うさぎとさぎ
うさぎが酷く暴れた、その次の日だった。
詐欺師の僕は、彼女に出会った。
正直、久々の当たりだと思った。
彼女は大手の不動産会社の令嬢らしい。
具体的には聞かなかったが、僕の情報網からすると、ほぼ間違いない。
よし決めた。今回のターゲットはこの子にしよう。
家に帰り、うさぎに餌を与えながら計画を練る。
鼻だか口だか分からない部分をふんふんと動かしながら、餌を探すうさぎ。
その目の前で餌をちらつかせながら、僕はやけに真剣にうさぎと戯れる。
絶対に、目の前の餌を捕らせまいとして。
次の日も、彼女と会った。彼女は、名門女子大に通っている。
僕は帰宅時間に合わせて、高級車で迎えに行った。もちろん、知り合いに借りた物だ。
そのまま軽く、ドライブする。行き先は定番の海。
その日はずっと二人で話した。僕も壮大な夢なんか話した。そうした方が後々役に立つからだ。
本当は、夢なんてない。
恋愛の詐欺は、まず相手を選ぶ事だ。
こちらにやたらと干渉してくる相手は良くない。できるだけ控えめで、自己犠牲を厭わないタイプの子が良い。
自己陶酔型の性格なら、さらに○だ。
そして、自分に惚れさせるよりも、情が移るように仕向けるのだ。
過ぎた恋愛感情は邪魔になる。
それが、長い仕事を通じて学んだ事だった。
今日も大丈夫だ。
順調に計画は進んでいると言っていいだろう。
僕はまたうさぎと戯れながら、餌をやる。こいつは、いつまでたっても僕には懐かない。
そんなことは大して気にしてはいないのだが、何故か今日に限り、随分としつこかった。
何度餌を取り上げても、諦めない。いつもなら、ふてくされて寝てしまうのに。
ゲージの外にまで目を向けながら、餌を求めてうろうろするうさぎの姿が、僕を妙にいらつかせた。
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そしてしばらくの時間がたった。
綿密な計画であるほど、長い時間を要する。しかし、今回は何だか心がざわついて落ち着かない。
予定よりも少し早めに、計画を進めることにした。
もちろん、いつもの倍は慎重に。
今度は徒歩で、彼女を迎えに行く。そして、安い喫茶店で休憩したあと、父が事故に遭った事を告げた。
架空の父は寝たきりになり、延命処置には莫大な金額が必要になる事を彼女に伝える。
思った通り彼女は、自分に何か手伝える事はないかと言ってきた。しかし、僕はやんわりとそれを断る。そう、今はまだ。
そして、近いうちに海外へ行くかもしれないので、今までのようには会えなくなると告げた。
帰り際の彼女の沈んだ顔が、何故か僕の心に引っかかった。
家に帰ると、うさぎは大人しく寝ていた。
珍しい。そう思いながら僕も大人しく寝た。
それから数日、あちこちに手配をする。そろそろ、引き際だ。
計画をもう一度おさらいする事にする。
父の手術は海外で行われ、いつ帰ってくることができるか分からない。・・・お金は適当に、向こうまでの交通費がないとか言えばいいだろう。
何故か、お金を取る方法よりも、別れる方法を真剣に考えてしまうのは、僕の悪い癖だった。
もし、もう一度会ってしまったりして、彼女が苦しんでいる所など見たくはない。
ふいにうさぎが暴れだした。
何となく点けていたTVから、ニュースが流れている。
「本日、大手不動産会社の○○が、不動産詐欺の疑いで告訴されました。・・・。」
え?・・・確か、彼女の父親の会社だ。
安物のTVの中で、無表情な男が無感情な声で喋っていた。
しばらく呆然としていると、不意に携帯が鳴る。彼女からだ。
僕は商売柄、滅多にターゲットからの電話を取る事はないが、今回はつい電話に出てしまった。
「・・・もしもし。」
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数時間後。
それほど遠くない場所にある広場で、待ち合わせする事になった。
僕は先ほどの計画だけは忘れないように、綿密に頭の中でシミュレーションする。
それでも動揺は収まらず、緊張したまま彼女を待った。
程無くして、彼女はやって来た。丁度、時計台が11時を告げる。
今夜は、いつもと時間の流れが違う。
一通り、彼女の口から状況を聞いた。・・・やはり、ニュースは本当だった。
僕は仕事が失敗した事よりも、なんだか彼女のことの方が気になった。けど、なんて言っていいのか分からず、押し黙っていた。
そして、きっともう二度と彼女に会う事はないだろうという事も考えた。
少し、胸の奥が苦しくなる。
何とか別れの言葉を口にしようと考えていると、彼女の方が先に口を開いた。
「もう、お別れですね。」
僕の口は凍ったまま動かない。
彼女の顔が見れず、下を向いている僕の顔を、彼女はじっと見つめていた。
「・・・あの、これ受け取ってください。お父様のために。」
差し出された包みを開けてみると、高そうな貴金属がいくつか入っていた。
ようやく動いた口から「・・・ありがとう。」と。
出た言葉は一言だけ。
それを聞いた彼女は、僕の頬に軽くキスをすると、夜の闇に溶けていった。
僕の頬に涙が流れる。
ずっと無くしたと思っていたのに。
家に帰ると、うさぎがじっと僕を見ていた。大きい黒目が潤んでいるような気がする。
突然、こいつと出会った時の事を思い出した。
僕が初めて好きになった女性。彼女が黙って消えた時に、たった一つ残された思い出。
僕の名がついたこのうさぎ。
恋に目がくらんで、あまりに純粋だった頃の僕は、きっと今日のあの子とよく似ていた。
僕はずっと、このうさぎにあの頃の僕を見ていた。
自分の事など構わずに、相手の幸せだけを願っていた、あの頃の。
僕はこの街を出ることを決心した。
仕事も何もかも捨てて、また新しい僕を見つけよう。
ずっと空っぽだった僕が、彼女に残してあげられるものは何もないけど。
せめて僕からの最後の愛の証に、このうさぎを贈ろう。