52.これは自分の姿だったのかもしれない
王都から休まず馬を走らせて、アルマール伯爵領の邸宅に着いたのは、もう夕刻になってからだった。
屋敷は包囲され、軍政管理局と監査局があっという間に制圧した。
一ヶ所に集められた屋敷の人々の中に、マディソンの妻子がいたという報告がまず入った。この屋敷から出ないというのを条件に、破格の給料で服の仕立てについての相談役を行っていたらしい。
人質とはいえ、乱暴な扱いでなかったことにまずはほっとした。
そしてレオンは、ヴィクターの私室を徹底的に洗った。そこで、床の絨毯下に隠されていた小さなスペースを発見したのだ。
外れるようになっていた床板をめくると、本当に薄いスペースがあり、そこに何通かの手紙がはいっていた。
「スタンフィールド大尉。解読終わりましたよ」
軍政管理局の青年が、レオンを呼ぶ。彼はヴィクターの机に座って、手紙の中にあった暗号文を解読してくれていた。
もちろん、解読鍵はBeckyだ。
「ご苦労だった」
彼を労い、解読の終わった紙を受け取る。
その内容を読み、決定打だな……とつぶやく。それに軍政管理局の青年もそうですねと同意してくれた。
そこに記されていたのは、ヴィクターへ宛てた命令書だった。
レベッカ・アヴァロを利用し、火薬の密売を表沙汰にしてシヴァ公国との軋轢を生じさせ戦を起こすよう工作すること。
アヴァロ商団を手中に収めることで戦時の物流を操り、軍需をコントロールするよう動く事。
掌握した物流を使って密売を進める事。
マディソンとドータの密売工作は完了していて、然るべき時に裁判を起こせば、全てを両名の犯行と証明出来る証拠を提出出来る事。
シヴァ公国は、ヴィクターの望み通り、レベッカも一緒に迎え入れる準備がある事。
「シヴァ公国と繋がっていたか……」
命令書の差出人の名は、エリン・ダウ。元シヴァ公爵の側近だった人物の名だ。
ドータと言うのは、アヴァロ商団の荷に火薬が混ざっていたと通報して来た商人だ。どうやら、全ての罪をマディソンとドータに背負わせるつもりだったようだ。
ヴィクターはレベッカの無実を証明し、国に混乱を起こした後、折を見てシヴァ公国へと連れ出すつもりだったのだろう。
シヴァ公爵は、穏やかな性格の青年だったと聞く。東の辺境を当てがわれて、文句ひとつ言わないどころか、感謝しながら旅立ったのだそうだ。
そうして、王都と領地を行き来しつつ、領地を豊かに育て上げていた。
四年前に反旗を翻すまで、王宮にも時折出入りしていたと言うから、彼を慕う者がいたとしてもおかしくはない。
ヴィクターは伯爵家の子息。シヴァ公爵と面識があって当然だった。
「なんでこんなものを取っておいたんでしょうね。これまでの経緯を見ると、自分の直接的な犯行ではないようにしていましたよね? かなり慎重に事を進めていたようなのに」
たしかに虚偽の延泊も、火薬の品質異常も、クラウス商団の誰かの仕業として逃げることが可能だ。マディソンの妻子も、まさか自分たちが人質だったなどとは思っていなかった。
ヴィクターは、商団の管理者として責任者監督違反を問われる事はあっても、上手くやれば誰かに罪をなすりつけ逃げられたはずだ。シヴァ公国からの命令書さえ出てこなければ。
「……慎重だから、だろうな。シヴァ公国から裏切られ切り捨てられる可能性を考えていたのだろう。万が一の時は、この命令書を提出して、レベッカ嬢を盾に脅されていた哀れな被害者を装うつもりだったのだろう」
「なるほど、自分が助かる道は捨てられない、か。今回はその慎重さに足元をすくわれたわけですね」
「そう、だな……」
答えつつ、自分の手を見る。そこにはなにも持っていない。しかし、レオンの記憶には、その手に持って読んだ手紙の内容がこびりついている。
