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また来年、この場所で(前編)

「……夢を」


少しの間の後に告げられた返答だった。


「ああ」


返答に、なんとなく心の中で気づいていたからなのか、それとも違うのかわからない。


ただ、気づいた時には首が縦に振られていたんだ。




指切りげんま


嘘ついたら針千本飲〜ます、指切った




今、ここで誓い合おう。


普通よりも強く指を絡めて、互いの夢を実現させることを……。


たとえ、どんなに時間がかかっても諦めずに前だけを見据えることを。




****


愛知県にあるN町に楽器の音色と歌声が響きわたる。


N町といえば、静かなイメージと少し田舎のようなイメージが植えつけられているだけに、


これだけの楽器の音色と、歌声……そして周囲の歓声は不釣合いだ。


もう愛知万博は終わっているし、午後6時の寒空の下で何をしているのだろうか。


N町にリニモが開通されていても、今じゃ使われていないようなものと同じと言える。


万博が開催されていた時は、毎日のようにリニモに乗ろうと押しかけていた人々の熱気は途絶えている。


使っている人といえば、近くにある高校生や教師、通勤で使わざる終えないサラリーマンだろうが、それもほんの一握り。


N町が熱気に包まれていた時期は嵐のように過ぎ去った。


残されたのは万博開催期間に使われた交通ルートや跡地。


そして自然。


元々、静かで自然が多いN町だ。


だから本来の姿に戻るはずなのだが、どうやら他の何かが来たようだ。


でもそれは万博のように世界的なイベントではなく、日本ならではの文化でも習わしでもない。


芸能関係のようなマスコミの話題になるようなものだろう。人の集まりが尋常じゃないのだから。


そしてそれは、坂松デパートの前に集中している。


冷たい風が吹く中で、なにが行われているのだろう。


寒ささえ忘れさせる芸当が、この人だかりの中心で何をしているのだろう。


有名人がミニコンサートでも開いているのだろうか。


いや。


いくら芸能人でもこんな日にミニコンサートをするメリットがわからない。


万博が終わった今、N町に名物はないはずなのだから。


しかし聴こえる。歌声が楽器の音色が、リニモから出た途端に身体に響く。


まだ改札口も出ていないというのに。


風が音色も歌声も運んでくれているような錯覚を起こすほど、惹かれる声量こえ


それほど歌詞も音もはっきりしている。









♪未来はない


♪未来が欲しい




♪特別じゃなくていいから




♪時間はない


♪時間が欲しい




♪“夢に向かう時間”が 欲しいだけ




♪明日へとつながる 未来という時間を共有したいんだ


♪唯一無二の親友キミとの二人三脚で


♪夢を共に おいかけたいから―――






季節は冬。


吐く息は皆、白い。


厚手のコートや毛糸の帽子は、かかせないアイテムになる季節。


だが、坂松通りブルーウィングロードは、男女関係なく沢山の若者が集まっていた。


雑音の入っていいないクリアな声が、リニモから出てきたばかりの3人組にも届けられる。


3人組の目的は、SAKUYAのライブを見に来ることだったが、誰からともなく『ほう』と息をつかせた。


感心―――いや感嘆に値する声音が漏れたことに3人して気づかない。


ただただ、遠くに見える人影……SAKUYAに、彼の心のかしに耳を占領されてしまった。


ついこの間まで、彼、SAKUYAは“向坂咲哉”として3人と共にいたのに。


どこにでもいる高校生だったはずなのに、今ではもう見えない壁に阻まれてしまった。


長く時間を共にした、旧友なのに。




“歌手になるのが俺の夢”




これを真に受けなかった3人の傍にずっといたら……恐らく、いや確実にSAKUYAは誕生しなかった。


向坂咲哉をSAKUYAとしてデビューさせたのは、ただひとりの少女・柳青羽だと断言できる。


年も性別も違う2人。


ほんの数ヶ月しか時間を共有しなかった2人。


でも。




“”夢”を実現できるかできないか、なんて自分しだいだと思うから”




