知りえぬ今生の別離
三章「今生の別離」
1、剣士の矜持
ミカル=フィリポスが眼を覚ましたのは、月光がおぼろげに照らされた夜更けだった。
パルミラ国最南端の街・タルシエンの宿「剛毅の巌」。
「石の町」といわれるタルシエンだけあって、建物のすべてが石造りだが、寝床まで石だと慣れぬ旅人にはつらいものがある。
しかし、|童顔の美女が目覚めたのは眠りづらさゆえではない。
となりの寝床で眠っていたはずの大女の姿が――彼女は雰囲気で勘付いたのだが――見当たらないからだ。
「………………」
ミカルは無言で寝床からはいでて、寝間着から普段着にきがえると、足早に宿を脱した。
彼女自身は気配を消すのが得意だし、この街には扉が一つもないため、宿の者にはまったく気づかれずに抜けることができた。
――さて、ミカルは全面的にシフラ=マタティアを信用しているわけではない。
こんなことがあるから尚更だ。
ひそかに抜け出して自分を陥れようとしている可能性もなくはない――が、どうやら違ったようだ。
シフラは街の外れの過疎地に火をおこし、素振りをしていた。
それもなにやら妙な素振りである。
右手で炎波剣を繰っている彼女は、それを様々な位置や構えで防御姿勢をとったり、止めたりして、架空の相手からの攻撃を受けている……。
かと思えば、足元スレスレに剣を払ったり、天へ切っ先をむけたりと、ほんとうに妙な動きだ。
想像訓練と形容したほうがいいかもしれない。
ミカルは少し感嘆していた。
自分も幼いころは厳しすぎるほどの修練を強制されたが、こんな修練方法はやった覚えがない。
「練り込み」や「速振り」はやらされたが、こんな‘楽そうな’修行など、彼は認めすらしないだろう。
しかし、シフラは相当集中しているためか、すぐそばで眺めているミカルに気づいている様子はない。
その奇異な研鑽法にすこしだけ眼を丸くした美女だったが、彼女が自分に対しよからぬ所業を企てているのではないかという懸念は晴れ、ほっと胸をなでおろした。
美女は安堵しつつ、用心ぶかく宿に戻ろうとした、その時だった。
「あたしの秘密特訓をただで見ときながら帰ろうなんて……あんたが初めてだよ」
声を掛けられたと認識したミカルは、仕方がなく足を止めた。
振り返ると、焚き火に照らされてほどよい汗をかいた中性的な面差しが、意味ありげな微笑を湛えて自分を見つめていた。
「悪いね、勝手に抜け出して。でもあたしゃ寝る前にこうして汗かかないと、どうも落ち着かなくてねぇ」
ミカルは一拍おいて、思ったことをそのまま口に出した。
「キタナい」
「へ……?」
シフラは一瞬きょとんとした。
それから間もなく、盛大に吹きだした。
「あはははっ……! 確かに、汗かいたまま寝床にもぐるのは汚いかもね。でも、あたしゃそもそもベッド自体嫌いだからね。壁によっかかって寝るのが一番落ちつくんだ」
ミカルはシフラの言葉をしっかりと咀嚼してから、じっくりと考え込んだ。
ベッドが落ち着かないというのは彼女も共感するところがあったし、この北国では寒さゆえ眠れぬこともある。
備え付けの毛布だけでは十分に暖をとれるとは言いがたい。
いちおう話の筋は通っているが、そのまま引き下がるのも癪にさわるというか、釈然としない。
ミカルはひとつ抵抗してみることにした。
「コトワってホしかった」
「ごめんごめん。そうするべきだったね」
謝ったところで、シフラは畳み掛けるように喋りかける。
「ところで、訊きたいことがあるんだけど」
