6. 絶交って、こんな気分なんですわね……
「レオン様は、本日はご出勤されています」
「え……?」
スタンフィールド邸に訪ねて行くと、出迎えてくれた白髪混じりの執事がそう告げた。
「今日は非番だって……」
「そのようなお話は聞いておりませんが」
「あの、じゃあ夜は戻られますの?」
「いえ、しばらく泊まりになると伺っております」
「そんな……」
避けられているのだろうか。
レオンのことだ、自分がこうやって会いに来ると読んでいた可能性もある。
それにしたって、一方的に婚約破棄したのだから話くらい聞いてくれてもいいのに。
それに、レオンは今日は非番だと嘘を付いたことになる。こんなことは今まで一度だってなかった。
「レオン様がわたくしに嘘を……?」
規律違反といい、嘘といい様子がおかしくはないだろうか。
レオンの誠実で真面目な性格からはどちらも対極のことに思える。彼ははそんな事をするような人物ではない。
そもそも、急に怒って婚約破棄を突きつけて来たのもらしくない。レベッカの知るレオンは、婚約した以上それを貫き通すタイプの人間だ。
(もしかして、わたくしの事が心底嫌いになったの?)
あの時は確かに怒っていた。自分が気がついていなかっただけで、前々から不満があったのかもしれない。
それがあの時爆発して……。
(でも、それなら自分の不名誉なんて公表せずに婚約破棄するのが普通ですわ)
レオンの規律違反は公的な記録だ。これは疑いようのない事実だろう。事実だとして、子爵家の跡取りがわざわざ自分の名誉を傷付けてまでレベッカの名誉を守るだろうか?
それとも、そうまでして婚約破棄をしたかったのか。
「どうして。わたくしたち、いい夫婦になれると思っていましたのに。どう思われます?」
「いやどう、と言われましても……」
執事の瞳には、憐れみのような色が浮かんでいる。
「レオン様は、わたくしを嫌いになったんですの?」
「それは私の口からは言えませんが」
ひとつ咳払いをした執事が、意を決したようにレベッカを見つめる。
「レオン様が留守の際にあなた様がいらっしゃったら、伝えてくれと伝言を預かっております」
「……本当ですか⁉︎ なんですの?」
「あなたの次の縁談に影響があってはならない。よって、もう自分には近づかないようにと」
次の縁談。
もう近づかないように。
その言葉が胸の中をぐるぐると回る。
次の瞬間にレベッカの中にわき上がったのは、怒りだった。
「もう! レオン様はそんな方じゃありませんわ。きっとなにかあったんです。だって、わたくしの夢をずっと応援してくださってたのよ⁉︎ 結婚して、夢を叶える事でスタンフィールド家のお役に立てるようにと、そればっかり二人で話してましたのに!」
レオンといて特別に胸がときめくとか、そういうのは正直ない。仲の良い友人という感覚の方が近い。
だからこそ、上手くいくと思っていた。貴族の中には、政略結婚として嫌いな相手と結婚する者も少なからずいると聞く。
それを思えば、レオンとレベッカは本当に良好な関係だった。少なくとも自分はそう思っていた。
レオンがそうは思っておらず、心の中ではレベッカを嫌っていた可能性もあるにはある。だとしたら、相当性格が歪んでいると言わざるを得ない。しかし、レベッカにはどうしてもそうは思えなかった。
「レオン様は平民のわたくしにも本当に親切で誠実で、とても良い方なんです。こんな一方的に、突然、婚約破棄を言い出すなんておかしいですわ。わたくしに至らない点があったら、ちゃんと指摘して改善を促してくださるはず。それにレオン様がなにもなく軍の規律違反をすることもありません。嘘を付くなんてことも。婚約破棄したならしたで、相手からの恨み節を気の済むまで聞いて下さるわ。そういう方だとわたくしは————」
急に喉が詰まったと思った瞬間に、ほおが濡れた。その事に気がついた後に、目頭が熱くなる。
「あれ……」
どうしてだろう、涙が次々とあふれて止まらない。自分の意思とは関係なく喉がしゃくりを上げ、引きつった声がもれた。