青羽はそう言って、言葉の手を差し伸べたのだ。








「……よく、聴こえる」


歳は20歳前半といったところか。


淵なし眼鏡を通して見える映像に、ひとりの背の高い男が映される。


後ろには坂松ビルが建っており、目に入ってきた男はマイクを持って歌っていた。


「間に合ったみたいだな」


淵なし眼鏡の男は、どこか理屈っぽい印象を受ける。


お決まりの仕草で、クイと眼鏡を上げている。


「俺達の旧友も、今じゃすっかり有名人だな」


淵なし眼鏡の青年の隣に、野球帽をかぶった男が続く。


スポーツ大好き人間と言い切っていいほどの体つきは、すれ違う女性達の目の保養となっていた。


「あの超お気楽小僧・咲哉が今では、駆け出し歌手。


何が何でもストリートにこだわる、ストリート・SAKUYA。通称・SS。


……ねえ、咲哉の昔の秘蔵写真、どこに売ったら一番いいと思う?」


ブロンドの髪をポニーテールに結え、ブランド物のコートにブーツ等を見事に


着こなしている女が意地悪そうに相談する。




「……たいした人気だよ」


淵なし眼鏡の男―――名を幸伸ゆきのぶ通称・ユッキーが曇ったレンズを忙しく拭う。


「そりゃそうさ。アイツも俺達と同じなんだから」


野球帽の男は地べたへと座り込む。彼の名は雅也まさや


幸伸の言葉に無言で首肯し、視線を咲哉から離さない。


「咲哉は……簡単に立ち止まらないわ」


女は良子りょうこ。咲哉の幼馴染。長年の付き合いだ。この面子で咲哉を一番よく知っているだけに、彼女の言葉は重かった。


瞬きひとつせずに見ていると、目はぼやけてくる。


だが、咲哉の背後にある青木は、はっきりと見えていた。


そして、3人とも食い入るように咲哉を見続けているのは言うまでもない。




****


20××年11月上旬の愛知県・N町。


少し風が吹く中、青木に身を預けて座り込み、明るめの茶髪を掻き毟りながら、手を動かす少年がいた。


なにかを口ずさんでいるような小さな口の動き。


テンポをとっているような、わずかな足の動き。


それがもう、軽く2時間は続けられている。


ときたま髪を掻き毟る少年の顔は、真剣そのものだった。


黒く、大き目の目は、くるくると表情を変えていく。


肌の色はほんのり黒いが、結構整った顔と身体をしていた。


最も、本人にはその自覚はゼロだろう。


でなければ風の強い日に、何時間も身体を動かさず、座っていられるはずがない。


ましてや藍色の学ランのボタンを全て外したままなんて。


……というかよくよく見ると、下のカッターシャツのボタンまで外していた。


流石に全部とまで言わないが、3つくらいは外している。




本人に自覚があれば、こんな馬鹿なことはしないだろう。






へっく、へっく……ぶえっくしょんっ ずびびびびびっび……






少年が盛大にくしゃみをし、出てしまった鼻汁を勢いよく引っ込ませていたのが2人の出会い。


