春を告げる色彩
一体誰が最初に始めたのだろうか。
物語売りの目の前には、見渡す限り桃源郷かと思うような満開の花々が広がっていた。
桜より早く春を告げるその樹は、人々の心にもいち早く春をもたらす。
……花びらと共に降り注ぐ物語は、
* 春を告げる色彩 *
カツッ、コツッ、コツーン……
一体いつまでこんなこと続ければいいんだろうか。
暗い森の中でひたすら、斧を振り続ける毎日が続いていた。
北向きの厳しい斜面での重労働にはさすがに慣れたが、気が滅入りそうなこの薄暗さには未だに慣れることができない。
帰り道にふと気付くと、鮮やかな黄色の福寿草が花を咲かせている。
「もう、春か……。」
ここでの春を知る手がかりは、朝起きたときの気温とこういった野草の知らせぐらいしかなかった。
それ以外には、全くと言っていいほど周囲の景色は変わらない。
山間にひっそりと佇む、人口もそう多くない山村。そこで私はきこりをやっている。
城下町建設に続き、次々に拡大を続けていく都の建築用木材調達のため、ここいら一体は一面が杉や檜の林となっていた。
この村は、きこりで生計を立てている者が数多かった。
最盛期の頃は、そんな景気に後押しされて、我々はかなり羽振りが良かったと言っていいだろう。
「……アンタ、また蔵の米がカビてきちゃってるよ。」
「そんなもん早く捨てっちまえよ。またすぐもらって来るから。」
「ホント、ここは湿気だけはいつまで経っても駄目ね……。」
「仕方ないだろ。そのおかげでメシ食えてんだから。今日だってまた10本も切ったからな。またすぐに好きなだけ白飯食えるよ。」
実際、自分自身もそうだった。
あの頃は、生活に必要な物は全てどこからか勝手に運ばれてきていると思っていた。
だが次第に、都の成熟と共に木材の需要も減り始め、徐々に山での仕事は少なくなっていった。
仲間のうちからは、きこりの代わりに棺桶や卒塔婆の仕事を引き受ける者が出てきた。
そしてそちらが軌道に乗り始めると、徐々にきこりを辞めるものも現れるようになってきた。
確かにそういった仕事は人間にとって必ず必要なものであり、重要な事だとは思うのだが、どうしても外の目はそう好意的には受け止めてくれない。
「……なんだか陰気な村ね。」
外からの親戚を案内すると、決まってそんな言葉が返ってくるのだった。
……無理もない。
春になってもこんなに暗い所は、雪国にすらそうないはずだ。
ついに、ちらほらと村を捨てて去っていく者も出始め、さらに段々と森は荒れていった。
人の手が入らない森はより一層暗くなり、生き物も少なくなり、まるで死んでいるようだった。
*
そんな中、子供が生まれたのをきっかけに、私は一本の樹を植えることにした。
「どうしちまったんだアイツは……?」
「あんな銭にもならない樹を植えて、どうかしちまったんじゃないか?」
周りでがそんな声が囁かれることもあったが、私は聞こえないふりをした。
もちろん収入はかなり減った。だが幸いにも、唯一、妻は私の気持ちを理解してくれたようだった。
縁側で子供をあやしている時、ポツリと呟く。
「やっぱり日が入ってくると気持ちいいわね。この子の名前にもぴったりだわ」
希望の春、という意味で名付けたその子は、穏やかな陽だまりの中で気持ち良さそうに眠っていた。
その寝顔を見ると、私はやはり自分が決めたことは間違ってなかった、とそう思う。
思わず私も暖かな日差しと子供につられ、昼寝をしてしまいそうな春の日が続いた。
それからも私は少しずつ杉や檜を減らし、同じ樹を植えていった。
手に入る収入が減った代わりに、自分で食べ物を作らないとならなかったが、その分、子供と一緒に過ごせる時間が増えた。
「父ちゃん、見てみて!あそこにうさぎがいるよ!」
「おお、ホントだな。……あぁ、子供もいるみたいだ。」
「ホントだすごい!すごいね!」
杉を切ってからは、動物も増えるようになった。
ずっと暗かった森に日の光が入り、そこで育つ草が出てきたからだ。
野うさぎを始めとする草食動物や、ケヤキをねぐらにするむささびの姿も良く見られるようになった。
その頃になると、春先にうちの様子を見にきた近所の連中も真似して、同じ樹を庭に植える者も出てきた。
ある者は「私は紅葉が見たいから」と、どんぐりを植えて秋を楽しみにするものもいたようだ。
そのおかげか、これまでは里に降りてきていた熊などの動物も、どんぐりが増えたおかげであまり里へは降りてこなくなってきているらしい。
気が付くと、近所一体がうちの庭と同じ樹でたくさんになっていた。
そして誰からか、この辺りのことを『梅郷』と呼ぶようになったという。
……また今年も春が来る。
そしてその後には、むせ返るような青い梅の匂いが辺りに立ち込めることだろう。
私たちはそれを集め、酒に漬けて寝かせておくのだ。
そして何よりも早く春を告げるあの花と共に、春を祝って杯を酌み交わそう。
それが我々きこりの何よりの楽しみ。
耳を澄ますと、今年初めてのうぐいすの声が聞こえていた。