シフラは、表情の変わらない青髪の女剣士を見すえ、こころもち慎重に言葉を選んだ。
「あんたのその剣…………もしかして、カタナってやつかい?」
この質問には、二十秒もの沈黙のあと、ようやく答えが返ってきた。
「そう」
二十秒かけて出した答えは、ごく短い一言で終わってしまった。
シフラもこれ以上訊こうとは思わなかった。
教えたくないから長いこと黙考していたのだろう、と慮ったからである。……違うかもしれないが。
「ところでさ、あんたもちょっと修練に付き合わないかい?」
思わぬ誘いを受けたミカルだったが、やはり表情は変わらない。
感情の動きによって表情が変化するという事を忘れてしまったかのようだった。
それも、演技ではなく、彼女は実際に無表情でしかいられないのだろう、とシフラは思った。……やっかいである。
少女の域を抜けきれていない美貌の女剣士は、ゆっくりと口を動かす。
「わたしがあいてする」
「けっこう。じゃあ、剣も持ってきてるみたいだし、軽く打ち合おうか」
ミカルは、多くの東洋剣士に見られる構えのうちの一つ、脇構えを主流としていた。
やや中腰の姿勢になり、左腰に帯びている刀をにぎり、自分から行くよりは、どちらかといえば「待ちうける」のが基本戦法である。
そして、攻撃範囲に入った敵を一刀のもとに居合いぬく……のはあくまでイメージでしかなく、実際には刀を抜いたら相手が絶命したと確信が持てるまでひたすら剣をふるうことの方が多い。
たとえ的の首を撥ねたとしても、すぐに刀をしまうのは愚行のきわみといえる。
実際、眼前の敵を斬首したあとに格好つけて刀を鞘におさめた直後、視界の外にひそんでいた曲者に斬られるというお笑いぐさな話は珍しくもないのだ。
――話は逸れるが、ミカルは東洋剣士の多くがそうであるように手数の多さで勝負するタイプだ。
しかし、彼女の故郷中をさがしても、彼女以上の太刀捌きを有する人間をみつけるのは不可能にちかい。
その線の細さ、背の低さゆえに膂力・体力には難があるものの、速さにおいて彼女の右に出るものはいないとされている。
一方のシフラはどんなタイプかといえば、ずばり万能型である。
彼女がもつ炎の剣・フランベルジュは本来は両手剣だが、彼女はそれを片手で振りまわすことが可能なのが最大の強みだ。
女性としては図抜けたその膂力も男とくらべれば上の中程度(十分凄いのだが)、しかし剣技・体力・精神力も、膂力と同様に擢んでたものを持っている。
敏捷にほんの少し不安が残るが、変幻自在というよりは相手に先を読ませないそのうごき、そして逆に相手のうごきを読んで剣を繰りだすかけひきの巧さを鑑みれば、ミカルとは互角以上に渡りあえるはずなのだが……。
シフラが彼女をはじめて見たとき感じとったのは、「自分はあの子に敵わない」というイメージだった。
逆にいえば、自分がミカルに打ち勝つイメージをえがけなかった。
なぜそんなイメージを抱いたか?
ひとつは、彼女の挙動ひとつひとつにまったく隙がなかったからだ。
表情はかすかにも変化をみせないし、足運びにしても、右手はいつも剣を握っているところにしても――それに、何げなく人物の空気を観察しているところにしても、とにかく、自分の身の安全に対しては少しも気を抜かないのだ。
それだけに、彼女が宿屋で先に寝入ってしまったのにはおどろいた。
自分は狸寝入りをしながらミカルの美貌を見すえていたのだが、彼女のは自分のそれとは違った。
本当に意識を手放していた。…………あれはなんだったのか?