いや、話したというほうが正しい。


少年が知らないだけで、少女は見ていたのだから。


「“いつもここで”……青木の下で、何を一生懸命書いてるの?」


少女は、少年に近づき、聞いてきた。


対して少年は、怪訝そうに少女をチラリと盗み見る。


活発そうな印象をまず、うけた。


茶色が強いショートカットに青いジーンズと白いトレーナー。


その上には藍色のコートを羽織っている。


まるで男子のような格好だが、綺麗な肌が目に飛び込んでくる。


コートから出た手の指は細く、すらりと長い。大きめの瞳は濁りのない茶色。


ただ、ひとつ気になるのは彼女が羽織っている藍色のコート。


まだコートを着るほど寒くない、と思っているのは自分だけだろうか。


まだそれだけならいい。着る着ないは勝手だから……でも。


足が隠れるほどのコートを着るには、やはり早すぎやしないだろうか。


「……なんで、いつもここに来てるって君が知っている?」


返答に答えない上、あえてコートの話題をさけた咲哉の質問に少女は笑いながら答えた。


「だって、ウチはあの家だもん」


あっさりと少女は目の前の豪邸を指差して答え、


「私の部屋2階にあるんだよ。あ、ちなみにこの敷地、私んちの」


ニコニコと平然に続けてくれる。


人間としての条件反射だろう。咲哉はとっさに走り出すが―――見事に前方に転んだ。


もとい、転ばされた。


涙目で、ゆっくり自分の足元を見てみる。細めのロープが自分の足の下でピンと伸びている。


そしてそのロープを引っ張っているのは、紛れもなく何事もなかったように笑っている少女だった。


全く、いつこんなものを張ったのかと聞いてみたい。だが、現実は思い通りにいかないものだ。


「私、青羽。柳青羽やなぎ あおば13歳。で、何を書いているの?コウサカさんは」


少女、青羽は相変わらずニコニコしながら、ロープをしっかりと握って問うてくる。


自分に何も言わせまいとしているのか、そうでないのかわからない。


「何で、俺の名前」


諦めたようにひとつため息をついてから、青羽に向かい合い、聞いてみる。


返答はすぐにあった。


「名札見れば分かるよ。それ、コウサカって読むんでしょ?」


咲哉の疑問は、一瞬にして解けてしまった。


寒さがこの上なく沁みるのは、柳青羽が原因だ。


なのに、咲哉は不思議と腹が立たない。


ゆっくりと顔を上げ、観念したかのように1枚の紙を青羽に渡す。


「それが、答え。青木高校1年、向坂咲哉こうさか さくや16歳。俺、歌手になるのが夢だから」


小さな声で、恥ずかしそうに言いながら手渡す咲哉。


が、すぐさま後悔した。次の言葉を予期できたから。




『どわぁっ!!ユッキー達に馬鹿にされ続けてること言っちまった!


つか、ペロッと言っちまった俺って何!?』


心の中で、絶叫し、心の中で地団太を踏んでいることを誰も知るはずがない。






“後悔先に立たず”






