓声を上げ、喜多に拍手を送った。喜多はポケットからハンカチを出して、口元にあて、プハッと息継ぎした。


「ええ、結構飲みます」


 杯を吸寄せた時から香る匂いが、まだ口内にこびりついている。喜多はしばらく、その残った香りを味わった。


「……ありがとうございました」


 杯のふちを指でなぞってから、男に杯を返した。


「仙人の飲み物の味はどうだった?」


 受け取りざま、男が問うてきた。この男は相当冗談が好きなのだろうな、喜多は男の人を食ったような笑顔を見ながら思った。


「冗談が上手ですね」


「冗談ではない。私はこうみえても、二万とんで八六三・七歳だぞ? 人間ではありえない年齢だろう?」


 冗談なら、冗談で返しておけ。


「成程、だから、この枯れ木の下で花見をしているわけですね? この木に思い出があるから、」


「あ? 特にそんなものないぞ?」


 折角、言葉遊びに付き合っていたというのに、相手の男はあっさりと否定した。


「私にとっての特別な桜はただ一本、我が家の庭の若木だけだ」


 男は枯れ木の周りを時計回りで一周し、戻ってきた。その手にはいつの間にかなみなみ注いだ杯があった。


「ああ、この桜とは逢うのが初めてだよ。向こうも、そう思っているようだぞ」


 男は喜多に言い、最後の一文のみ、枯れ木に振り返った。喜多への笑みというよりは、桜に向けているようだった。喜多は思っていることを口にした。


「ではどうして、わざわざめでたい花見の席に選んだのが、枯れ木の下なんです?」


 男の顔が歪んだ。不愉快そうに。喜多は何か間違ったことでも言ったかと思ったが、目の前にある桜が枯れ木だということを見間違えるはずがない。


「……枯れ木ではない」


 着物の袖を大きく揺らし男は桜の木を指した。その目が招き猫のそれのように細まる。


「十年か百年か、それとも千年か前では、この木は枯れ木ではなかったのだぞ?」


「だからなんですか、今は既に枯れ木じゃないですか」


「若輩者」


 男は悪意をこめずに言った。喜多への呆れなのだろう。腹の底に沸騰するものがあったが喜多は我慢して、男の話を聞いた。


「この桜が満開だった頃を想像してみろ。その頃は沢山の人々がこの桜を見て、愛でていたのだ。見てみろ、この木は枯れ木か? 枯れ木だと思うか?」


 枯れ木だと思わせない、言外にそう言われた気がした。


「どう見たって、枯れ木にしか見えないんですけど、」


「だから若輩者だというのだ。つべこべ言わずに、桜の元に座ってみろ、貴様にもすぐ分かるはずだ」


「……」


 喜多はしぶしぶ桜の元へ歩み寄り、その根元へ座った。


 幹に背中を預けると、深いため息が漏れた。和らげる空間、ゆったりと流れる時間。違う風の匂い、指先に感じる暖かさ。現代とは違う言葉で、誰かがしゃべっている声が聞こえる。これが男の言った、桜の満開だった頃だろうか。聞き取ろうとしてもあまりに微かで、背中をなで回すようなくすぐったさと、優しさがある。


「花咲かなむ。今咲かなむ。花咲かなむ」


 はっきり聞き取れるものがあったのでその方向を向くと、男が呪文を口走りながら、杯の中身を空中に振りまいていた。しずくの一粒一粒が宙に舞う花びらのように輝いていた。目をこらして見るが、木の下から見上げる喜多には判別ができない。もしかしたら、本当の花びらが降っているのかもしれなかった。

 

 「変な人」

 

 男の奇妙な行動に喜多は感想を漏らした。何故彼が楽しそうに笑っているのかも、想像することができなかった。集中力の全ては、木の中から背中を伝って響いてくるようなささやき声に向かっている。だが、それもどうでも良くなった。

 

 花びらを見ていた目蓋が重たくなってくる。桜を眺めていたいのと同時に、木の中や目蓋の裏で降りしきる、在りし日の幻影に思いを向けたくもあった。空に向けて、溜め息を一つ。あくびとなって消えていく。目を擦る手が、想像した以上に重たい。


 このまま、昼寝をしてしまおう。喜多は目を閉じた。


「ほら、咲いたぞ」


 男の声に反応して一度だけ目を開ける。夢か現か定かではない中で、空を舞う桜を見た。

有名な、梶井基次郎さんの「桜の木の下には」をベースにして

作成した作品です。

物語後半に登場した着物にゴーグルの奇妙な男を、

ただの変人ではなく、色気ある男として書きたかったのでした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 流れるように、のどごしのよい文章でした。 掴みどころのない雰囲気も、夢か現か分からないこの作品らしく思います。 少し状況がわかりにくいところがありましたが、ラストの表現でまったく気にならな…
[良い点] テンポがよく、分かりやすい風景描写ですぐに情景が浮かびます。特にラストが好きです。私にも満開の桜が見えました。 [気になる点] 主人公の性別が、初め男性だと思って読んでいたので女性だと分か…
[良い点] 情景が目に浮かびました! [一言] 読みごたえがありました! 繰り返し読むほど、面白くなっていきます。 私も素人ながら『詩織と数真』という題で投稿してます! よかったら読んで感想ください(…
2014/09/30 13:02 退会済み
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