53. 身に沁みました
ヴィクターがレベッカに面会を求めている。
その報せが来たのは、レベッカの釈放の翌日の事だった。
ヴィクターには会おうと思う、でも不安もあるから一緒に来てくれないか。そんな相談をされて、否と言えるはずもなかった。
急遽翌日の休みを取り、レベッカと二人で面会へと赴いた。
面会室へ入る。
あちら側とこちら側は、部屋の中程にある鉄格子で仕切られていた。
向こう側にも扉がある。罪人はあそこから出入りさせられるのだろう。
「レオン様……」
「大丈夫だ、奴はこちらには来ることが出来ない」
「はい」
「俺もここにいる」
頷いてみせると、レベッカも神妙な面持ちで頷いた。前を向く。
やがて、扉が開いた。そこから現れたのは、やつれているものの、相変わらず高貴な姿をしたヴィクターだった。
その後ろから憲兵が入り、扉を閉めてその前に立った。
「ヴィクター様」
「ベッキー……」
よろよろと鉄格子へ歩み寄ったヴィクターが、格子をつかんだ。
そのまま、なにも言わずにレベッカを見つめている。その瞳には覇気がなく、なにもかもを諦めたかのように揺れている。
これが、レオンを小馬鹿にしていた男なのだろうか。レオンには一瞥すら投げない。
そのまま二人が見つめ合ってどれくらい経っただろう。
先に口を開いたのはレベッカの方だった。
「ヴィクター様。わたくしを陥れたんですの?」
「そうするしかなかった」
「脅されていらっしゃったのですか?」
「……少し、違う。私は、私の意志でシヴァ公国に与した。私の夢を、話しただろう」
貴族制度を無くしたい、それが夢だとヴィクターはレベッカに語ったと聞いている。
あくまでもその夢のために、シヴァ公国と手を結んだのか。
正直、ヴィクターのその夢には、貴族として賛同できない。だが、その思想自体は何も問題はないものだ。むしろ、民のことを一番に考えている所以だ。
貴族だからと、特別だからと胡座をかいていてはいけない。貴族だからこそ、国の、民のことを一番に考えなくてはならないのだ。それが、貴族に生まれた義務というもの。
その義務を権利だと勘違いしている貴族の方が大多数だと言われれば、そうなのかもしれなかった。
「わたくしに求婚していたのも、アヴァロ商団をクラウス商団の傘下に取り込み、物流を掌握するためだったのですわね? 有事の際に混乱を招くために」
「ベッキー、私は本当に君の事が」
「あなたの欲しかったのは、わたくしではありませんわ。アヴァロ商団です」
きっぱりと言い切ったレベッカの言葉に、ヴィクターが唇を噛む。
その瞳が歪んだ。
「違う。君が欲しかった、ベッキー。結婚しようと言っていただろう。それなのに、すっかり忘れてそんな冴えない男と婚約して、私のことはヴィクター様としか呼ばなくなった。ベッキー、君はなぜ変わってしまったんだ。その男を愛していたわけでもないのに」
そうだ、レベッカと愛し合って婚約したわけではない。両親が決めた縁談だった。
レベッカは、レオンに対して特別な感情を抱いているわけでもない。それでも、こんな奴に渡す事など到底出来ない。
「変わったのはあなたですわ、ヴィクター様」
レベッカの瞳がうるんだ。
「わたくしは、わたくしの友達はヴィックです。あなたではありませんわ」
その緑の瞳から一粒こぼれ落ちた涙に、レオンの胸がざわついた。
それは、ヴィクターのために流されたものなのだ。
はっとしたように瞳を見開いたヴィクターが、俯いた。鉄格子に額を押し付け、顔を歪める。
やがて上がった顔からは、表情が消えていた。
「はっ……。ヴィックなんて奴は最初からいなかったんだよ、ベッキー」
その手が鉄格子を離れ、踵を返した。憲兵に退出の意志を伝え、ふり返りもせずに開いた扉から出て行ってしまった。
「ヴィクター様……」
「泣くな、奴は罰せられなければならない」
「でも……わたくしの、友達だったんですの……」
「ああ、そうだったな……すまない」
レオンにとっては、士官学校時代から苦手で厄介な男だった。ここ最近は、はっきりと嫌いだと感じていた。
それでもレベッカにとっては、大切な友達だったのだ。婚約を真面目に考えるくらいには。
「ここからは、あいつ一人で、時間をかけて自分を見つめ直すしかないだろうな」
「そうですわね」
レベッカが手の甲で涙を拭った。
「ありがとうございます、レオン様。レオン様がいて下さったので、心強かったですわ」
「ああ」
