狂気の審判が下された
やや残虐な描写がありますのでご注意を
二章 「狂気の審判が下された」
1、女装少年と虎男
メロエ国北端・ファロスの森で、美少女と大男の二人組がおおきな切り株にすわりこみ、なにやら話しこんでいる。
春陽が射す青天井のもと、木々の上のほうでは様々な鳥が囀っており、シスターの少女・サフィラ=トリフォンはそれを切なげに見あげながらも、目を瞑ってため息をついていた。
「看破されていましたか…………」
その声は、先刻までの少女のような澄んだ声色ではなく、十八の少年のそれになっていた。
隣には目つきの悪い傭兵ラザロ=ヴァシャが座っており、いまだに痛むのであろう股間をさすっている。
「私はこの女装にはそうとう自信があったのですが、こうも簡単に見透かされてしまうと、揺らいでしまいます…………」
――そう。
実はこのサフィラ、見た目こそ完膚なきまでの美少女だが、れっきとした男である。
サフィラ=トリフォンというのも首領アシェルから与えられた偽名で、本名は彼自身しか知らない。
シスターの法衣をいくつも重ね着しているのも、身体の線がうきでて怪しまれないための工夫なのだ。
さらに声帯を操ることもできるため、ほぼ完璧に「女」を演じることができる。
――男と床を共にするまでは。
「サフィちゃんはまだいいよ。オレなんかタマ蹴りくらったんだぜ、タマ蹴り! あの女、全く躊躇いなく蹴りあげやがった!」
「睾丸は確かに痛いですよね……」
覚えがあるのか、美少女――いや、美少年はあさっての方を見てからぶるっと震えた。
「あれは天変地異並みの破壊力ですよ……」
「天変地異どこじゃねぇ、国家破滅級だ。……いや、それにしても」
ふいに、極短髪の男からまじまじ見つめられた女装少年は、やや恥ずかしそうに眼をふせた。
「……な、なんですか?」
「いや、こんなかわいいコが真剣に『睾丸は痛いですよねぇ……』なんて言ったら、夢が壊れると思うんだぜ」
「ちょ、ちょっとヴァシャさん、やめてくださいよ!」
美少年は顔を真っ赤にして抗議したが、彼のその反応は演技にちかいものがあると知っているから、男はさして気にしなかった。
「いやそれにしてもよ、真面目な話、あいつのカッコは反則だよな」
「…………ええ、まあ」
サフィラはその話題に乗り気ではなさそうだった。
「あいつ」とはミカルのことで、彼女の服は動きやすさ重視のためか軽装備で、露出度がおおい。
やや胸元がひらいた短いそでの羽織、左脚にふかいスリットが入った脚衣はともに深緑色。
彼女のプロポーションの良さも手伝って――特に胸が目立つほど大きいので――確かにかなり刺激的な容貌といえるかもしれない。
「オレさぁ、あの乳に眼ぇいかないようにすんのに必死なんだけど、ついついいっちゃうんだよな。なぁ、サフィちゃんもそうだろ?」
「そうですかね…………」
サフィラはラザロに顔を見られないように言った。
正直、気持ち悪いですよ――と思っていても、言うに言えないのが彼の短所であり、長所でもある。
「そうだろー? 別に戦いの場じゃなければ、いくら見ようがアイツ気にしねぇから見まくってやるけどよ」
「……いえ、一緒に行動する時でも見ませんよ。見たくはありませんから…………見たくもありま――あ、いや、それより……問題はシフラ=マタティアをどう対処するかでしょう」
「……そうだな。ヤツには借りがある」
男は、自分の失言をなんとか取りつくろった美少年を、これ以上いじろうとはしなかった。
「ただ、これはオレの見立てだが、ヤツは多分ミカルより強い」
「……ヴァシャさんもそう思われましたか」
「おまえもか」
サフィラはこくんと頷いた。
そして、二人は視線を重ねてしばし牽制しあった。
おたがいに対し、あまり口にはしたくない懸念事項をどう伝え、動かしようのない事実としてどう対応すべきなのか。
獰猛な虎のごとき顔貌に乱暴な口調のラザロだが、思いのほか融通はきくらしい。
先に口をひらいたのは、隆々とした体躯をもつ男のほうだった。
「こりゃあ、アシェルにはある程度正直に言うしかねえよ。オレらがどうこう出来そうな問題じゃねえ」
「……悔しいですけど、その通りですね」
「相当焦げ臭くなってきた感じだな。けどよ、久しぶりに楽しめそうじゃねぇか?」
「ヴァシャさんもですか。――私も同感です」
