50. 求婚されていたというのは事実ですわ
「では始めよう。まず、ヴィクター・クラウス卿」
レオンが一歩二人に歩み寄り、ヴィクターへと視線を向ける。
それを、怒りの形相でヴィクターが舐めつけた。
(ヴィクター様も、あんな顔をなさるんだわ)
レベッカには、いつも優しい笑みを向けてくれていた。上品で、まるで王子様のようで。
現実味がなかったと言えばそうかもしれない。ヴィックは良く笑い、レベッカと対等で、時には競い、時には優しく、子供らしく意地悪な時もあり……とても普通の子だったのに。
そう思えば、ヴィクターがあんな顔をするのもありえるのに、再会後はそれをレベッカは感じた事がなかった。
「あなたは以前、私がフェルド元中佐の横領疑惑について話した時のことを覚えていますか」
「……ああ、あの聞き取りの時だな。だが確証はないと言っていたはずだ」
「そうです。ですが、あの時私は確証がないことを承知の上で、あえてあなただけに話しました。なぜだと思いますか」
ヴィクターの目がわずかに細められた。
「どういう意味だ?」
「私があなたにこの話をしたのは、正式な調査の一環でした。横領しているのが補給部の者とは限らないので。それに、私達はすでに、クラウス商団の不審な動きを察知していました。同時期に起きた二つの疑惑が、繋がっているのかそうでないのかを探る必要があり、わざと情報を渡したのです」
驚く。二人の間でそんなやり取りがあったなんて。
(わたくし、なにも知らず軍部に来るのを能天気に楽しみにしていて……その間にもレオン様は……)
レオンは、職務上知り得た情報をレベッカに喋る事が出来ない。
レベッカが拘束される恐れがあることも、そうなれば自分が庇うわけにもいかないことも知っていた。レオンが一人で抱えて、苦しんだことが他にもあるのかもしれない。
「結果としてどうなったかはご存知の通りです。直後に倉庫は炎に包まれ、レベッカ嬢は軍部から追い出される事になりました。これを無関係だと考える方が無理がありませんか」
「……は、こじつけだな。私は無関係だ。そもそも、そんな事をする動機がない」
「そうでしょうか」
レオンが壇上へと向き直る。
「クラウス卿は、レベッカ嬢の軍靴が正式採用されては困ると考えた。なぜなら、彼の目的は物流の掌握だからです。アヴァロ商団に大打撃を与えて、クラウス商団の傘下に取り込みいずれ我が物にする必要があった。そのために、レベッカ嬢に密売容疑をかけたのです」
「はっ、馬鹿馬鹿しい」
押し殺したような声でヴィクターが壇上を見上げる。
「正直に申し上げると、私はレベッカ嬢に求婚しています。彼女を愛している。だから、私が彼女を陥れるなんてあり得ない」
「……レベッカ嬢、事実か?」
レオンの視線がレベッカへと動く。
レオンのハンカチを握る。大丈夫、事実だけを答えればいい。
「求婚されていたというのは事実ですわ」
「それも、アヴァロ商団を手に入れるための布石では?」
「……なッ⁉︎ 私は都合が悪くなったら婚約破棄するようなお前とは違う!」
声を荒げたヴィクターがレオンに詰め寄ろうとし、ロバートに阻まれる。
「ヴィクター様……」
ヴィクターがレベッカを必要だと言って求婚した、その気持ちは本当だったのだろうか。
レベッカの大切な友達は、まだいる?
「話を戻しましょう。クラウス卿は、私が話した確証もない疑惑の情報を、自らの都合の良い形で利用したものと思われます。なぜなら、彼は横領疑惑を知っていた。倉庫火災が証拠隠滅ではないかと気づいたはずなのに、調達庁へその報告をしなかった」
「言いがかりだ。監査局は横領の事実を調査していた。わざわざ私が改めて報告する必要があるとは考えなかった。それに第三軍需補給局の横領など管轄外だ」
壇上では、頬杖を付いたマルセイユが、感情なく見下ろしている。
その横の二人は、マルセイユを飛び越して顔を見合わせていた。
「クラウス卿、被告人の軍靴試作品は、調達庁が納品許可を出し、その管轄に置いていた事業ではないかね?」
法務局副長官が、一言一言噛み締めるようゆっくりと壇上から発言する。
それに、ヴィクターの顔が歪んだ。
「その通りです。倉庫管理や横領は管轄外でしょう。ですが、新規納品した靴が焼けたのは事実。火災の原因に心当たりがあるなら、当然調達庁へは報告の義務があります」
「火事に動揺して失念していただけだ」
苦々しげにそう絞り出したヴィクターの声を、ロバートの低い笑い声が遮った。
「それはおかしいな。火災後、お前は俺に監査局が横領の調査をしていること、火災で証拠がなくなったことを話しただろう」
「それは……!」
「俺は、それで焦って外部の者の不注意か悪意ある放火じゃないかと周囲に言ったのだ。貴様は失念などしていなかったと思うが」
ヴィクターがレベッカの方を見た。王子様のようだと思っていたその顔は、ひどく青ざめている。
「ヴィクター様……本当ですの……?」
ヴィクターがあの火災を起こしたのだろうか。レオンを始めとして、たくさんの兵士たちの命を危険に晒すような真似を?