この言葉が頭の中で幾度も反芻した。


『穴があったら……いや、穴を掘って入りたい!!今すぐにっ!』


そんなことを思っている矢先だった。


次の瞬間、咲哉の目がまんまるく開くことになるのは。


「へえ〜向坂さん、歌手になりたいの?俳優希望かと思った。どっちかっていうと、2枚目だし」


「…………は?」


青羽の一言に、咲哉は顎が外れたと思った。


そのくらい、意外だったから。


馬鹿に、されなかったのが。


「君は」


「や・な・ぎ・あ・お・ば!柳青羽だよ!私にだってちゃんと名前、ある!!」


咲哉の言葉に敏感に反応して、ガルルルル……と唸りながら声を出す青羽。


異常なほどの過敏さに、多少の驚きはあったものの咲哉は『何故』とは問わない。


「了解。俺のことは咲哉でいい」


「私のことも青羽でいいよ。あ、ちなみに夢は作曲兼作詞家」


舌をちょろっとだして、悪戯っ子のように笑う青羽は可愛かった。


めまぐるしく変わる表情や言動に幼さは残るが、そういう年頃なのだろうと勝手に納得する咲哉。




「それに」


どこか遠くを見るように青羽は言葉を続ける。


「”夢”を実現できるかできないか、なんて……自分しだいだと思うから」


そう言った時の青羽の声音は、“自分に言い聞かせているようだな”と咲哉は思う。


しかしそれを言葉にせず、青羽の真っ直ぐな笑顔と「お互い頑張ろうね!」と言う言葉に微笑する。


今時では珍しいほどの真っ直ぐな気持ちと、まぶしいほどの笑顔に心打たれたのだ。


会ってから数十分。


たったそれだけの時間で2人の間に“壁”はなくなった。


寒かったはずの空気が、心地よく感じられる出会い。


これがきっかけで、彼等は毎日青木の下で話すようになったのはいうまでもない。


話の内容はといえば、咲哉自身の周りの出来事が多かった。


好きなTVのこと、意地になって嫌いなものをたべた給食、最近はまった漫画のこと……


本当に他愛もない話を青木の下で咲哉は話し、青羽は聞いていた。


咲哉の話で笑ったり怒ったり呆れたりする青羽。時折そんな青羽に突っ込まれると咲哉は笑い、時にはいじけてもいた。


できるだけ青木の下に早くくるよう努めている咲哉だったが話せる時間は、長いようでとても短い。


家がすぐ目の前でも、暗くなれば咲哉は青羽を家まで送る毎日が続いた。






―――子ども扱いするな!―――




これが青羽の口癖だった。


まだまだ子供の年齢なのに、よく言う……と呆れてたけど。


この時の咲哉にはわかってなかった。


最も、青羽自身がうまいこと咲哉を欺いていただけなのだが、咲哉が悔やむ原因になるのはそう遠くないこと。


出合ったときから、彼等の歯車は狂い始めていたのかもしれない。


その速度は、亀よりも遅かったかもしれないけれど。


暖かさは、確かにあって心地よい時間が動き出していたのだ。




****


坂松通りの熱狂は、エスカレートしていく。


咲哉の目の前にいる子も、後ろにいる数人の男達も、咲哉と一緒に時を過ごす。




『何で、楽しそうに聞けるんだよ。ラヴソングでもないのに』


歌いながら、咲哉は自問自答していた。


だが、答えは見つからない。






―――咲哉、歌うときは、どんなことがあっても、


“歌うことに”集中しなきゃ、やってけないよ?―――






いつかの青羽の声で、俺はやるべきことを思い出す。


バックのギターと共に、俺の声がストリートに響き渡る。






♪無理だ!




♪叶うことない!


♪叶うはずない!




♪誰もが言っていた台詞


♪十人十色とはだれがいったんだ


♪十人同色の答えしか返ってこないのに!




♪でも


♪この台詞に慣れてしまい


♪全てを麻痺させてしまったボクがいた


♪当たり前のことだと思い込み


♪ボクも十人同色に足を踏み入れた




♪―――だけど!




♪君だけは、言ってくれた 当然のように




♪偽りではない瞳で


♪真っ直ぐとボクを捕らえ


♪はっきりと口にしてくれた




♪ボクが入ってほしかった言葉を


♪ボクが何より望んでいた言葉を


♪君は言ってくれたんだ




♪―――会って間もない君に……




♪偽りではない瞳で


♪真っ直ぐとボクを捕らえ


♪はっきりと口にしてくれた君に


♪ボクは 教えてもらったんだ




♪夢の叶え方を……




♪十人同色からボクを引き上げ


♪道をしるしてくれた君


♪だからこそ 信じていた


♪疑いもせずに信じて疑わなかった


♪同じ用に歩いていけると信じて……い・た・の・に!




♪全てを明かされたあの日


♪ボクの思考は停止した


♪全てを明かされたあの日


♪ボクは十人同色に戻っていった




♪―――ボクの時間は止まったんだ 君の真実の こ・と・ば で!






♪未来はない


♪未来が欲しい!




♪時間はない


♪時間が欲しい!




♪明日へとつながる明るい未来が欲しい―――




♪この言葉は 君のものではなかったの?


♪君にとって ボクはなに……?






