5.こんなの納得できませんわ!
「なんですの、これ……」
夜会の翌朝。
まだ身支度も整わないような早い時間に、レベッカ宛にアヴァロ邸へ書面が届いた。
差出人はレオン・スタンフィールド。
部屋に戻るのももどかしく、その場で封を切った。そして内容を読み、愕然とした。読み間違いかと思ったが、あいにく今は眼鏡をかけている。何度読み返しても内容は変わらない。
それは、レオンからの婚約破棄の正式な通知だった。
「こんなの納得出来ませんわ」
こんなに早いとは思っていなかった。しかし、婚約破棄を言い渡されていた以上、いつこうなってもおかしくはないことではあった。
納得できないのは、その内容だ。
『婚約破棄通知
以下の通り、両者間の婚約関係を正式に解消する旨を通達する。
提出者:レオン・スタンフィールド(フランセス王国軍監査局所属)
相手方:レベッカ・アヴァロ(マルコ・アヴァロ男爵息女)
本人は、職務上の不備および内部規定への重大な抵触に関し、その責任を認め、相手方の名誉を守るべく本件を提出するものである。
よって、両者の間に存在した婚約関係を、以下の日時をもって破棄し、いかなる私的・公的契約にも属さぬことを確認する。
破棄日:王国歴五二七年七月二日
備考:本婚約破棄は提出者側の一方的事情によるものであり、相手方には一切の責任・非はない。
本件に関する名誉および社会的信用の毀損がなきよう、取り扱いには最大限の配慮を要す。また副本は軍監査局長官へ提出され、相手方の名誉の毀損が認められればこれを否定するものとして照会することを可能とする。
署名:レオン・スタンフィールド
証人:スティーブ・ブライアン』
レオンは、レベッカの受け答えが気に食わなくて怒っていたはずだ。だから婚約破棄を言い出したのだと思っていた。
それなのに、これはなんだというのだろう。
「レオン様が、規律違反を……?」
その責任がレベッカに及ばないよう婚約を破棄する。そう読める。
「そんなこと一言も……!」
しかし、証人署名があることからレオンの規律違反は公的に記録されていることは明らかだ。
証人のスティーブ・ブライアンはレオンの直属の上司の名だ。現在は大佐として監査局長官に任命されているが、元は王宮騎士団総団長という名誉ある地位にいた武人だ。
そのスティーブのサインがある以上、これは本当のことなのだ。
レオンは、真面目を絵に描いたような人物だ。規律違反という言葉とは対極にいると言ってもいい。
レベッカから見ても、真面目過ぎて融通が効かないなと思うところが多々ある。
それがレオンのいいところだと思ってきた。この人は信用できる、その確信は結婚後商売をしたいと思っているレベッカにはなによりの安心材料だったのだ。
そのレオンがまさか。
「昨日夜会にご一緒した時には何も言ってませんでしたのに」
規律違反を婚約破棄の理由とするなら、レオンが怒っていたあの時はまだ違反していなかった?
昨晩の夜会の時にはどうだったのだろうか。夜会の後別れてから?
いや、そんなはずはない。レベッカを屋敷まで送ってくれたのはもう深夜だった。
どんな規律違反をしたのか問い詰めたい。だが、教えてはもらえないだろう。
所属組織——レオンの場合は軍だが、そこからの通知方法を使ったということは、この違反内容もきっと機密事項なのだ。
(ということは……)
ぱっと胸に光が灯ったように視界が明るくなる。これが事実だとしたら、ひとつだけわかる事がある。
レオンはレベッカを嫌いになったわけではないということだ。
むしろ、レベッカの名誉を守るために、あえて自分の不名誉を公的に公表して婚約破棄をしたのだ。そして、レベッカがいらぬ中傷を受ける事があれば、それを否定してくれるとまで記載してくれている。
規律違反は全く想像が出来ない。だが、レベッカに害が及ばないように手を打つのはレオンらしい。
なによりレベッカの知るレオンは真っ直ぐで、そして優しいのだ。
「やっぱり、レオン様は人格者ですわ」
通知書をもう一度読み返す。
婚約破棄をしなければならないほどの重大な規律違反とはなんなのだろう。
その違反の内容にもよるが、まだ望みは捨てなくても良いのかもしれない。
そもそも、あのレオンがなんの理由もなく規律違反なんてするわけがないのだ。きっとなにか理由があるはず。
「ん? レベッカ? そんなところでどうしたの?」
柔らかな声がかかり、視線を上げる。そこに映ったのは、敬愛する兄フェルナンだった。
「お兄様……あの、これを」
婚約破棄通知を兄に手渡す。それにさっと目を通したフェルナンの表情がみるみる曇った。
「レオン君が? まさか」
「そうですわよね。わたくしも信じられなくって」
うーんと唸り、フェルナンは考え込んでいる様子だ。
「でも、これは向こうからのきわめて一方的な婚約破棄という形だけど、正式な通知書だね。残念だよ」
「でもお兄様、レオン様はわたしくの事が気に入らなかったわけではないんですわ!」
「え? あ、そう、だね……?」
「わたくし、まだ諦めませんわ!」
だとしたら、まだレオンはレベッカに協力してくれるかもしれない。元々、出来ることは協力しようと言ってくれていたではないか。
そうやって接触を続けて成果を出せば、やはり家の役に立つと認めてレオンの気も変わるかもしれない。
レベッカが、婚約破棄による影響を受けず元気にやっているところを見せるのもいいのではないだろうか。なにしろ、レオンはレベッカの名誉を守るために婚約破棄をしたのだ。名誉の毀損などない、あっても気にしていなければ考え直す理由にはなり得る。
「でも……急ぎませんと」
蘇るのは、夜会でのヴィクターの言葉。レオンには、もう新しい婚約者候補がいる————。
それはそうだ。スタンフィールド家は、王家から一目置かれている。レオンの伯父が命懸けで王を救ったからだ。子爵家としてはまだ歴史は浅いが、縁を持ちたい家は多いだろう。
「わたくし、貴族の皆様を相手に商売をしたいのです。それがわたくしの夢ですし、さらにはスタンフィールド家のお役に立てる方法なんですわ」
「さすが前向きだねぇ……」
フェルナンの声に少しの呆れを感じたが、そんなことには構っていられない。
「レオン様は、今日は非番だから遅くなっても大丈夫と言って昨晩ずっと付き合って下さっていたのです。今日はスタンフィールド邸にいるはずだわ」
ぱっと花の咲いたような笑みを浮かべ、レベッカは元気に走り出した。
後ろで呼び止めるフェルナンの声は無視して。
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