ほんの少しでも、彼女の心を支えられたのなら良かった。
「この面会の事をスティーブ殿には話している。急遽休みをもらったからな」
「スティーブさんには感謝しませんとね!」
涙を拭いてにっこり笑ったレベッカに頷き、その両手を取った。
「それで。どこをどうしたのか、その話がブルーム公爵に伝わった。今日なら少し時間が取れるから、俺とレベッカ嬢に会えないかと言われているそうだが……どうする?」
「まあ、閣下が⁉︎」
「軍法会議でその……閣下は厳しかっただろう。怖いなら、断っても……」
そう言いつつ、逃げ出したいのは自分の方だと自覚する。
相手は軍部最高指揮官だ。軍部の人間なら誰だって緊張せずにはいられない。
「いいえ、お会いしたいですわ! 閣下にはお世話になったのですもの。それに、わたくしが無実なら、軍靴、使っていただけるかもしれませんわ」
「そ、それも、そうだな……」
嬉しそうに輝いたレベッカの瞳がまぶしく、つい目線を逸らしてしまう。
こんな顔を見ては、別れが辛くなるだけだ。
「お兄様は、閣下が苦手なんです。レオン様もそうですの?」
「いや、苦手というのではない。が、さすがに軍部最高指揮官の前に出るなど……」
スティーブのような組織の長官ならいざ知らず、レオンはまだ補佐官だ。本来なら声すらかけてもらえない立場なのだ。
よほど悪事を働いて軍法会議にかけられるとなると話は別だが。
「……いや、そうだな。少し苦手かもしれない」
言い訳などしても見苦しいだけだ。
「ふふ……。レオン様って可愛いんですのね」
「かわ……は……?」
レベッカの手が、レオンの手を握り返した。
にっこりほほ笑んだ緑の瞳が、レオンを真っ直ぐに射る。視線が逸せない。
「行きましょう、レオン様。今度はわたくしが付いておりますので!」
「——ぷっ……ははは」
おかしくなり、思わず吹き出してしまう。
繋がった手の体温が、お互いを伝え合う。
「わかった、行こう。これでおあいこだな」
「はい!」
大きく頷き、レオンの手を引っ張るようにしてレベッカが歩き出す。
どこへ行くつもりなのか、部屋を出て全く違う方向へ廊下を歩き出したが黙っておく。少しくらい……時間を長引かせても罰は当たらないだろう。
間違いに気づいたら笑えば良い。レベッカには笑った顔が一番似合う。ずっと笑っていて欲しい。
それが、違う誰かの隣だったとしても。
* * *
「……ですので、機能性や価格、さらには兵士の士気なども考えると断然お得なんですわ。士気が上がって兵が強くなる事で、抑止力にもなりますわね。靴の役割は小さいですけれど、その小さいものを積み重ねて行く事が必要なのではないかとわたくし思いますの!」
レオンの隣でレベッカが熱弁している相手は、言わずと知れた軍部最高指揮官のマルセイユだった。
マルセイユに面会を申し出ると、執務室へ通された。そこでしばらく待たされ、その人はやって来た。
長く美しい金髪は後ろで一つに結んでいる。装飾の少ない真っ白な軍服に包まれたすらっとした身体は、余計にその美貌を際立たせているようだ。
緊張して敬礼したまま動けなくなったレオンに対して、レベッカは貪欲だった。
物怖じせずに駆け寄り、挨拶をし、軍靴について熱弁している。それを優しげな笑みでマルセイユが聞いている。
レベッカの勢いに押され、全員、立ったままだったが。
「知っているよ。君の靴は前線でも好評だ」
「え……? 使用許可を取り消したって……」
ぽかんとした顔のレベッカを見て、マルセイユがおかしそうに笑う。
「嘘だよ、嘘。軍法会議で君の軍靴は素晴らしいって言えないでしょ? 私は君を裁く側の人間なんだから」
「まあ……!」
「軍靴は使わせているよ。前線での評判も上々だし、正式採用申請を出すなら、後押ししても良い」
「閣下! ありがとうございます!」
レベッカは感激したように瞳を潤ませ、礼を述べている。
その姿を見ながら、マルセイユは本当に恐ろしい男だと思わずにはいられない。
こうしてレベッカの無実が証明されたから良いものの、有罪になっていたとしたら——恐らく、躊躇わずに罰を言い渡した事だろう。
「君は冤罪だとは思っていた。だけど証拠がなければ何も出来ない。アヴァロ商団にはすまない事をしたね。軍法会議での損害はちょっと、ヴィクターを誘導したくて盛って話したんだけど……ま、大きな損害が出た事は間違いない」