さびしげな歌詞と激しい歌詞が音色と共に入れ替わり、顔を出す。


感情だけで歌っている、という印象が強い曲なのに。


なのに何故彼の周りは人が集まっているんだろう。


この曲が咲哉のデビュー曲だからだろうか。


「――――」


目を見開いたまま、乾いた瞳で咲哉を凝視しながら良子が息を呑む。


「そんなに驚くことか?良子」


そんな彼女に、幸伸が再度レンズを拭きながら良子に聞く。


良子とは正反対で彼、幸伸と雅也はいたって落ちついていた。


「なっ何で、驚かないわけ?幸伸!それに雅也も!」


「……お前、ホントに咲哉アイツの幼馴染かよ」


「っ!!」


彼女の目には、野球帽を押し上げる雅也の顔が映っていた。


「咲哉は、簡単には立ち止まらない。さっきお前も言っただろ?」


雅也の口調はどこか冷たく、暖かいコートに身を包んだ良子の腕に、鳥肌をたたせた。


「良子。今日が何の日か、忘れたわけではあるまいな?」


「……」


幸伸の一言で、良子の口から小さくもれる白い吐息。


「あれから8年もたつのね……」


良子の目は悲しげな色に染まっていて……そしてそれは雅也と幸伸も同じだった。


「未だに、つい最近のことに感じるな」


雅也の呟きに無言で頷く良子と目を閉じる幸伸。


昔のことが、どんどん脳裏に蘇る。


全ては8年前の出来事だと言うのに、その記憶は色あせずに蘇る。




****


「咲哉、最近なんかあったわけ?やけに楽しそうじゃない」


青羽と会ってから2週間が経った頃、良子がニヤニヤしながら咲哉に問う。


「や、別にないけど」


短く答えた咲哉の声は、良子に届かず、かき消された。


「んなこといっても駄目だって!」


「ネタはあがってるんだぜ?咲哉」


ユッキー達の声で、かき消された。俺の声。


幸伸……通称ユッキーは眼鏡をしょっちゅう上げ下げしている理系少年。


ちなみに体育はいつも2。


その後ろにいる奴は雅也。スポーツ万能で野球部のキャッチャー兼、頼れる4番バッター。


まだ1年なのに、すでにスカウトらしき人達の注目を浴びている。


そして、幼稚園からの幼馴染・良子。


腐れ縁と俺は思ってるけど……周りはそう見てくれない。


良子の容姿が原因だ。


細い身体に、ぴったりとしたブラウスとミニスカート。


大きめの目に、長いまつげ。


誰もが振り向く容姿ユッキーによるとをしている。


「……自覚してないよマジで」


呆れたように良子がいうと雅也が俺の肩に手を置いて言葉をつむぐ。


「アオバちゃんだっけ?あの可愛い子」


俺は、ぎょっとしたまま固まった。


隠していたわけじゃないが、あまり踏み込んできて欲しくなかったのだ。


人間、そういう領域は誰でもあるはず。


でも、良子達は見事に領域にズカズカと踏み込んでくれた。


「毎日毎日、昨日のテレビのこととか学校のこととか話して飽きねーの?」


「てかさー。アオバちゃんが初めてじゃん?咲哉の夢を笑わなかったの。


あの子も気を使ってるんじゃない?独りさびしく青木の下で毎日何やってるんだろって」


「あったりまえだろ?!良子。咲哉って確かに顔はいいけど、作詞は趣味なんだから」


ユッキーが俺の肩を叩いて、大笑いする。


雅也も良子も、伝染したかのように大笑いしていた。




『こんなのは、いつものこと。―――いつものことなんだ』




俺は拳を固く握りしめ、気持ちを落ち着かせる。


必死になって、落ち着かせる。


だが。




「実現できもしない夢を追いかけててどーすんだって感じ?」




ユッキーのこの一言で、俺の何かが外れた。


いつも言われていることなのに、なんか外れたんだ。俺の中で音を立てながら。


そのとき俺の脳裏をよぎったのは青羽の笑顔――――






どがっ……!!






俺はいつのまにか固い拳で、ユッキーを殴り倒してた。


なにか良子が叫んだような声が聞こえた。


後ろから雅也が俺を羽交い絞めしてくる感触も感じた。


机や椅子が音を立てて吹っ飛んだのも知っていた。


クラスの連中がパニックになって、騒ぎ出したのも知っていた。


それでも俺は、ユッキー……いや幸伸を殴り続けたんだ。




涙を流しながら、俺は殴り続けた。


殴りつけるのをやめたのは、警察と救急車が来た時だった。




****


♪未来はない


♪未来が欲しい!




♪時間はない


♪時間が欲しい!






♪君の叫びに気づきもせず


♪浅はかな言葉の刃を向けた、ボク




♪ボクにとっては”当たり前の言葉”でも


♪君にとっては”残酷な言葉”―――なのに




♪“君は何故笑えたの?”




♪未来が欲しい!




♪時間が欲しい!




♪明日へとつながる未来が 今すぐ欲しい……




♪そしてできることならば 今すぐ過去に戻して!


♪君を傷つけたときに


♪今すぐボクを 過去に、戻して!




♪どんな代償でも、払うから―――!