二人は笑いあった。
気負いなどというものは微塵にも感じられない。
なぜなら、二人とも闘うことが――特に強者と刃をまじえるのが好きだからだ。
だからこそ暗殺組織「|《煉獄の剣」に招かれたのだが……
「とにかく組織に戻ろうや。ここでずっとくっちゃべってても埒があかねえ」
「ええ、そうですね」
二人は切り株から腰をあげ、メロエ国辺境の森を脱するべく歩みだした。
彼らにしては珍しいことに――――黒衣を纏った者が上方から監視していたのには、まったく気づいていないようだった…………
2、暗殺組織「煉獄の剣」
中性的な面差しの大女シフラ=マタティアと、彼女より頭ひとつ半も低い美女ミカル=フィリポスは、すでに国境をこえ、寒冷荒野の小国・パルミラの地を踏んでいた。
関所の門をくぐると、低い岩山にかこまれている野道が、地平線のかなたまで続いている。
門番の話によると、ここからは道が分かれることなく、六時間ほどで石の街タルシエンに着くのだという。
今はまだ昼を過ぎたばかりだし、彼女らの足は常人のそれとは異なる。
夕刻まえにはタルシエンに到着できるだろう。
「ところで、まだ名前を訊いてなかったね」
あの二人を撒いてから初めて口をひらいたのは、しなやかな長身を有する女剣士のほうだった。
「――いちおう訊いとくけど、あたしが誰か、知ってるかい?」
ミカルは首を、ぐりん! と、異様に速くまわして、シフラの顔を凝視してきた。
女はやや呆れ顔で「不気味だねぇ……」と思った。
そして、美女は表情をまったく変えずに答える。
「シらない」
「………………」
予想通りの回答を得られたにもかかわらず、シフラは少し後悔していた。
ミカルはおそらく、嘘が必要とあらば平気でつけるような胆力の持ち主だ。……根拠はないが、なんとなく。
そして……これも何となくだが、自分の嘘は見抜かれそうな気がする。
確証がもてないことは嫌うシフラだが、何しろ相手はいままで触れたことがない人種だ。
こんなにも心が読めず、言動や行動基準の予測がつかない者を相手にしたことはない。
また何より、こんな――特殊な対人障害者のような――人格が、まるで演技ではなさそうなのが最もやっかいなところだ。
仕方がないので、偽名を使おうという当初の予定を変更し、知っているかもわからない実名で名乗ることにした。
「あたしはシフラ=マタティアさ。名前くらい聞いたことはあるんじゃないかい?」
一拍おいて答えが返ってくる。
「ナい」
さてこれは本当なのか――などと、いくら考えても答えはでなさそうなので、次に移ることにする。
「あんたの名前は?」
一拍おいて答えが返ってくる。
「ミカル=フィリポス」
聞いたことがない名だが、メロエ国の一般的な姓名だ。
が、確実に偽名だろう。
どうみても東国が故郷の人間なのだから、実名はもっと特殊な響きを持つ姓名であるはずだ。
まあ瑣末な事項だけどね、とシフラは割りきることにした。
「じゃあミカル、ひとつ訊きたいことがあるんだ。あんたが所属してた組織ってのは…………――」
女はふいに黙然として、背の炎波剣の柄を右手でつかんだ。
人に視られているのを感じたからだ――が、眼前の美女はまったく警戒していないようだった。
シフラはやや焦りを感じた。
「……ちょっとあんた、誰かがあたし達を――」
大きな違和感に、彼女はふたたび、今度はかすかな上がり眼を見開いて沈黙した。
ミカルが笑っている。
いや、無表情なのだが、笑っているように見えるのだ。
なにゆえそう見えたかシフラにはまったく分からなかったが、なんとなしに安堵感を覚えるような笑みだった。
――まもなく、その者は表れた。
西の岩山から唐突に姿を表したのは、先刻遭遇したシスターの美少女――いや、美少年よりふたつみっつ年下の、どこにでもいそうな垢抜けた少女だった。
だが、その身のこなしはただものじゃない。
おそらく盗賊かなにかを生業とする、隠密行動に長けていそうな者の動きだ。
格好はといえば、肩を剥きだしにした麻布の上衣に、上腕までを保護する長手袋、膝までのスカート、腰までたらしたマフラー、いずれも黒だが、やはり盗賊風に相当する軽装である。
シフラは、隣にたつ女剣士がその少女をまったく警戒していないのに気づいた。
自分たちより力が劣るから、ではなく、仲間なのだろう、と女は思った。