ふたつめは、彼女が何を考えているのか全く分からないということ。
……これはある意味、ひとつめと大した差異はないかもしれないが。
要するに、シフラは「未知のもの」が苦手なのだ。
表情・行動・仕草などから放たれる空気・雰囲気によって、相手の力量を読むのを得手とするシフラには、それらに全く……いや、ほぼまったく色がついていないミカルを相手にするのは、認めたくはないが、怖い。
だが、今から行われるのは殺しあいではなく、単なる手合わせである。
相手の力量を計ることができる好機だ――
シフラは、脇構えするミカルをまっすぐ見据えて、不敵に言いはなつ。
「いちおう言っとくけどね、これはただのお遊びなんだからね。マジんなって打ちかかってくるのはやめとくれよ」
もともとアテにはしてないが、いちおう言っておく。
童顔の美女はいつもの無表情で、一拍おいてからうなずいた。
「あなたをコロすつもりはナい」
なんかひっかかる言い方だねえ……と思ったシフラだが、口には出さない。
ミカルより頭ひとつ半も高い大女は、いったん瞑目し、それから厳かに宣言した。
「さ、はじめるよ」
言下に――――――!
女はその大きな躰に似合わぬ疾風迅雷の振りおろしを、美女の頭頂部へ豪快に見舞った!
ガギィンッ!!
と、それはミカルのなぎ払いによりあっさり弾かれたが、シフラがその並外れた膂力を揮い、立て直すいとまを与えず再び振りおろす!
ギィン! 「っ…………」
かすかな息を吐いた美女はなんとか受け止めたが、受けにくい体勢での防御を余儀なくされた。
そして、大女は心中で驚いていた――いや、どんな反応をしても結局は驚いているのだろうが。
――ミカルがまったくの無表情なのだ。
ぎゅっと閉じられた口唇の中では歯を食いしばっているだろうが、それでも顔色はまったく変わらない。
なんの感情も塗られていない。
これでは逆に本来の実力を揮えないのではないか。
――ギリギリとした鍔迫りあいは、完全にシフラが攻勢、ミカルが劣勢だ。
上から押しつぶすようにせまるシフラを、どうにか押し返そうとするミカルだが、傍から見れば無駄な足掻きでしかなかった。
しかし、ありえないことが起こる。
ミカルがやにわに両腕の力を抜いて青い刀をはなすと、細い身体が考えられない動きで炎波剣を逃れつつシフラへ回りこみ――
ヒュカッ! ――「くはぁっ……!!」
見事、シフラの頚椎に手刀が一閃され、乾いた打音がひびいた!
意識の揺らぎとともに剣を取り落としそうになる……――が、生来の負けず嫌いである彼女は、そんな選択肢を断固として否定した。
柄を握りなおし、両足をふみしめて苦痛を耐えしのぐと、振りむくと同時に炎波剣をなぎ払――――おうとして、とめた。
赤い剣が白い羽織をまとった美女の腹部スレスレにとまり、その彼女はといえば棒立ちになって大女を見つめていた。
覇気もなければ感情もない。
シフラは馬鹿馬鹿しくなってしまった。
が、先に口を開いたのはミカルだった。
「おアソびじゃなかった」
[…………なんだって?]
どうやら非難されているらしい事実に、女はイラついた。
それでなくとも、途中で意識を失いそうになったうえ、それをせっかく立て直したところで勝手に戦意を失くされているのだから余計だった。
「お遊びに決まってるだろ! このあたしがただの手合わせで本気を出すとでも思ってんのかい?!」
女性にしてはかなり野太い声を張り上げながら、女は美女の深黒の双眸を真向から捉えていた。
彼女は間を置いてこういった。
「あなたはトめるつもりがナかった」
ミカルの声音はどんな時でも同じで、こうして相手を非難する時もまったく変わらない。
抑揚がなく、少し掠れていて、呟くように発声するのにとてもよく通る。
それが今はシフラの癪にさわったのだが、美女はさらに続けた。
「わたしがウけトめてナかったらどうなってた」
「………………はぁ??」
ミカルの言葉に、シフラは眉間に皺を寄せまくりながらつめよった。
