51. そんな、つもりじゃ……
「そうでしょうとも閣下。こんなのは事実無根です」
ヴィクターがそう言い、レベッカの方を向く。その瞳が和らぎ、微かに笑みを浮かべた。
「ベッキー、信じて欲しい。君には私の夢を話したよね。あれは君あってこそだ。君を陥れたりするわけがない」
「ヴィクター様……」
言葉を継ぐ事が出来ない。
もしかしたら、本当にヴィクターは無実なのかもしれない。レベッカが無実なように、誰かに陥れられているのかもしれない。
そう思いたいほど、ヴィクターの瞳は澄んでいる。
「そうおっしゃるなら、憶測ではないものを出しましょう」
レオンが頷き、レベッカにも小さく頷いて見せた。それに応えて、レベッカも頷く。
レオンは俺を信じろと言った。ヴィクターの事ももちろん信じたい。もしヴィクターが無実なら、それもレオンがきっと証明してくれるはずだ。
無実ではないなら……それも。
「クラウス卿は、七月に前線へ運ばれた火薬の不発が続き、 品質疑義報告をお受けになりましたね。把握は?」
「もちろんしている」
「それからは品質不良の報告などは上がっていますか?」
「いや、上がっていないね。あれは大雨のせいだった」
レオンが頷き、それは監査局も確認していると続ける。
「クラウス商団は、レーシタント帝国との取り引きに重点に置くため、火薬の運搬を南の国境付近を通るように変更しましたね。あの一帯は日頃から雨が多い。火薬の運搬には不向きですが、商団の運搬ルートがレーシタント帝国へ行くためのものなら不自然ではない」
「もちろんそうだ」
「監査局は、クラウス商団の護衛随行記録を閲覧しました。大雨のため道が封鎖され、モントルソー付近で度々延泊をしていましたね」
はっとする。
大雨に濡れて、営門の下で雨宿りしていた時に、レオンが天気の事を気にしていた事を思い出したのだ。
あの時も、クラウス商団がモントルソーで道が封鎖され延泊したと言っていた。
とすれば、レオンは地理局で天候情報を照会したに違いない。
「延泊の報告は?」
「もちろん受けている。火薬の運搬に遅れが出てしまうが、道が通れないなら仕方がない」
「護衛を務めた兵士達に話を聞きました。クラウス商団の者から道が封鎖されたと聞かされ、特に公的な情報には当たらず従ったと」
「何が言いたい?」
ヴィクターの表情に、明らかに苛立ちが見える。そして、かすかな怯えのようなものも。
「随行記録に記されていた道の封鎖情報を、地理局で照会しました。大雨の記録はたしかにあります。しかし、道の封鎖情報は一度もなかった。地理局の記録は公的なものだ。なぜ、クラウス商団は偽りの延泊を?」
「……わ、私は道が封鎖されたと報告を受けていただけで……我が商団内に虚偽の申告をしている者がいるなら、こちらで厳しく調査する」
ヴィクターの視線が落ち着きなく彷徨った。
「延泊は一度や二度ではない。あなたは商団の責任者としての確認を怠っていたことになる」
「……そう、だな。改めよう」
「クラウス商団の怪しい動きは、これだけではない!」
ぴしゃりと言い切ったレオンが、レベッカの方を見た。
「レベッカ嬢は、東部軍営に行っていました。閣下に会って、軍靴試作品を使って欲しいと直談判するためです。そうだな?」
「ええ、そうですわ」
あのまま、みんなで作った軍靴を失敗だと切り捨てたくなかった。
なにより、レオンとの繋がりを細くともまだ持っていたかったのだ。
今思えば、その感情だってレオンを好きだからこそのものなのに。
「その時にクラウス商団の納品と出くわしているな。その時の事を話して欲しい」
「はい」
何を話すべきかはわかっている。
「倉庫で納品物の確認をしていたら、クラウス商団の納品があったんです。運んで来た木箱から、倉庫に用意してあった木箱へ中身を入れ替えていらっしゃいました。木箱が足りないから、持って帰るのだと言って」
「それで?」
「それで、お手伝いしようと思って空の木箱を持ち上げようとしました。蓋を開けて空なのは確認しましたし、わたくしでも持ち上げられそうな小さめの箱でしたの。でも、重くて持ち上げられなかったんですの」
そして、触るなと怒鳴られた。そこまで言うと、法務局副長官は驚いたように目を見開いた。眉間に皺を寄せる。
「このレベッカ嬢の証言を踏まえて、もう一つ」
労うようにレベッカに頷いて見せたレオンが、壇上へと向き直る。
「監査局は、東部軍営に別々の日に納品された火薬を入手しました。それらについて、第三軍需補給局に保管されている火薬との比較、品質検査を行いました」