「違うんだベッキー、あれは……」
その後の言葉を飲み込み、ヴィクターが押し黙る。
「それとももしや、お前は俺が横領していたことをすでに知っていて、放火だと言わせるために揺さぶったのか? 部外者のお嬢ちゃんを追い出すために。横領犯なら、保身のために証言などしないだろうと思ったか」
悔しそうにヴィクターの顔が歪み、おおよそ似つかわしくないような汚い言葉を吐いた。
レベッカから視線がそらされる。
「こんなのはつまらないこじつけに過ぎない。そうだろうという憶測は証拠ではない」
「……そうですね。では、物証の検証に入りましょう」
レオンが言うと、ヴィクターを舐め付けたロバートが、後ろのベンチへ戻って行った。彼の証言は終わったらしい。
「物証、だと……?」
「ええ。倉庫火災において、納品記録のない残留物が見つかっています」
レオンが後方を見た。扉の前に直立していたマルセイユの側近の一人が、いつ持って来たのか足元から箱を取り上げた。レオンの元に持って来る。
その箱の中から、レオンはひどく変形した金属製の何かを取り出した。小さいものと少し大きいもの、二種類あるようだ。
(あれは……)
脳裏に浮かんだのは、倉庫火災の日にレベッカが見た、木製の蓋の変わった金属缶だった。すすで汚れている上に変形が激しく、絶対にそうだとは言えない。ただ、質感は似ている気がする。
「火災直前に、倉庫内では大蒜のような臭いがしていました。私も、レベッカ嬢とともにその臭いを嗅いでいますし、倉庫内にいた者は少なからず感じていました」
そうだ、大蒜のような臭いがしていた。
レオンが、食品を間違えて入れているんじゃないかと言いながらレベッカを案内してくれたのを覚えている。
「さらに、レベッカ嬢が木製の蓋がはまった金属缶を目撃しています。そんなものの納品は記録になかった。そして、この不審な残留物」
レオンがその残留物を、マルセイユの目の前へと置いた。
青い宝石の瞳が、それを見下ろす。
「小さい方の缶の中に、白い結晶が多数あるのがわかるでしょうか」
「うん、あるね」
「その白く結晶化した残留物と異臭の証言から推測されるのは——燐です」
燐と言えば、空気に触れるだけで自然発火する極めて危険な石だ。発火を防ぐために、水の中に沈めて空気から遮断しておかなければならない。別名をファイアストーン。
主に研究目的で取り引きされていて、アヴァロ商団でも何度か仲介をした事があったはずだ。
「なるほど」
冷たく言ったマルセイユの言葉に、ヴィクターが拳を握った。青ざめた唇を噛み、それでも顔を上げている。
「その白い結晶は燐の燃焼後に特有のもので、通常の火災では決して生じない痕跡です。加えて、大きい方の缶の内側には蝋の溶けた痕が残っていました。おそらく、時間経過により燐を自然発火させる装置を作ったのでしょう」
倉庫火災は本当に放火だったのだ。その事実に背筋が寒くなる。
火薬があることなど百も承知だったはずだ。それをわかっていて火を?