半分は演技だが、半分は感情を表出するように調節している。
「止めてなかったら? あたしが五割の力で出した剣を止められないわけないだろ?!」
シフラは身振りをまじえて怒鳴りつけるが、ミカルはといえばまったく意に介さずという様子である。
このまま引き下がりたくはない。
けれど、もういちど彼女に手合わせを申しこむのも……と|考えこむ女に、美女が意外な一言を発した。
「ほんきだとオモった」
その言葉――いや、声色に、シフラは一瞬きょとんとした。
気のせいか、ミカルの声には謝意が含まれているように聞えたからだ。
「だからわたしはほんきであいてした。ほんきであなたをタタいた」
これには驚いたシフラだった。
自分が本気など出していないのは事実だからこそ、ミカルの告白がきわめて意外なものとなって彼女の心にひびいた。
しかも、次の一言がシフラにはそうとう効いた。
「イタかった。アヤマらなきゃいけない」
痛かった? と訊ねられ(たぶん……)、さらに頭を下げて謝られてしまった。
ここで引き下がらなかったらむしろ自分が悪役になってしまうのではないか。
仕方ないね……と思いながらも、女は素直に詫びた。
「いーや、あたしも口が過ぎたよ。悪かった」
……一方で、初めてミカルを観察した時、自分はかなわないと思ったあの感覚には大いに疑問を抱いたものの、実際に刃をまじえてわかった。
互いに本気でやりあうことはないにしても、自分と彼女の力量に大した差異はないということだ。
ミカルは本気でやったとは言ったが、それを額面通りに受けとるシフラではない。
特に自分にあびせた手刀は、全力に近かったにしても、全力ではないだろう。
たしかに彼女は自分と比べればだいぶ非力だが、本気でやっていたとしたら自分は昏倒していてもおかしくないはずだ。
逆に、自分が彼女の頚椎へ手刀を見舞えば、絶命させられる自信がある。
もっとも、命を賭した闘いであったら、そんな場面が訪れるとはおもえないが。
……ふとシフラは、ミカルが気遣ってくれたという事実に気付いた。
普段はきわめて感情表現が希薄なのだが、もし‘そう’なのであればと考えると……急に彼女がかわいく見えてきた。
――中身が、である。
シフラは穏やかな表情をうかべ、口をひらいた。
「……もう寝ようか。あんたも疲れたろ?」
ミカルは一時おいて、こくりと頷いた。
シフラは微かな笑みを浮かべ、眼を瞑る。
……久しぶりに。それも、十年ぶりくらいに、他人を少し信頼できるかもしれない。
あくまで‘かも’とはいえ、シフラはそんな事を考えた自分に驚いた。
確かに彼女――ミカルは変わっている。
というより、障害を持っているのだから、変わっているというのは語弊があるか。
さりとて、シフラだって今まで対人障害者や知的障害者に多く出会ってきた。
彼女にとってそういった障害者は二つに大別できる。
ひとつめは、全く話が通じない者。
彼らは動物と一緒で、人が持ちうる「善悪」という感覚や倫理観、感情はなく、本能だけで動き回る。
精神に介入する余地はなく、あっという間に淘汰されるので、成人まで生き延びているのは珍しい。
仮にそこまで成長したとしても、すぐに強盗や強姦、家族への暴力などで、やはりすぐに排除されてしまう。
ふたつめは、多少は話が通じる者。
彼らのなかに、人間で言うところの「悪人」はほとんどいない。
奇異な行動が周囲に害を及ぼすことがあっても、本人にはまったく悪意がない。
倫理とか道徳を説いても彼らには理解してもらえない。
「理解できるけど知ったことじゃない」考えの‘悪人’とは異なるのだ。
そして、ミカルはそのどちらでもないように見える。
何を考えているのか理解らないという点は変わりないが、彼女の場合、何らかの意志や目標を……それも確固たるものを持っているように見える。
その上、‘知性が感じられる’のだ。
シフラは、そこに僅かな希望を見いだした。