「なッ————」
ヴィクターの顔色が変わる。
(もしかして……)
レベッカがマルセイユから受け取り、監査局へ渡すよう言われたあの木箱。あの中身は、火薬だったのだろうか。
あり得る。レオンが持たせてくれた手紙は、本当に密書だったのだ。
監査局からの密書を受けて、マルセイユが東部軍営に納品済の火薬を持たせてくれたのだとしたら。
「まずは燃焼実験。火皿に少量の火薬を置いて燃やし、反応時間や火力を見ます。次に定量での比重測定。また、定量の火薬を水に溶かし、硝石を結晶化させて量を比較しました。火薬の硝石・硫黄・木炭の成分比率は決まっていますので。それから職人による臭い、見た目、手触りのチェックも行っています」
「へえ。それで結果は?」
「東部軍営に納品された火薬の多くは、品質が劣っていました。火薬は全てクラウス商団が納品したもので間違いありません。これはどういうことでしょうか、クラウス卿」
ヴィクターが拳を震わせた。
「お前が私を陥れようと劣った火薬を用意したんじゃないのか⁉︎」
「まあ、その火薬を東部軍営で直接取り分けたのは私なんだけどね」
壇上のマルセイユの口角が上がった。その氷のような微笑がヴィクターを射ている。
さすがのヴィクターも、瞳に畏怖の念を滲ませているようにレベッカには見えた。
「私が袋に詰めて、木箱に入れ釘で打ち付けさせ封印した。その封印のまま、監査局へ持ち込ませたんだ。スティーブ、間違いないよね?」
「はい。火薬は閣下の命で被告人が軍部まで運んで来ました。それをスタンフィールド大尉が受け取り監査局へ。その直後に彼は退勤したため、開封にも火薬の品質検査にも立ち会っておりません」
そうだ、レオンはレベッカを送ると言って退勤してくれたのだ。
軍部で会うレオンは職務中。だがあの時はもう職務は終わっていた。たくさんほほ笑みを向けてくれた。優しかった。
レベッカの手を握ってくれた。それが嬉しくてたまらなかった。
「七月のような、目に見える品質不良はありませんが、燃焼速度は遅い。虚偽の延泊の際、火薬を抜き取り二重底の木箱へ詰め替えていたのではありませんか?」
「抜き取れば量が変わる。火薬樽にはちゃんと火薬をここまで詰めるという印がつけてある。抜けばわかる、そんな真似はしない!」
「そうでしょうか? 火薬に酢を垂らしたところ、泡立ちを確認しました。黒色火薬は通常、酸とはほとんど反応しません。酸と反応して泡立つのは、石灰だ。抜き取った分、粉末石灰を混入したのでは? 七月は誤って多めに抜いてしまい、火薬の不発に繋がったとも考えられます」
粉末石灰。乾燥剤として倉庫に納品された物。そして、燐の発火装置に使用された可能性の高い物だ。
「火薬入りの木箱は、持ち帰らなければならなかった。二重底に詰めた火薬をシヴァ公国へ密売するからです。レベッカ嬢が持った空の木箱が異様に重かったのも説明が付きます」
「私ではない! 裏切り者がクラウス商団内にいるんだ! 私がそんなこと————」
「では、クラウス商団の正式な調査をしてはどうかね?」
法務局副長官の言葉に、そうだねとマルセイユも頷く。
「延泊の偽装と火薬の品質異常以外は、まあ、ただの疑いではある。でも、これだけ怪しいものが出てくると、調査しないわけにはいかないよね」
「閣下! 調査は私が責任を持って————」
「虚偽の延泊を見逃し、火薬に明らかな混ぜ物がある時点で、君は管理者責任違反だよ」
マルセイユの瞳が鋭くヴィクターを射た。その青は、今は宝石ではなく氷のように冷たい。
そして、冷たいながらも怒りの感情がこもっている。
「君の動きは明らかに怪しい。火薬は我が国の武力にも繋がる。その火薬の運搬を一手に担っているクラウス商団に不正は許されない」
厳しい声で告げたマルセイユに続き、レオンの固い声が続く。
「マディソンの持っていた暗号文の解読鍵はBeckyだった。クラウス卿、レベッカ嬢をベッキーと呼ぶのはあなただけだ。マディソンの件にも関わっているのではありませんか」
「そいつが私を陥れようとする罠だ!」
そう叫んだヴィクターの姿に胸が痛む。もし、本当に陥れられているのだとしたら、その気持ちがレベッカにはわかる。
それなのに、ヴィクターを庇う事が出来ない。レベッカの冤罪がもしヴィクターの企みなのだとしたら、本当に恐ろしい。
ヴィクターがレベッカの方へ視線を向けた。それに反応して、すぐにレオンが隣へと来てくれる。
「ヴィクター様……」