何通かあった手紙の中に、一通だけ普通の手紙が入っていた。その内容をレオンは読んだ。読んだ上で、スティーブに託した。
他愛もない子供の手紙だった。子供らしい、未来を夢見る手紙。それは、レオンにはあまりにも苦しい内容だった。
結婚したら、お店を持ちたい。二人で、最初は小さくともお店を開いて、大きくして行きたい。なんのお店を開くかは、いっぱい見て回ってから一緒に決めよう。そんな手紙。
ヴィクターの事は許す事は出来ない。だが、ヴィクターがレベッカに惹かれていたのは事実だったのだろう。こんな手紙を大切に持っているほどには、彼の中にレベッカの存在があったのだ。
ヴィクターは、レベッカを故意に傷つけた上で助け、関心を引き、彼女のヒーローになろうとしたのだろうか。
それとも、シヴァ公国が目を付け利用しようとしたレベッカを、必死に助けようとしていたのかもしれない。
どんな理由があったとしても、許されない事だが。
苦しい。これは嫉妬なのだろうか。わからない。
レベッカは、レオンと出会う前からヴィクターとは仲のいい友達だった。子供心に結婚しようと思っても不自然でもなんでもない。
そしてそれ以上に、レベッカに惹かれたヴィクターの気持ちが自分には理解できる。きっと、同じところに惹かれたのだ。だからこそ胸が詰まる。
(これは、俺だ……俺ももしかしたら……)
ヴィクターは、レベッカが違う誰かと結ばれた後の自分の姿だったのかもしれない。それをまざまざと感じてしまったのだ。
許せない、許してはならない、だけど理解できる陰の部分。
レベッカの人生に、もうレオンはいない。無実が証明されたとして、彼女の気持ちがなければ復縁も出来ない。
スタンフィールド子爵とアヴァロ男爵に跪いて謝罪し、頼み込めば、可能性はなくはない。だが一度婚約破棄した以上、レベッカの気持ちを無視するなんてことはしたくなかった。
レベッカはヴィクターとの婚約を、乗り気ではなくとも前向きに考えていた。レオンのいない未来を選ぼうとしていた。彼女の人生に、もうレオンは必要なくなっているのだ。
レオンはレベッカが他の誰かと結ばれるのを黙って見守っているしかない。そうして、自分も他の誰かと家庭を築くのだろう。
それを思うと、苦しくてたまらない。
自分がヴィクターにならないためには、どうすれば良いのか。その答えは一つしかない。
ちゃんと、終わらせなければ。面と向かって。
「よし、私たちも他の場所へ移ろう。この暗号文は、私がブライアン監査局長官へ届ける」
「はい、お願いします!」
青年は敬礼し、部屋から出て行った。
これでレベッカの無実は証明されるだろう。早く、あんな場所から出してやりたい。
それが、レオンが最後にしてやれる唯一のことだから。
* * *
ともすれば駆け出しそうになる気持ちをなんとか抑えながら、レオンはレベッカの囚われている独房へ向かっていた。
これは職務の一貫だと自分に言い聞かせてみるものの、気持ちが変に浮つく。
アルマール伯爵領内のクラウス商団本部へと向かった別働隊が、二重底の木箱を多数押収した。その報せが伯爵邸のスティーブの元へ入ったのは、もう深夜を回ってからだった。二重底からは、火薬の痕跡もしっかり見つかっているようだ。
その報せを受けてから、レオンは王都へと引き返した。着いたのは明け方だ。
スティーブからの、レベッカを罪に問わないという免訴証明書も預かって来た。これで、レベッカを釈放出来る。
一刻も早く迎えに行きたかったが、免訴証明書を受け取ってもらえる時間ではなかった。
レオンは監査局の夜勤者用の仮眠室で短い睡眠を取り、日が登ってから軍政管理局へと赴いたのだ。