この子と良い旅路を行けるといいな、と。
そうなれば、今までの一人旅の最中に味わった孤独感も、多少は薄れるだろうから……
2、主従の瓦解
「ラザロ=ヴァシャとサフィラ=トリフォンの遺骸を、我々の組織の真ん前で発見しました」
「煉獄の剣」の重臣、キュロス=アキオルは、首領アシェルに淡々《たんたん》と報告した。
男にしては大きな銀眼に、後方に大きく伸びた黄緑の髪。
容姿を一言で表すなら「犬」という形容が相応しいか。
性格自体も首領には非常に従順であり、生真面目である。
青い革ジャケットと白無地の脚衣をきこみ、左腰にはオーソドックスな長剣を下げ、背には円盾をしょっている、どこにでもいそうな並身痩躯の傭兵青年だ。
「…………死因は?」
と訊ねたのは、キュロスより頭一つぶんは小さい、黒衣に全身を包んだ男・アシェルである。
姓は明らかにされておらず、また本人も明かすつもりはないようだ。
深い険を帯びた真紅の双眼に、暗緑色のとげとげしい短髪、褐色をぬった顔立ちは端整ではあるものの、見るもの全てを拒絶するような禍々しい雰囲気が発せられている。
なにげなく装飾されている黒曜石の耳飾は、彼の心を映し出しているのかもしれない――
「斬殺です。…………それも、正気のものとは思えぬほど、徹底して斬り刻まれていました」
キュロスの声は普段とさほど変わらないように思えるが、アシェルは彼の声音に様々な感情が含まれているのを察知した。
悲哀、憤怒、慄然、そして……わずかながらの喜悦。
ヴァシャとトリフォンが殺されたという事実に対するやりきれない気持ち、彼らに手を下した者に対して覚える強い憤り、そして、けして弱者でなかった二人をいっぺんに、それも惨たらしい方法で殺されていたことに対する恐ろしさ。
そして、隠しようのない、まるで性衝動のようにぞくぞく戦慄える興奮……。
そんな普遍的な感情を、このいつもは淡白な青年が持っていたことに、アシェルは少し安心した。
「そう、か……。確か彼らにはフィリポスを追うよう命じていたはずだが……」
「仰るとおりです。しかし、恐らく何かしらの理由があって彼らは『失敗した』と判断し、組織にもどって指示を仰ごうと考えたのでしょう。……――自明の理ですが、ラザロとサフィラを殺したのはミカルではありません。……これは言ってはいけないことなのかもしれませんが」
そう前置きして、キュロスは意を決し、認めたくない事実を話し始めた。
「……彼らの遺体から毒薬が検出されました。それも、砂金毒と呼ばれる、とても希少価値が高いわりに有用性が低いものが検出されたのです」
「…………………………」
「ぼくはあまり薬品の扱いには詳しくありませんが、彼らは最初から砂金毒を含まされたのではないと見ています」
「…………………………」
「砂金に反応する薬をなんらかの方法で含まされ、それから砂金をばらまかれた。身動きできない彼らを、犯人はなぶり殺しにした」
「プリスキラに訊かなければならんということだな……」
「――ま、まってください!」
キュロスは声を荒げた。
「まだ彼女が犯人と決まったわけでは……」
「……お前が暗に言いたかったのはそういうことだろう」
「っ…………」
キュロスはうなだれ、言葉を失った。
彼とてプリスキラ――リベカの姓だ――が犯人と断定したわけでないが、可能性はきわめて高いという後ろめたさが、彼の口をつぐませた。
「……プリスキラにもフィリポスを追うよう命じている。彼女はやつと仲が良い……巧く引き戻してくれればと期待を寄せていたが……」
キュロスは、話すべきでは無かったかもしれないと後悔していた。
自分は可能性について示唆しただけなのに、首領の口ぶりはどこか彼女が主犯と確言している感じがしてならない。
第三者が介入している可能性も低くはないのに……。
青年の思いをよそに、アシェルは話を進める。
「……シェシュバツァルとツィドキヤの二人を、フィリポス探索に向かわせろ」