そっと差し出された白いハンカチーフを受け取り、目頭を押さえる。
悲しいのだろうか。そうだ、悲しい。レベッカの、貴族相手に商売をするという夢の隣にはいつもレオンがいた。
もちろんその夢はまだ捨ててはいない。これから貴族のご婦人方とお茶会だってするのだ。
なのに、それが上手く行ったとしても一番に喜んでくれる人がいないなんて。
「絶交って、こんな気分なんですわね……」
* * *
「あの、よろしかったんでしょうか」
レベッカを送り出し、執事は奥の部屋に入った。そこには、わかりやすくうなだれながらソファに座っているレオンがいた。
「今日は非番だ、嘘など……」
「今日はご出勤しましたの部分は嘘です」
「わかっている!」
苛々と言ったはずのその言葉の勢いはか細いものだった。
「レベッカ様は、意外と鋭い勘をお持ちですね」
「ああ、ほんとうにな……」
額に手のひらを押し付けうなだれる。
レベッカはレオンの様子がいつもと違うと気がついていた。
皮肉ではあるが、ずいぶん信用されていたようだ。それがほんのりした嬉しさと、それ以上の苦さをレオンの胸にねじ込んでいた。
昨晩、レベッカを伴い夜会に行くことはスティーブには報告していた。それを、調査対象に情報漏洩する恐れがある違反行為だとして、スティーブが処分した形だ。レベッカの頼みを逆手に取ったのだ。
違反内容からして婚約破棄はやり過ぎだと内容を知っていれば思うかもしれないが、レベッカにこの内容が開示される事はない。公的に規律違反が記録された、その事実が重要なのだ。
実際のところは、しばらく泊まりどころか五日間の謹慎処分である。
「泣いていたな……」
レベッカを助けたい一心とはいえ、本当に一方的で、悪い事をしたなと思う。レベッカが泣いているのを見たのは初めてだ。いや、直接見てはいないが。
それだけ、レベッカの中にレオンの存在があるということだ。そう思えば、婚約破棄したのを後悔しないでもなかった。レオンには、疑いがかけられたレベッカの側にいて支えてやる道もあったはずだ。
だが大切な人があらぬ疑いをかけられていて、どうして黙っていられるだろう。
彼女がレオンに特別な感情を抱いていないことはもうわかっている。それでも、レオンにとっては明るい太陽のような存在なのだ。
士官学校で忙しい日々に交わした手紙には遊び心があふれていた。たまに会えば明るい笑顔で、楽しい夢の話をたくさんしてくれた。その夢の中には、いつもレオンも共にいた。笑っていた。
レオンとは違い、良く言えばおおらか、悪く言えば少しだけ雑なところだってあるにはある。しかし、それらはレオンには見えていない新しい世界を教えてくれるようだった。楽しいと心から思えていた。
彼女の笑顔を守るために国を護る。そう思えば厳しい訓練にも、職務にも自然と身が入った。
支えられていた。
その笑顔が消えるようなことは、自分が身を引くよりも辛い。
「老婆心ながら、レオン様はなぜそうまでして婚約破棄を?」
「……悪いが、言えないな」
監査局は軍の中でも独立した特殊な組織だ。なかでも守秘義務は絶対となる。
レオンが規約違反を使って婚約破棄したことを家族に言いはしたが、違反の内容やその本当の理由までは言っていない。言ってはならない機密事項だ。
「レオン様には、遅かれ早かれ新たな婚約者があてがわれると思いますよ。レオン様の不名誉からの婚約破棄とはいえ、うちと縁を持ちたい貴族は山ほどいる」
「そうだな……」
そうなるだろう。相手には申し訳ないが、その苦しみはレオンが罰として背負うのには丁度良いのかもしれなかった。
顔を上げ、窓へと視線を投げる。レオンの位置からは空しか見えない。その空は、レオンの心とは裏腹によく晴れていた。
澄んだ青が逆に、レオンの影を深くするようだ。
(もう信じてもらえないだろうけど、君との未来を疑ったことなんてなかったんだ、レベッカ嬢……)
* * *




