表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編集  作者: 安楽樹
【短編集】
12/42

サクラサク

・・・・・・。

公園に、少し強い風が吹いた。

物語売りが一冊の本を読んでいると、今年最初の桜の花びらが舞い落ちてくる。

その花びらはひらひらと、本の間に挟まってしおりとなった。

丁度それを期に、物語売りは本を閉じる。

花びらが落ちてきた桜の方を見ると、その木のふもとに一人の男が立っていた。

彼は何かを待っているように、ただ桜の花を見上げている。

そしてまた、ひときわ強い風が通り過ぎ、桜吹雪と共に男は消えた。

――彼が持ってきた物語は、



【桜咲く】


またこの季節がきた。

・・・僕は、やや不機嫌になる。

蕾はそのはにかんだ笑顔を広げる季節だというのに。

ひどい花粉症である僕は、この季節が好きではなかった。


3月も終盤に差し掛かり、ずっと冬だと思っていた暦がそろそろ新しくなる頃だ。

・・・桜はまだ五分咲きだが、春は確実にもうそこまで来ていた。


そんな、越してきて何度目かの春先、不思議な少女と出会った。


最初に彼女を見たのは、TVのキャスターが桜の開花を知らせた日の朝だった。

会社に行くために川沿いを歩いていると、ぽつんと一人、ひときわ大きな木にもたれかかっている女の子を見つけたのだ。

年は僕よりも随分と若そうだったが、その佇まいはとても落ち着いて見えた。

誰かと待ち合わせでもしてるのかと思って、その朝は黙って前を通り過ぎるだけだった。


しかし、日が暮れる頃に帰ってきても、彼女はまだ木の下にいた。

まさか、一日中ここにいたのだろうか?

少し訝しげに思いながらも、僕は声をかけることはできなかった。

・・・もう、女の子に気軽に声をかけられるような年ではないし。


その夜、窓からは咲いたばかりの瑞々しい桃色の花達を見ることができた。

もうすぐ、満開の桜のトンネルを通って会社に行くことになるだろう。

きっと今日の夢には、あの女の子が出てくるような気がした。

・・・でも結局、その日に見た夢は覚えていなかった。


次の日、いつものように家を出ると、既に頭の上では桜のプラネタリウムが広がっていた。

満天の桜の花の間から、微かに星のような青い空が見える。

休日のせいで、家の周辺は花見に来た地元の人たちで賑わっていた。

・・・今日は彼女はいないのだろうか。そう思って昨日彼女がいた辺りを探してみたが、それらしい姿はどこにも無かった。

僕は、普段慣れていない人の多さに気分が悪くなり、夕方まで部屋で寝ている事にした。


夕方。

むせ返るような桜の花の匂いで目が醒めた僕は、少し静けさを取り戻してきた桜並木の見物をしようと、外に出た。

桜自体は、そんなに嫌いではない。

やや寝惚け眼で赤とピンクの空を眺めていたが、ゆっくりと視線を落とした先で、僕は目を疑った。

・・・そこに、彼女がいたのだ。


さっきまで、眠っていたからかもしれない。

桜と彼女のコントラストが、僕にはまるで夢の世界にいるように思わせた。

気が付くと僕は、彼女の前に立っていた。

吸い込まれるように、話し掛ける。


「・・・誰かを、待っているの?」


随分と長い時間が過ぎたように思えた。

一枚の花びらが地面に落ちるのを見てから、彼女はやっとその桜色の唇を開いた。


「・・・妹を、待っているんです。」


そよ風よりも微かなその言葉は、男の理性を麻痺させる。

耐え切れずに、僕は彼女を掻き抱いた。

彼女は抵抗もせず、ずっとどこかを見ている。

・・・その視線は、永遠に失ってしまった何かを儚んでいるようだった。

夢見心地の中、僕は花の蜜を吸いに来た蝶になったような気分だった。

彼女の体が赤く染まるにつれ、花の色もより一層、鮮やかさを増してきたように感じる。

目が眩むほどの桜吹雪の中、僕は気を失った。

・・・最後に見えた彼女は、少し悲しそうな顔をしながら、桜を見ていた。


「おい、アンタ。」

・・・あれ?

気が付くと既に朝。僕は桜の木の下で眠っていたようだった。

「アンタ一体、何やったんだ?」

彼の視線の先を辿り、目を上に向ける。

満開だったはずの桜の木から、その仄かな花びらは全て散っていた。

その日から、二度と彼女の姿を見る事はできず。

僕は激しく後悔し、思う。

(・・・彼女はきっと、桜の精だったんだ。)

そう。確かに、彼女を表すとすればその言葉はたった一つ。


『桜のように美しく。』


そして幾つかの季節が巡り。

もうすぐ彼女と出会った季節がやってくる。

まだ肌寒いが、きっとこれからは暖かくなるばかりだ。

僕はまた川沿いを家に向かって歩きながら、雪が解け始めた桜の木々に見とれていた。

そして、過ぎ去った季節を惜しむように、彼女と出会ったあの頃を思い出す。


あ。


あの木の蔭に彼女が見えたような気がして振り返った。

・・・・・・いない。気のせいか。

まだ地面にうっすらと降り積もっている雪を見ると、桜の花びらのように白かった彼女の肌を鮮明に思い出す。

桜の間から見える、空を眺めながらぼんやりと歩いた。

丁度仲良さそうに歩いていく、二人のよく似た姉妹とすれ違う。


(・・・妹を、待っているんです。)


そういえば、彼女は出会えただろうか?

白い雪と共に現れる、彼女とよく似た妹に。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