「は……はいっ」
「……確か、プリスキラの出動期間は一週間だったな」
「はい……」
「彼女が期間を破ったことはない。……明日帰ってこなければ、それに対しても何か手を打たなければならん……」
「………………」
「……我々も覚悟を決めねばならぬ時が来たのかもしれん。それが何かは判らぬが、な……」
なにやら思案げな科白を吐くアシェルを見たキュロスは――彼に会ってから初めて、否定的な感情をおぼえた。
今となってはそれを拒否する理由もないような気がした。
同時に、なぜ自分は彼に対してこんなに従順だったのだろうと、今になって不可解におもった。
心身ともに破滅しかけていた自分を拾ってもらい、右腕として立ててくれ、信頼を寄せてくれる……
実際にアシェルは、組織の上にたつ人間としての素養をほぼ備えていたし、自分もこの人に尽くしたいと、そう……思っていたはずなのだ。
最近それが揺らいできた理由は今でもわからないけれど……。
確かに首領のいうとおり、覚悟を決めておく必要があるだろう。
どんな窮地に陥っても、みずからの信念を貫きとおせるだけの覚悟を……
3、知りえぬ今生の別離
パルミラ国の南東部。
広大にひろがる乾いた荒野に、丘陵がそこここに構えている地・カッパドキア。
どんよりした曇り空のもとを歩むのは、色合いがまったく異なるふたりの女剣士だ。
男と見まごうような容姿・体格の大女と、恐ろしいくらいに美しい童顔の女性。
彼女達は「石の町」タルシエンを発って四日を経ようとしていた。
「やっほう、姉さんたちぃ。お久しぶりぃ」
予定調和とばかりにふたりの耳に入ったのは、人をくったような軽そうな少女の声だった。
そして、燃えるような短い狼髪の大女・シフラ=マタティアは、尾行されているのには障害物が透けているかのごとく気づいていたものの……相方は無反応だし、無視するのもかわいそうなので、仕方なく反応してやることにした。
左後方を振りかえり、ゆるだるそうな面持ちでその少女の眼を真向から見すえてやる。
彼女は岩場に身を隠し(見えているが)、シフラたちを見張っていた。
「よぉーっ、ひさしぶりー」
気が抜けきった声の大女に、少女はおもわず吹き出してしまった。
「な、なんだ……ですかっ、その反応は?!」
肩と太ももを露出した黒衣の少女――リベカ=プリスキラは、思わず人差し指をびしっとのばして突っこむ。
シフラは、未だにタメ口になる癖が治っていないのでよほどツッコんでやろうかと思ったが、たぶん矯正できないだろうから諦めることにした。
「バレバレだっつうの」
女は意識して呆れた表情を作り、かぶりをふる。
隣にいる青髪の超絶美女・ミカル=フィリポスはようやく振り向き、「リベカ」と呟いていた。
「悪いけどね、こう見えてあたしゃあんたの倍は生きてんだからね」
「『こう見えて』はいらないと思いますが」
野暮なツッコミ。当然、無視。
「あんたも気配断ちには自信あるんだろうけど、あたしから見れば青すぎるんだよ」
「マタティアさんが赤すぎるんですよ」
少々、いや、かなり視点がズレているツッコミ。
女は少し口元がゆるんだ。
「そのツッコミもねえ……っ……程度が小さいんだよっ」
「……笑ってちゃ説得力ないですよ?」
「ええい、うるさいねっ!」
シフラは開き直ってリベカを指さし返した。
「だいたいあんたね、タルシエンの宿にもいたろ……しかもあたしらの隣にいたろ?!」
「……ばれてた?」
「ばれてた? じゃないよっ! ……まさか、ばれてないと思ってたんじゃないだろうね」
「ちょっとは思ってました♪」
少女は後頭部に右手をまわし、両目をとじて舌を出してみせる。
赤髪の女はおもわず俯き、おなじく右手掌で額をおさえた。
――双方とも、実は楽しんでいる側面が強いのだが。
「そんなことより、本題いいですかあ?」
「あんた、そんな間延びした声だしてるけど、何かまずいことがあったんだろ?」