11月も下旬に差し掛かった放課後。


青木に着いた俺を出迎えてくれたのは他ならぬ青羽だった。


「咲哉!5日ぶり〜」


元気よく俺を迎える青羽。


彼女に笑いながら軽く手を振る俺。


曇っていた俺の心は、青羽の笑顔で晴れていくのがわかった。


俺がユッキーを殴り倒してから5日後。


ようやく学校の謹慎もとけ、ユッキーも学校に復帰した。


無我夢中だったからか、俺の記憶は曖昧で。


ユッキーが軽い打撲やヒビがあちこちにできていたと聞いたのは、


本人からではなく、警察にお世話になっている時のこと。


学校に復帰しても、俺は誰とも喋らず、独りで全授業を終え、ここにきた。


迷わず、いつもの指定席―――青木に身を預ける形で座り込む。


「5日ぶり、青羽」


「友達、殴っちゃったんだって?」




俺が座ったと同時に、青羽の単刀直入な言葉で傷をえぐられた。


その声音はとても優しくて、いつもと変わらない挨拶のように……。


「なんで知っている?」と問えば、「リョーコさんが教えてくれた」とのほほんと返ってくる。


ニコニコ顔で伝える青羽を目の前にすると、頭痛を覚えるのは何故だろう。


というか良子の野郎ちゃっかり青羽に話しやがって。


良子がいたということは、十中八九、雅也もいたはずだ。


「面倒なことになりそうだ……」


「友達、殴っちゃ駄目だよ?」


ため息交じりの俺の言葉と優しく叱るような青羽の声が重なった。


だが、青羽は気にも留めずに、俺の顔中にはられた絆創膏顔を真正面にとらえ、


「もう駄目だからね?」といいながら、頭を軽くペシペシ叩きはじめる。


まるで、小さい子供をしつけるように。


叩かれながら、俺が感じたのは安心感。


青羽のそばにいると、不思議と心が満たされる。


最も、自覚をしたのは今だけれど。






“実現できもしない夢を追いかけててどーすんだって感じ?”






ユッキーの声が蘇る。


多分、俺の何かが外れたきっかけの言葉……だと思う。


それを小さく青羽に伝えると彼女は眉を寄せもせず、淡々とした声で問う。


「それで?」と。


まさか尋ねられるとは思ってなかったため、返答につまったが……


俺は頭に浮かぶ言葉を、ゆっくりと青羽に伝えていく。


「……青羽が、馬鹿にされたようでさ……なんかその……それが、原因、かな」


ちらりと見た青羽のそのときの顔は、初めてみる顔で。


驚きと困惑が入り混じったような……呆れ顔、と言うべきか。


寒さで凍りついたのか、青羽の開いた口はふさがらない。


「だ、だって言ってただろ?『”夢”を実現できるかできないか、なんて自分しだいだと思うから』って!

だから、その俺は、俺は、嫌だったんだよ!青羽を馬鹿にした言葉だったから!」


自分でも不思議に思う。


何でこんなに俺は一気にまくし立てているんだろう……と。


何をこんなに興奮して思いを伝えているんだろう……青羽は俺にとって―――何?




―――友達。




短い自問自答で、俺の心の中には決着がついた。


なんだか、しっくりこないけど。


全く青羽の顔がまともに見れないのが気になるけど。






ポスッ






ぐるぐる考えていた俺に、青羽が顔をうずめてきた。


正確には、“俺の胸に”だがそんなことはどうでもよくて。


あまりに突然の出来事に、流石の俺も動揺を隠せず、あたふたする。


「りが、と……ありがとぉ……さくやぁ……」


あたふたした俺の耳に入ってきた言葉だ。くぐもった声だが、確かに青羽はそう言っていた。


いまやもう、顔をうずめているだけででる声ではない。


「あり、と……あり……がとぉ……」


完全に泣いている声で、繰り返し俺に礼を言う青羽。


そんな彼女を、俺はいつのまにか抱いていた。


泣いているからなのか、寒さからなのか分からない肩の震え。


今日初めて痛感した青羽の体温の低さ。


最近、急に寒くなってきて、コートが必要になってきた。


ダサイとかほざきながらもコートを着てくる学校の連中を思い出す。


でも結局寒さをしのぐには着るしかないのだ。


俺は羽織っていた学校指定のコートを脱ぐために、彼女を片手で抱き、脱ぎ終わったコートを青羽にかけてやる。


最も、青羽のトレードマークともいえる藍色のコートの上からだったけれど。






「俺達は、きっとなれるさ。絶対に」






それぞれの目標に向かって、それぞれの願う道を走れるに違いない……俺達なら。


白い息をまわりにプカプカ浮かばせながら、俺はあやすように話しかけた。


「そうだね」という返事のつもりだったのか、青羽が俺を強く抱き返す。




――――最も、その行為が全く違う意味だと知るのは、もっと先のことになったけど。




久しぶりに風のない夕方。


俺と青羽は抱き合ったまま過ごしていた。


時間がこれほど短く、それでいて惜しいと感じたのは初めての経験だった。


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