「燐は、近年研究の中で発見された極めて危険な物質です。空気に触れるだけで自然発火するため、通常は水中に沈め空気から遮断して保管するものです。そうすれば持ち運びもできる。今回はこの金属容器に水を入れ密封していたのでしょう」
「水に入れていれば発火しないのではないのかね?」
「ええ。様々な検証をした結果、燐を発火させる最も実効性の高い方法を、参考までにご説明しましょう」
そう言ってレオンが説明したのは、レベッカには考えも付かないような仕掛けだった。
「まず、缶の中に粉末石灰を入れます。そして、その上に羊腸に水を入れたものを置く。生の羊腸は水分を保持する能力が低く、二時間あまりで水が漏れ出す構造です。そうなれば石灰と水が反応して熱が発生する」
「熱? なんのためかね?」
「蝋を溶かすためです。石灰の上に片方は物理的な支点を、もう片方は蝋の支点を作ります。支点の上に仕切り版を置き、その上に水に漬けた燐入りの小さな缶を乗せる。持ち込む時は蓋をしていたとしても、設置する時に蓋を外しておけば……蝋が溶けて仕切り版が脱落した時に水もこぼれるでしょう。燐は空気に露出し、発火する」
あまりにも放火への強い意志を感じる時限装置だ。
もちろん、それが真実かはわからないのだろう。だが、レオン達があらゆる可能性を検証した結果導き出したものだ。限りなく正解に近いはず。
「もし被告人が目撃した木製の蓋の缶がこの装置なのだとしたら、辻褄は合うな。缶内部や蓋の内側に可燃性の油などを塗っていれば、火を確実に移す事も出来る」
スティーブが険しい顔で、残留物の金属片に視線を落としてつぶやく。
マルセイユは相変わらず無表情だが、缶への興味は薄れたようだ。黙って檀下を見下ろしている。その無表情さが怖い。
「大きい方の金属片の内側には、蝋の痕跡と思われる焦げた油膜が残っていました。通常の蝋とは異なり、動物性の脂肪を含んだ蝋が使われていた可能性が高い。これは融点を下げます。石灰の反応による熱で溶かす事が可能だ」
「そこまでして……」
倉庫火災の事を思い出す。
自分がその場にいて怖い思いをした事よりも、それによってレオンが危険に晒されたことが怖かった。
消火後、酷い頭痛で医務室に運ばれたレオン。もし、消火がもう少し遅れていたなら……。
レオンだけではない。危険な目にあった兵士たちが大勢いる。
「倉庫火災の日、午前九時頃にクラウス商団から、乾燥剤として粉末石灰の納品がありましたね。この装置に使う石灰の残留物の偽装でしょう」
石灰は納品され倉庫にあったから、残留物として見つかっても不自然ではない。そういう偽装ということなのだろう。
「これらのことから、単なる事故ではなく、計画的な工作であることは疑いようがありません」
ヴィクターの方を向きレオンが断言する。それに、ヴィクターは薄い笑みを浮かべた。
「それを私がやったという証拠でも?」
「燐は危険物です。購入歴を残し、国に提出する事が義務付けられています。この購入歴を確認しました」
「……ッち」
鋭い舌打ちが飛ぶ。
「ここ最近、国内で燐を仕入れた業者は三つ。そのうちの二つに不審点はありませんでした。残る一つは、燐を十月に購入してすぐ廃業しています」
「それがどうした。商売ではよくある事だ」
「この業者は解散して、代表者も行方不明……ですが、軍政管理局の追跡で元従業員を見つけました。燐の購入は初めてだったという事で、どこから購入したか、しっかりと記憶に残っていました」
レオンの説明によると、フランセス王国内の業者を二つ仲介して購入していたようだ。
そして、その先に繋がっていたのは、南のレーシタント帝国の卸売業者だった。
「そこは、レーシタント帝国の拠点としてアルマール伯爵家が出資して設立した卸売業者です」
「————……‼︎」
ということは、燐を何ヶ所も経由して購入し、最終的な購入先を解散したのも、それを隠すためという事だ。
(そんな大掛かりな……ヴィクター様、やっぱりこの国を……?)
嘘であって欲しい。そう思いたいのに、どんどん怪しくなって行く。
貴族制度を廃したい。それをまさか、こんな形で叶えるつもりだったのだろうか。
こんな——物流を掌握し、有事に混乱を招いて国を落とす事で。
ヴィクターにとっての理想は、シヴァ公国。民の声を聞く、民のための国。
その理想自体は素晴らしいもののはずなのに。
「だから何だ? うちも燐を有効活用出来ないか研究しているんだよ。レーシタント帝国で多く産出されているんだから、そちらから買うのは当たり前だ。そちらに販路を持っているならなおさらな」
「そうですね。ですが、これほど怪しい動きが出ているのです。また、クラウス商団の粉末石灰の納品には第三軍需補給局中央管理部所属のローズマリー事務官が関わっています。クラウス商団とローズマリー事務官、双方の調査を求めます」
壇上に向けて断言したレオンに、マルセイユが冷えた目線を向けた。
「正直、正式な調査をするには憶測が多いね」