岩山を身軽におりた少女は、二人の女性から二十歩ほど離れたところから声をかけてきた。
「やっほう、姉さんたち。お元気ィ?」
軽いねぇ……とシフラは感じた。
少女の雰囲気の軽さは、警戒を解くためもあるが、表面的にはいつも明るく振る舞っているのも原因のひとつだろう。
そして驚いたことに、真っ先に言葉をつむいだのは美女剣士のほうだった。
「げんき。――リベカは」
「あたしも元気。そっちのお姉さん――ええと、マタティアさんは?」
「ちょっとあんた」
シフラはミカルに言ったのと同じ台詞で少女――リベカを呼びつけた。
「え、なに?」
「なに? じゃないよ。いくらなんでも無警戒が過ぎるんじゃないかい? あたしの事を知ってるなら尚更さ」
「そんなことないよ…………ないですよ。だって、ミカがマタティアさんを引き連れてるんですから」
むしろあたしがこの子を引き連れてるつもりなんだけどね――とは口に出さなかった。
「ま、いいさ。――で、なんであんたはあたしらんとこに来たんだい?」
「じょうほうがかり」
ミカルが口をはさんできた。
「それと、髪梳き係もね♪」
リベカはウィンクしてみせた。
シフラはため息をつきそうになって、なんとか踏みとどまった。
「じゃあ、要するに味方なんだね?」
「そんなの、こうしてのほほんと話してる時点で自明じゃないですか」
「言うねあんた。……けど、じゃあなんでいつまでもそこにいるのさ?」
「だってさっきからシフさ……マタティアさん剣握ってるし」
「――ホラ離したよ……別に襲う気もないし。というかあんた、さっきから人を敬うのか馴れ馴れしくすんのか、ハッキリしないねえ」
「そんなことありませんよ」
言下に少女はにこっと微笑むと、唐突に歩みだし、距離を詰めてきた。
十五歩、十歩、五歩とみるみるうちに差は縮まり、あっという間に大女の眼前に移動していた。
「あたし、こう見えてマタティアさんのこと尊敬してるんですよ?」
「…………あんたねえ、そんなことばっかりしてちゃ長生きしないよ」
「ミカを信頼してますから。ミカと一緒に歩いてるマタティアさんが、いきなりあたしを斬るとも思えませんし……――あ、それよりミカ!」
ミカルはのろのろとリベカの方を向き、「なに」と言った。
あの剣の冴えを見せられた後だと、この挙動が演技に思えてならない。
「髪、梳いてあげる。ほら、ちょっと縮れてきたし」
「アリガトう」
ミカルは、腰ほどもある長くきれいな青髪をたなびかせながら、リベカに背を向けた。
それにしても、この少女の言い草には引っかかるものを感じたシフラだった。
自分を尊敬し、ミカルを信頼すると彼女は言ったが、つまり自分は信頼されておらず、またミカルは尊敬されていないということだ(と思う)。
シフラは、別に自分が信頼されないことについては構わないと思っている。
なぜなら彼女自身、全く人を信用できないから。
だから――これは何となくだが――自分と同じく他者とはほどほどにしか付き合わなさそうなリベカが、はっきり人を信じるというのには大いに違和感があった。
「ほら出来た! やっぱり、ミカは髪質良いわよね。魔法の櫛で梳かなくてもいいんじゃないかってくらい」
「魔法の櫛?」
聞き慣れない単語に反応するシフラ。
「うん、ある遺跡で見つけたんですけど、どんな仕掛けなのか、もの凄く髪がサラサラになるんです。だから魔法の櫛って呼んでます」
「へえ……ま、あたしにはいらなそうだけど…………というか」
言葉を切ったシフラは、真顔でリベカを見すえた。
「そろそろ本題に入ってくれないかい? この子からきいてもいいんだけど時間がかかりそうだし……何か用があってあたしらの所にきたんだろ?」
少女も瞬時に真顔になってうなずき、美女の艶麗なおもてをちらと窺ってから口を開きはじめた。
「もともと、あたしはミカに言いたいことがあってきたんです。マタティアさんを仲間にしたとは知りませんでしたから、内心驚きましたよ」
「ごめんねぇ」
シフラはいちおう、低い声で謝った。
「いやいや、そんなに気にしないで下さい。
ただ、ミカとマタティアさんが一緒にいる理由を――なんとなく察せるんですが――掻い摘んで教えていただけませんか?」
「いいよ」
シフラは微笑み、あっさりと許諾した。
ちょっとこの子を試してやろうか、という腹だったシフラだが、それが当人に割れているかいないかは瑣末なことだった。