独房の扉をノックすると、中から返事があった。声には張りがある。
扉に手をかけた。
「レベッカ嬢、迎えに来た」
声をかけつつ開くと、そこには驚いたレベッカの顔。
そして、その顔に満面の笑みが浮かんだ。その様子に、自然とレオンの顔にも笑みが浮かぶ。
「レオン様!」
「君の無実は証明された。釈放だ」
ひとつ頷くと、途端にレベッカの顔が歪んだ。あっという間に、眼鏡の奥の緑が揺れ、ぽろぽろと涙がこぼれ出す。
これは職務の一貫だとか、なんと声をかけようとか、そういう冷静でいようとした心は呆気なく瓦解していた。
胸に渦巻く熱がレオンの思考を奪い、その身体を突き動かす。
気がつくと、レベッカを両腕の中にきつく抱きしめていた。
「よく頑張ったな」
レオンの肩に顔をうずめて涙を流すレベッカの頭をなでる。
「怖かっただろう。すぐに助けてやれなくてすまなかった」
「いいえ、大丈夫でしたわ……。レオン様が、信じて……くださっていたんですもの。わた、くしも……信じていましたの、レオン様を」
「そうか」
少しでも、自分の存在がレベッカを勇気づけていたのなら良かった。
そして、それが苦しい。まだ、期待をしてしまう自分がいる。
ちゃんと、終わらせなければならないのに、冷静になれない。離さなければと思うほど、腕に力が入ってしまう。
「俺のせいだな。本当にすまなかった」
「ちが……レオン様はなにも……」
「いや、ヴィクターに付け入る隙を与えたのは、俺が婚約破棄をしたせいだろう」
レオンが婚約破棄をしなければ、もっと違っていたかもしれない。
ヴィクターはレベッカへの接触を堂々とは行えなかっただろうし、軍靴の納品許可の協力も出来なかったかもしれない。婚約者のいる女性に過度に接触するのは外聞が悪すぎる。
レオンは、婚約者という立場でヴィクターからレベッカを守れたはずだったのだ。
「でもそれは……」
そっとレベッカの身体を解放する。その濡れたほおの涙を指で拭った。
こうして泣かせてしまったのは、結果論ではあるが自分の落ち度だ。
「きっと、わたくしに言ってないだけで、レオン様も色々お有りだったのだと思いますわ。だから、良いんですの」
「すまない、恩にきる」
情けない。
守りたいと思った人を泣かせておきながら、気遣いまでされているなんて。
本当に辛かったのは、彼女の方だったのに。
「それはわたくしの台詞ですわ。レオン様、本当にありがとうございます!」
涙に濡れながらも、にっこりと笑みを浮かべたレベッカに胸がざわめく。
その柔らかで小さな手が、レオンの両手を包み込んだ。
「わたくしったら何にも知らずに……でも、レオン様はずっと守って下さっていたんですのね」
「いや、守れてなどいなかった。君を奪われたのだから……」
「そういう事ではありませんわ。過程のお話です」
「そんなもの、結果がなければなんの役にも……」
「わたくしは救われていましたわ。職務とはいえ、レオン様がずっと側にいてくれて、とても心強かったんですのよ」
「そうか」
胸の奥がすっと軽くなる。
彼女がそう言うなら、信じてみても良いのかもしれない。こんな不甲斐ない自分でも、いくばくかの力にはなれていたのだという事を。
「さあ、行こうかレベッカ嬢」
包み込む熱を解き、改めて右手を差し出す。
嬉しそうに頷き、レベッカの左手が伸びた。レオンに並びつつ、二つの手のひらが繋がる。
胸が疼いた。ほんの少しの期待と、後悔と、この先にあるだろう未来の嫉妬が入り混じってレオンの胸を渦巻く。
レベッカの手を引いて歩き出す。
視線を合わせて、ほほ笑み合う。今は、この瞬間だけは、穏やかな時間を過ごしたい。
もう、こんな時間は来ないかもしれないのだから。
* * *




