7.さすがにちょっと落ち込みますわね
「どうして……」
たった今受け取ったばかりの手紙を握りしめて、レベッカは玄関ホールに立ち尽くしていた。
レオンと婚約破棄になってから、せめて彼のくれたチャンスを活かそうとお茶会の開催を目指していた。
招待の手紙を書き、それなりのお茶とお菓子を準備し、庭にお茶会用の場所を確保して……。
それなのに、レベッカのもとに届く返事は皆、お茶会への参加を辞退するというものだったのだ。
レベッカの靴に一番興味を示してくれていたご婦人も断ってきた。理由は、夫が反対するからというもの。
結局、誰一人お茶会には参加してくれなくなってしまった。あんなに乗り気で話を聞いてくれたのに……。
「やはり、平民が貴族の中に入るのは難しいのかしら」
もし、まだレオンが婚約者のままだったなら、きっと彼女らは来てくれただろう。
それを思うと、レオンの存在の大きさを思い知ってしまう。
レオンはレベッカがいなくても大丈夫なはずだ。彼はれっきとした貴族なのだから。
レベッカはレオンの役に立ちたい一心だったが、こんなことでは考え直してもらうことすら出来ないではないか。役に立たない平民より、身分の釣り合う令嬢の方がレオンの相手には絶対にいい。
「……ですけれど、さすがにちょっと落ち込みますわね」
レオンに頼み込んで夜会に連れて行ってもらった。おそらく、レオンにとっては居心地が悪かったはずだ。
そうまでしてチャンスを作ってもらいながら、何一つ得られなかったなど。
「それに……レオン様もお返事をくださらないし……」
あれから、レオンには二度ほど手紙を書いた。
内容は大したものではない。レオンのおかげで得た縁を活かすためにお茶会の開催を準備している事や、南国に出かけていた父が持ち帰った珍しい色の石の話、庭に咲いた花など他愛もない話ばかりだ。
そんな手紙にも、レオンはいつも律儀に返事をくれていた。婚約中は。
もう婚約者ではない。レオンには新しい婚約者候補もいる。これからの彼の人生はレベッカなしでも順風満帆に進んで行くのだろう。
「なんだか取り残された気分ですわ……」
胸がもやもやする。これまであまり感じた事のなかった気持ちだ。
貴族を直接相手にする商売は諦めなければならないだろうか。
「あ、お嬢様」
不意に声をかけられてふり返る。そこには、商団の従業員の一人がいた。いつも兄に付いてあちこち回っているベテランだ。
「マディソンのことなんですが、やはりカレン通りの店は畳んでいるようです」
「そうなの……」
まるで追い討ちをかけるかのような情報に、さすがに深いため息が出てしまう。
マディソンはカレン通りに店を出している商人だ。質のいい絹を取り扱っており、レベッカの靴の試作品にはその絹も使った。
そのマディソンの店が、突如もぬけの殻になったのだ。
「資金繰りでも悪くて飛んだんですかね?」
「そんな感じはしませんでしたけれど……どうしたのかしら」
マディソンの扱う絹を仕入れたいと思い、兄のフェルナンに紹介したばかりだった。
フェルナンもいい絹だと気に入り、契約をしようと話を進めていたところだったのに。
「絹は他のところに当たりましょう」
「……そうね」
頷き、靴職人のエンリケに頼んでいた靴の試作品のことを思い出す。
「そうだわ、靴の試作品を受け取りに行かなくては……」
お茶会用に、サイズ違いで作ってもらおうと発注したものだ。
その試作品が日の目を見ることは無くなってしまった。だが、試作品の作製はれっきとしたレベッカからの発注だ。代金を支払い、労わなくてはならない。
商売は信用が第一だ。レベッカの気分で投げ出していいようなものではない。
まだ諦めたくはないが、平民の裕福層に売ることは出来るだろう。
そうと決まったらすぐ出かけよう。なにかしている方が気が楽だ。
自分を鼓舞するように大きく頷き、レベッカは踵を返したのだった。
* * *
賑やかな王都の道。そこを馬車が我が物顔で行き交っている。
その馬車の一台が、歩いているレベッカの脇で止まったが気にも止めなかった。その馬車の横を通り過ぎ、靴職人の元へと歩を進めて行こうとして——呼び止められた。
「ベッキー!」
そう呼ぶのは一人しかいない。
ふり返ると、馬車から降りてくる長身の貴公子がいた。
「まあ、ヴィクター様!」
夜会で再会した時も思ったが、本当に物語の中から抜け出して来たような美男子ぶりだ。
明るい街で見ると、また印象が変わる。まるで周囲が発光しているかのようだ。
それに、今のレベッカは夜会の時と違って眼鏡をかけている。夜会の時にはあまり気にならなかったが、ヴィクターはあまりにも整っていた。
「こんなところで会えるなんで奇遇だね」
「本当ですわね。お会い出来て光栄ですわ」
慌てて膝を折る。相手は伯爵家の令息だ。
周囲がざわついたのを肌で感じる。それとない視線がこちらを向いていた。
それを知ってか知らずか、ヴィクターはうやうやしくレベッカの右手を取り、口付ける。
その手を握ったまま、ヴィクターが首を傾げた。
「どこかへ行くのかい?」
「はい、カレン通りのエンリケの工房まで。靴を取りに行くのです」
「カレン通り? ずいぶん遠いじゃないか」
「ちょっと、歩きたい気分でしたの」
家には召使いもいるし、レベッカが使う事の出来る馬車だってある。しかし、今は身体を動かしたい気分だったのだ。
「靴を受け取ったら荷物も増えるだろう? 私が家まで送ろう」
「そんな、わたくしこんな格好でヴィクター様の馬車に乗れませんわ」
今日は本当に普段着だ。眼鏡をかけているし、髪も後ろで三つ編みにしているだけだし、簡素で質素な綿のブラウスとスカートだ。
対してヴィクターは上等な絹のシャツを身につけ、そのカフスボタンには美しい宝石が使われている。身体の線に沿ったパンツのシルエットは、明らかにオーダーメイドと思われるフィット具合だ。
「構わないよ、この方がベッキーらしくて良いじゃないか。私にはこちらの方が馴染みがあるから好きだな」
にこりと微笑んで、ヴィクターがレベッカの手を引く。
ますます周囲の注目度が上がったのがわかった。このまま置いて行かれても面倒かもしれない。
「私に送らせてくれないか? 君とゆっくり話がしたかったんだ」
「わたくしもヴィクター様とはまたお話ししたいと思っておりましたわ。あの、じゃあ、お願いします」
それに、消沈していたためか、帰りの荷物が増えることをすっかり失念していた。
ここで出会えて良かったのかもしれない。
「良かった! さ、乗って。そうだ、ちょっとだけ寄り道しても良いかな?」
「はい、もちろんです!」
頷くと、嬉しそうにほほ笑んだヴィクターが御者に何事かを告げた。そして、レベッカに手を貸し馬車へと乗せてくれる。
馬車で行くなら、寄り道したところで歩くより早く着く。わざわざ送ってくれるのだから、寄り道くらいいくらでもして欲しい。
ヴィクターが隣に座った。そこからは、昔はしていなかった甘い香りが漂ってくる。
(本当に伯爵家の令息なのだわ)
そんな人物と今並んで馬車に乗っているなんて驚きだ。ましてその相手が、昔馴染みだなんて。
走り出した馬車の振動が心地いい。
やがてたどり着いたのは、郊外の川辺だった。馬車を降りると、陽の光を受けて輝く水面がまぶしい。