「あたしがメロエ国辺境の森・ファロスに入った時、偶然ミカルと――その仲間達に出くわしたのさ。
腕が立ちそうな傭兵の大男と、緊張感のある場にそぐわない可愛らしいシスター、の二人にこの子が詰め寄られててね。
気配を殺して話をきくと、どうもキナ臭い話が聞えてくる。
この子と傭兵とシスターはなんらかの組織に入ってて、そこの首領を「スクうため」にメロエ国を出るのだとその子は言う。
でも、傭兵とシスターはその言葉を拒絶して、力づくでもこの子を止めようとした。
あたしは一目みた時からこの子の強さを見抜いてたけど、それでも腕がたつあの二人を同時に相手するのは分が悪い。だから助けようと思ったのさ」
「理由になってないですよ」
リベカは平時と変わらぬ声音で指摘した。
シフラは大した子だと思いながら、理由を述べる。
「言うと思ったよ。
――理由は簡単さ。この子に興味が湧いた。それだけっちゃあなんだけど、本当にそれだけなのさ。
だから、彼女を助けるのは仲間にするのが目的だったんだ」
間近で話をきいている筈(のミカルは、さっきからずっと無表情で直立不動のままだ。
リベカは女の話をひととおり聞きおえると静かに瞑目し、なにか思惟に耽ってから口をひらいた。
「事情はわかりました。
あたしも掻い摘んで『あたし達のこと』を話します。
――マタティアさんが出くわしたシスターと傭兵、それにミカとあたしは、『煉獄の剣』という暗殺組織の一員です」
「知ってるよ」
シフラはあっけらかんと言い放った。
「あの二人の会話からそれは読み取れた」
「……優れた洞察眼と知識をお持ちですね」
「まあね」
賛辞に対し淡々と応えたシフラ。
「では、『煉獄の剣』のことは省いて、ミカと一緒にマタティアさんにも組織内部の情報を教えます」
「都合の悪そうなこたぁ言わなくていいよ。あたしゃ部外者なんだからね」
「ええ、最初からそのつもりです」
「言うねあんた」
そうして、少女は『煉獄の剣』に何が起こっているのか、ゆっくりと話し始めた……
「最近、首領の様子がおかしいんです。
おかしいといえば、まあ最初からなんだけ……ですが、最近は雰囲気が――というか殺意が――あたし達に向けられている気がするんです」
女は少女の声に震えが帯びたのを聞き逃さなかった。
「なんとなく分かるとは思いますが、あの人は――仮にそういう病気があるとするならば――『殺人中毒者』です。
というよりは、血がもの凄く好きな人で、さらに特殊と言えるのは、必要な量だけの理性が働くところでしょうか。
人を殺すのに、‘殺すと自分に大きな害が及ぶ’と分かっている相手には手を出しません。
つまり、そうでない人間――主にお尋ね者を中心に標的をしぼります。
およそ四年間、彼らはそうしてきたそうです――というのは、あたしは二ヶ月前に入ったばかりなのでそうとしか言えません。
それが、です。
ここ数週間、あたしたちにまで殺意が放たれている気がするんです。
ごく僅かなものなのであたしも気づけませんでしたが、密かにミカが教えてくれて分かりました。
おそらくですが、他のメンバーはまさか首領が自分たちを殺そうとしているなどとは露ほども考えていないと思います。
そして三日前。
ミカはある街での仕事のあと、組織に戻ることなく突如失踪しました。
何をするのか、あたしにだけ言い残して……」
長い長い口上をおえると、少女はふうと息をついた。
腕を組んで話を聞いていたシフラは、リベカの語る内容に多くの違和感を覚えながらそれを口には出さず、ひとつ質問をした。
「あんたはこの事態に対して、どうするつもりなんだい?」
少女は再び息をつき、女をまっすぐ見すえて答えた。
「ミカにつきたいと思ってます」
「ふうん……」
適当に相槌をうったシフラだが、すでに勘付いていた。
リベカが虚を弄しているということを。
彼女は最初から仲間にするつもりなどないが、とにかくなんとかしてミカルと「煉獄の剣」の縁を断ち切らねばならない。
ミカルとリベカがいかに仲良かろうと、邪魔なものは強引に排除する。
それがシフラ流だ。
「ところでマタティアさん、少しミカと二人だけで話したいことがあるんだ……ですが」
「だろうね」
シフラは事情を察したかのようにうんうん頷きながら、