「いえ、閣下が軍靴にお墨付きを下されば、きっと取り戻せますわ! 受注も元に戻していただけますのよね?」
「もちろん」
笑顔で頷いたマルセイユが、その顔を引き締めた。
「君も気づいていた通り、物流をどこかが独占するのは危険だ。経路は複数あるべきだから、悪いけどクラウス商団が外れたからといって拡大はしてやれない。アヴァロ商団にはこれまで通りに頼むよ。その代わり、軍靴は採用の方向で前向きに検討するよ」
「はい、ありがとうございます。わたくし頑張りますわ!」
レベッカは相変わらず前向きで、貪欲だ。その姿勢は、レオンも見習わなくてはならないだろう。
頷いたマルセイユが、レオンへと視線を向けた。その瞳は、レベッカに向けるものと違って鋭い。
思わず、生唾を飲み込んだ。
「レオン。国の財産は元を辿れば民のものだ。それを着服するのも、火薬の密売も許されないことだよ。だけど、迂闊に手を出すと身を滅ぼすことに繋がることもある」
「は、身に沁みました」
「レベッカもね。君たちはまだ若いから突っ走り気味になるのだろうけど、気をつけるように。今回はなんとかなったけど、毎回そうはいかないよ。人を陥れることは、君たちが思うよりもずっと簡単に出来る」
本当にそうだ。あまりにも呆気なく、法の下にレベッカを獲られた。証拠を見つけ出せず、そのまま罰せられる可能性だってあったのだ。
もしくは、ヴィクターの思惑通りに身柄をアルマール邸に移され、そのまま奪われることになりかねなかった。
ヴィクターの工作に気付けたのも、レベッカの助言があってこそだ。自分一人で助け出せたとは到底思えない。
「私は、君たちを裁くことにはなりたくないな。本当に肝が冷えたよ」
「はい、申し訳ありませんでした」
頭を下げる。
火薬の品質異常を確認出来たのは、マルセイユが協力してくれたおかげだ。ヴィクターが怪しい動きをしている事を手紙には書いたが、決定的な証拠とは言い難いものばかりだった。マルセイユが協力してくれるかは、賭けのようなものだったのだ。
それでも、スティーブは手紙を書いてみるべきだと言い、長官としてサインもしてくれた。監査局からの密書として、印章も使わせてくれた。
何もかも、周りのおかげだ。自分は、あまりにも無力だった。
「まあ、僕も若い頃は無茶をしたからあんまり大きな口は叩けないけどね」
ふふと笑ったマルセイユは、ズボンのポケットから懐中時計を取り出した。
時間を確認して、息を吐く。
「私は、とっても忙しい身でね」
「存じております」
「もっと話していたいけど、この後は国王陛下にうんと仕事をしてもらわなきゃいけないんだよね」
そう言って肩をすくめたマルセイユに、またしても生唾を飲み込む。
王を相手にそんな事を言えるのは、公爵であり宰相であり、そして軍部最高指揮官のこの男だけなのだ。
「閣下、またお会い出来ます?」
平然とそんな事を聞くレベッカに、肝が冷える。
マルセイユが、またもやおかしそうに吹き出した。
「あはははは、君って本当に面白いね。私は公爵だよ? その私に! そんな事を! 言うのって君くらいだよ」
「あっ、つい……申し訳ありません!」
「いや良いんだ。そういうの、もう誰も言ってくれないのだもの」
宝石のような青く澄んだ瞳が細められた。柔らかに、この世の光を全て集めたかのような笑みを浮かべる。
「神が許せば、また会う事もあるかもしれないね。それまで、しばしの別れだ」
レオンですら思わず呆けて見入ってしまうほど、優しく美しい笑みをたたえ、マルセイユが言を継ぐ。
「レオン、レベッカ。君たち二人の上に幸せがある事を祈っている」
そう言うと、来た時と同じように颯爽と部屋を出て行ってしまった。
(俺たちの、幸せ……)
胸が疼く。
それは、別々の相手と迎える未来の事だろうか。そうだとしても、まだ補佐官でしかない自分と、平民のレベッカの幸せを祈ってくれているのは真実なのだろう。
マルセイユに認知されている、それだけでも恐れ多い事なのに。
再び扉が開き、マルセイユの遣いの高官が部屋を出るように促す。
それに敬礼して応え、二人で部屋を出た。
長い廊下を歩く。
「あの、レオン様。今日は一日お休みなんですのよね?」
「ああ、そうだ」
「良かった。でしたら、ご一緒したい場所がありますの。よろしいですか?」
「君がそうしたいなら」
精一杯笑って見せる。それに応えて、レベッカも満面の笑みを浮かべた。
レオンが好きな、太陽のような笑顔を。
* * *