「ベッキー。本当に君を必要としているのは、私だ。君を幸せに出来るのも。君の夢を叶えられるのも」
「でも……」
「私は、都合が悪くなったら婚約破棄するようなそいつとは違う!」
レベッカに見せていた王子様のような輝きをかなぐり捨てた叫びに、思わず一歩後ずさる。
レオンがレベッカの前に出た。その身体で庇ってくれる。
「どけレオン。私は無実だ。それに、お前よりもベッキーのことを愛している」
壇上で法務局副長官が目頭を押さえている。その眉間には深い皺が刻まれていた。
「法務局として、ヴィクター・クラウス卿と関係各所への強制調査を求めます」
「監査局からも」
ヴィクターが壇上を向く。その視線はマルセイユを真っ直ぐに睨み付けている。
「閣下。私はベッキーを愛しています。私が彼女を陥れるなんてあり得ません」
「そう」
マルセイユが興味なさげにヴィクターをあしらう。
「要請を認めよう。ヴィクター・クラウス及びクラウス商団、それに付随する事柄への強制調査を許可する」
「閣下!」
「無実なんだろう? ヴィクター・クラウス。無実ならゆったりしていたまえ」
マルセイユがその美貌にうっすら笑みを浮かべた。その瞳だけが笑っておらず、レベッカの背筋まで凍えた。
思わずレオンの袖を握ってしまう。
「スティーブ」
「はっ、閣下」
「アルマール伯爵邸及びクラウス商団、軍部内のヴィクターの執務机、または関係各所を速やかに制圧し、髪の毛一本も処分させるな。なにも持ち出させずに保全しろ。それから火薬の輸送に関わった者を洗い出して徹底的に取り調べるんだ。ローズマリー事務官とレベッカを告発したアヴァロ商団の取引先商人も押さえろ」
「承知しました」
スティーブが颯爽と立ち上がり、壇上から降りた。部屋から足早に去っていくのと入れ違いに、マルセイユの側近二人が前へ出て、ヴィクターの肩を押さえにかかる。
離せと怒鳴ったヴィクターを意にも介さず、二人は無表情だ。
ヴィクターが前に出ようともがき、側近にさらにきつく拘束される。
「軍や貴族の腐敗に気付かぬ無能な王め。今まで知らぬ存ぜぬだったのはもはや共犯と等しい」
「……痛いね」
見下ろすマルセイユの瞳に、微かに翳りが浮かんだ。
側近の二人が、ヴィクターを連れ出そうとその身体を引っ張る。抵抗しつつも力では敵わない。引きずられる。
ヴィクターが頭だけ動かしてレベッカを見た。
「ベッキー。約束したじゃないか、私を待っていると。結婚したら、二人で店を待とうと」
「ヴィクター様、わたし……」
士官学校へ行くヴィクターと、そんな話をしたかもしれない。でも、あの時はまだ、子供だった。尊い身分のヴィクターが、優しい嘘を付いてくれた。そんな気持ちだった。
もう話すら出来なくなるかもしれない友達との、優しく叶えられない約束。その良い思い出と共に、レベッカの子供時代は過ぎて行ったのだ。
「そんな、つもりじゃ……」
「ベッキー、私は、君と過ごした時間が人生で一番幸せだった」
ヴィクターがさらに引きずられ、扉の前へと連れて行かれる。
スティーブが開いたまま去ったそこで、ヴィクターは壇上のマルセイユへ首を向けた。
「真の賢君はシヴァ王だ!」
吐き捨てるように叫び、観念したかのように引き立てられ連れて行かれてしまった。
マルセイユがそれを見送り、ため息を吐いた。顔には、表情が戻っている。
ゆっくりと瞬きをして、その瞳がロバートを捉える。
「ロバート。君のした事は罪だが、今回の証言の分の酌量は考慮するよ」
「はっ、そんなものはいらん」
「それに、孤児院への支援金も見直そう」
その言葉に、ロバートの表情が止まる。
「君がしていたような多額の寄付は出来ない。だけど、環境を改善出来るくらいにはね」
ロバートが押し黙った。そのままベンチに座り、床を見つめている。
「さてレベッカ。君の容疑は晴れたわけじゃない。まだしばらくは独房に居てもらわなきゃならないよ」
「はい」
レオンがふり返った。その両手が、レベッカの両手をにぎり込む。
「レベッカ嬢。独房から出してやれずすまない。しばしの間だけだ、俺を信じて待っていてくれないか?」
「ええ、待ちますわ。レオン様ならきっとわたくしの無実を証明して下さいます」
やがて、四人の憲兵が入って来た。二人ずつ、ロバートとレベッカに付く。
ひとつ頷いて、レオンの手が離れた。憲兵の言う通りに歩き、部屋を出る。
これで軍法会議は終わったのだ。
あとは、信じて待つだけ。怖くはない。
レベッカは、握ったままだったレオンのハンカチをそっと指先でなでた。
* * *