「いくらでも話してきなよ。あたしは気長に待ってるからさ」
許可をもらった少女はこくんと頷き、美女を伴って遠くの岩場にむかった。
彼女らが何を話すのか、シフラはさほど気にしなかった。
なぜなら、何がどうなろうとミカルは自分の仲間になるからだ。
彼女の中ではそれは決定事項なのだ。
こうと決めたら何があろうと掴み取ってみせるという、強烈な目的意識の持ち主なのである。
ふたりは十分ほど話して戻ってきた。
「ありがとうございました」
「いいんだよ礼なんて。それより、ぬかりなく帰んなよ」
「……ご忠告、ありがとうございます。――またね、ミカ」
ミカルは表情を全く変えず、一拍おいてから手を振って、言った。
「また」
3、狂気の審判が下された
メロエ国南西部・デルフォイの街道は、闇のとばりを完全に落としていた。
そんな、ほぼ真っ暗闇の時分・場所だというのに、ふたつの人影が道を闊歩している。
シスターの格好をした美少年・サフィラ=トリフォンと、隆々とした体躯を有する傭兵・ラザロ=ヴァシャである。
かれらの属する組織はもう目と鼻の先であり、ともに首領に意向を伝えねばと心を決めていたのだが。
その彼らの前に、ひとつの人影が立ちはだかった。
身体の線や背丈からは男とも女ともいえず、しかもこの夜中で全身に黒衣を纏っているのでは、姿をとらえるのがやっとだった。
「何もんだてめーは」
大男が凄味をきかせながら背の両手大剣を握る横では、すでに美少年が細身剣を抜き放っている。
謎の人物は問いにはこたえず、代わりに右手をかかげた。
――いや、かかげたのではなく、何かをふたりに向かって放り投げたらしい。
暗闇に同化したそれをふたりは捕捉できず――いや、ある程度はできたが、なにぶん拡散範囲が広すぎた――顔からまともに浴びた。
なにかがなにかに反応し、ふたりに異変が起こる――
「う゛っ……――がはっ!!」
「お゛あ゛!!」
と、美少年と大男は、同時に大量の血液を吐きだした。
ともに剣は手放さなかったものの、地面に手をついてうめき声を洩らしている。
「知っているか」
黒衣の者が抑揚のない、男か女か区別のつかぬ声で言った。
「砂金は希少価値が高いが、とある薬品――これもまた希少価値が高いのだが――と混ぜると、毒薬になる。
だが、致死的なまでの毒ではない。その効果は戦闘不能に至らしめる程度だ」
手放しそうな意識の中、サフィラはこの黒衣の言葉からひとつの事実を感じ取った。
今、自分たちが浴びたのは砂金だ。
そして、自分たちはいつの間にか、この者のいう「とある薬品」を摂取させられていた……?。
では、いつだ? そして、これは誰だ?
なんのために自分たちを手にかけようとするんだ……
「く………………くそっ…………こん、な………………――ぐガっ!!」
となりで地を這っていたラザロが出した緑色の嘔吐物は、大きくはねてサフィラの顔にピッとかかった。
嫌悪感を抱く余裕などない。
自分も胸のあたりからえずきを感じていて――
「――う゛え゛ッ!!」
と、少女顔の美少年も男と同じようにもどした。
手足は強烈にしびれ、涙は止まらず、胃が激しい痛みを訴えていた。
「なぜ、人は生きるのか知っているか」
黒衣の者は抑揚のない声でいった。
「――理由などない。生きているから生きるのだ。その間は本能の赴くままに、やりたいことをやればいい」
この言葉から、サフィラはこの者の正体を悟ってしまった。
「な、ぜ…………」
思わず呟いたひとことは、いつのまにか眼前に立っていた黒衣の耳に届いていたようだ。
「なぜ」
黒衣の独白には感情が乗っていなかった。
「それが、あたしのやりたいことだったからよ」
この台詞にはふたりともが眼を剥いた。
「……て……………………なん…………………――――」
ラザロの口からはもう、言葉が紡げないようだった。
ふたりはそれぞれ異なる気持ちで憤怒の表情を浮かべたが、もう何もかもが手遅れだ。
「ふたりとも、良い声で叫んでね」
黒衣は刃薄剣を両手にもち、うずくまっているサフィラとラザロの、それぞれ異なる肌、身体に、ゆっくりと滑り込ませた。
「やっ、め……――ぎゃぁあア!!」
「っグぁああ゛――!!」
美しい少年と険相の大男の断末魔は、およそ一時間ほどもつづいた…………
二章 終
二話を読んでくれた方に、心から、ありがとうございます!!