ふいに迫力ある真顔で尋ねられた少女は、僅かなあいだ面食らったが、すぐに人をくったような笑みを浮かべて取り繕った。
「分かるんですか?」
「何となく。当てずっぽう。女の勘。さあ、どれだと思う?」
「アてずっぽう」
いきなりミカルが口をはさんだ。
シフラはあからさまに顰めつらした。
「……なにげに失礼だねあんたは」
言いながら、覚えた違和感に思惟をめぐらせる。
ミカルはときどき言葉を返すのが早い――常人にとってのふつう程度だが――ことがある。
さっきだって、自分のセリフのあとミカルが口をはさんだのに一秒かかったかどうか。
十秒くらいかかるのが彼女にとっての普通だが、今みたいに一秒足らずで答えることもあれば、ゆうに二十を数えたこともある。
一体どんな仕掛けなんだミカルは。
シフラはそういいたくなるのを堪え、リベカのあどけない面立ちをみつめた。
「……まあどれでもいいんですけど、その通りなんです、マタティアさん。よからぬことが起こってしまいました」
よかないよっ、とつっこみたかったが、少女も自分に倣って真剣な顔つきになったので自重した。
「『煉獄の剣』のメンバーがふたり、何者かに殺られました。誰かは分かるとおもいますが……」
「あいつらが?!」
シフラは少し驚きの声を発し――実際に驚いたのだが――同時に「まずったね」と思った。
そう簡単に感情をさらけ出さないのが彼女の中で鉄則となっており、この程度ですらこころもち悔やんでしまうのである。
が、さすがに切り替えも早い。
いきなりではなく、徐々に表情を調節しながら変えていき、口を開きはじめた。
「……もう動いたんだね。『煉獄の剣』の首領が」
平静を装った声できいてみた女だが、内心では実際に首領が殺ったと断定はしていない。
第三者が殺った可能性もあるし、彼女が手をくだした可能性だって捨てきれないだろう。
「煉獄の剣」のことについてシフラには五分の一程度の知識しかなく、メンバーに至っては何人いるかどうかはもとより首領の名前しか知らなかった。
シフラが知っているのは、犯罪者だけをねらう暗殺組織であり、罪を犯したという確証がない(とアシェルが判断した)人間に対しての殺害依頼は決して引きうけず、また仕事は必ず夜間おこなわれる、という三点だけである。
その「煉獄の剣」に入って二ヶ月のリベカの証言によれば、首領アシェルは生き血に対して異常な欲望を発する殺人狂であり、その衝動が「煉獄の剣」のメンバーにまで向けられてきたのだという。
「そこで、マタティアさん…………――単刀直入に、頼みたいことがあります」
柔和だった少女の目つきが、だんだんときつくなって真にせまるものになったのを視認すると、大女は意図的に飄々とした表情と仕草をみせ始めた。
「なんだい、そんな改まって。言っとくけど、あたしゃこの子の判断にしか従わないよ」
「………………」
「ま、この子の判断だって間違ってると思ったら従わないけどね」
「ミカと二人で……首領を殺してください!!」
リベカから悲痛な声で衝撃的な頼みをうけたというのに、女の中性的な顔色にはまったく変化がなかった。
表情は動かずとも――――心の中は目まぐるしく動いているのだが。
「……なんであんたんとこの首領をあたしが殺らにゃならないんだい?」
「そんなの自明でしょうが! このままあいつをほっといたらあたしもみんなも殺さ……――っ!」
口上をつづる中途でハッとしたらしく、少女は言葉をとめた。
それから辺りを見回し、シフラの鮮やかな緑の眸をしっかりと見つめてから、深々と頭をさげた。
「……ごめんなさい」
「いいよ、気にしないで」
――っても気にするだろうけど。
それにしたってやっぱり、十五歳の女の子にしては大したもんだ。
あくまで平均から見てだけど、ね…………。
――と、シフラは特に感情を揺れ動かされることもなく思索を巡らせ、ふと、ミカルのことが気になった。
彼女は今のリベカの発言についてどう思ったのだろう?
シフラはミカルの思考がまったくと言っていいくらい読めない。
割合でいうなら……せいぜい二割程度か。
いまも其れとなく彼女の艶美な面差しを窺っているのだが、やはり無機質な能面に動く気配はない。
まったくやっかいだと思う。
ミカルにあってから何回「やっかいだ」と思っただろうか、などとどうでもいい思惟に耽っていたら、彼女の口が突如うごき始めた。
「わたしはみんなをスクう。そのためにひつようなものがアる。リベカはそしきにモドって」
……………………………………。
赤髪の大女と茶髪の少女は、そろって黙り込んだ。
ふたりの頭には様々な疑問が浮かんだが、先手を打ったのはシフラのほうだった。
「ひとつ訊きたいんだけどね、あんたにとってあたしが仲間になるのは、想定外だったんだろ?」
一時おいてミカルはうなずいた。
これが「想定内だった」としても今は驚かない。
「もうひとつ訊きたいんだけどね」
今度はすこし気だるそうな面持ちで訊ねる。
「あんた、首領に敵わないと思ってるだろ?」
こういうことを訊いてもやはり顔つきは変わらない。
他人からうけた言葉の意味に理解が及ぶのに、そこまで時間がかかるとは思えないのだが。
しかし、シフラの中には可能性として、「彼女のこれは演技かもしれない」という頭がある。
ミカルは八つほど数えてから口をひらいた。
「わたしひとりではカナわない」
「じゃああたしと組めば殺れるわけだ」
意味があるとは思えないが、間髪いれずに言葉を投げかける。
だが、それについての答えは、いくら待っても帰ってきそうになかった。
リベカはすこし不信感を顔にあらわし、シフラは堪えきれず再度質問をする。
「じゃあ断定しよう。――ふたりで対峙すれば殺れる。
けど、あんたは何らかのわけがあってそうしたくない。違うかい?」
ミカルは九秒後にゆっくりとうなずいた。
シフラは、「何らかのわけ」が「みんなをスクう」ためとは、まったく信じていなかった。
すでに二人が殺られているのだから「みんなをスクう」のはもう無理だ。
そして、放っておけば「煉獄の剣」のメンバーは次々に殺される(のだろう)。
首領は全員を屠ったあと、町や村や王都で、殺戮の欲求を存分に発散するかもしれない。
いつかは捕まり、断頭台に送られるだろうが……。
どちらにせよ自分も関わってしまっている以上、ただ傍観してるだけというわけにはいかない。
ここでふと、女は熟考した。
首領アシェルというのは、どれほどの使い手なのだろうか?
シフラはミカルを一目見たとき、自分は敵わないと直感したが、それは間違った認識だった。
実際に剣でふれあって、自分は彼女と互角以上に張れると確信した。
その彼女が、言葉……と、雰囲気から察するに、首領を恐れているように思える。
ここで、黒い薄着の少女がふいに喋りだした。
「ねえミカ、あたしは組織にもどって何すればいい?」
リベカの声音がこころもち弱々しそうだったのが、シフラは気になった。
青髪の美女は間を置いてこたえた。
「じかんカセぎを」
「うん、わかった」
茶髪の少女は間を置かずにこたえた。
傍から見ていた赤髪の大女は、やや厳しい面持ちで彼女らの顔つきをうかがっている。
このふたりは一体、言葉の外でどんなやりとりを試みていたのかを、シフラは見抜こうとしていたのだ。
彼女達は確実に、自分に知られぬよう何らかの情報交換をしている。
そんな彼女に対し、リベカが真摯な目線をよこして――ほんの一瞬そらしてから――小さな口唇を慄わせながら動かしはじめた。
「マタティアさん、ひとつ、おねがいがあります」
三章 終
「剣女ふたり」第三章を読んで下さった方に、大いなる感謝を!




