4.それは喜ばしいことですわね……
「レベッカ・アヴァロ嬢ですね」
ふいに低い声がかかる。
レオンのもとを離れ、新たなご婦人に靴をお披露目しお茶会へ招待して……。
夜会も終わりを迎えようとしており、ご婦人や令嬢方もひとりまたひとりと退席していく。レベッカもそろそろ帰った方が良いかと思っていた頃だった。
「あ、はい! あの……」
レベッカに声をかけて来たのは、身なりだけではなく外見も姿勢も全てが上品さを醸し出す青年だった。
もちろん、この場にいるのだから貴族なのだろう。貴族なら見知らぬ人物、そう思ったのは束の間のことだった。
その整った顔と金髪、青い瞳には見覚えがある。
「もしかして」
「ええ、ヴィクター・クラウスです。忘れられていないようでなによりだ」
「まあ! あんまりご立派になっていて気づくのが遅れましたわ!」
片膝を折り挨拶をする。
昔からそうだったが、さらに磨きのかかった品の良さが全面に出ている。その姿は、おとぎ話の中の王子様のような輝きを放っていた。まるで違う世界の登場人物のようだ。
ヴィクター・クラウス。レベッカより二つ上の十九歳。今夜の夜会の主催者であるアルマール伯爵の子息で、レオンと同い年だ。確か、軍の調達庁特別補佐官になったとレオンが話していた。
さらには隠居気味のアルマール伯爵に代わり、クラウス商団を率いる実質的な経営者でもある。クラウス商団はアヴァロ商団より規模は小さいものの、国を代表する商団のひとつだ。
本来なら、平民のレベッカが話を出来るような相手ではない。
「昔みたいにヴィックって呼んでくれても構わないよ、ベッキー?」
「あら、アルマール伯爵のご子息相手にそういうわけにはいきませんわ」
ベッキーと呼ばれたことに少しの懐かしさを感じつつ、きっぱりと断りを入れる。
自分は平民だし、もしレオンと結婚出来たとしても身分違いだ。ヴィクターが貴族だと知らなかった子供の頃はぎりぎり許されても、今はそうではない。
(礼儀作法も商売のうちですもの)
クラウス商団は商売敵とも言えるが、さまざまなところで協力関係もある。こういうことはきちんとしておかなければ。
「私は君をベッキーと呼んでも構わないかい?」
「ええ、もちろんですわ」
懐かしい響きだ。
ヴィクターと出会ったのはレベッカが十二歳、ヴィクターが十四歳の時だ。
まさか伯爵家の子息だとも知らずに、レベッカはヴィックに懐いていた。たまに二人で川辺に遊びに出るのが楽しみだった。
ヴィックが十五歳になった時にアルマール伯爵家の子息であること、これから士官学校へ行くことを告げられどんなに驚いたか。
「アルマール伯爵の主催だと伺っていましたので、ヴィクター様もいらっしゃるのではと思ってはいましたの。でも雰囲気が随分違っていてわたくしったらわからなかったのですね」
「ははは、それは褒め言葉と受け取ろう」
上品さの中からいたずらっ子のような笑みが顔を出し、ウィンクする。
「君はとても愛らしいお嬢さんになったようだ。でも、その天真爛漫なところは相変わらずだね。遠目でも君だとすぐにわかった」
ずっと声をかける機会を伺っていたんだよと続け、ヴィクターがレベッカの手を取った。
指先に口付け、青い瞳を細める。その様子に、周りにいたらしき令嬢達の悲鳴のような声が上がったのが聞こえた。
「まあ、人気者ですのね」
「伯爵家の長男だからだよ」
上品な表情は崩さず、レベッカだけに聞こえるようにヴィクターが囁く。
「貴族なんてこんなものさ」
「そうでしょうか? 慕われるのはヴィクター様が素晴らしい方だからと思いますわよ」
「変わらないな。そんなことを言ってくれるのは君くらいだよ」
にこりと笑ったヴィクターが、まいったなとでも言いたげに腕を広げ、手のひらをレベッカへと開いた。小さく肩をすくめてみせる。
その様子は、上品さも相待ってヴィクターに可愛らしさすら与えているようだった。
「レオン様もご令嬢方には人気なんだと兄が申しておりましたの。でも、本当にレオン様は人格者ですので、納得ですわ。ヴィクター様もそうですわよ!」
そう断言したレベッカに、ヴィクターの表情が微かに曇った。
心配そうな瞳でレベッカの顔を覗き込む。
「そのレオンとは、婚約破棄になると聞いたけど?」
「……そうなんですの。でもまだ正式に婚約破棄されたわけではありませんわ。レオン様に考え直していただけるよう頑張ります!」
「そうか。君がそのつもりなら応援するけど……」
ヴィクターが口ごもる。上を向いてなにか逡巡し、やがてレベッカへと視線を戻した。
「水を差すようで悪いけど、レオンには新しい婚約者候補がもう上がっているよ」
「えっ⁉︎ でもレオン様はまだなにも————」
「これはまだレオンも知らされてないと思う。でも、私はスタンフィールド子爵とも付き合いがあるからね。確かだよ」
「そうなんですの……」
言われてみれば当然のことだ。レオンとレベッカは婚約してから二年経つ。通常ならとっくに結婚しているはずだ。だが、まだ歳若かったのと、レオンが士官学校に在籍中だったため婚約で留まっていたのだ。
そしてやっと春に士官学校を卒業し、レオンは晴れて士官として軍監査局へ着任した。こうなればスタンフィールド子爵としては、一日でも早く結婚して欲しいというのが本音だろう。
「相手は同じ子爵令嬢だそうだ」
「それは、喜ばしいですわね……」
レベッカが盛り立てようと思っていたスタンフィールド家にとっても、レオンにとっても、貴族と結婚するのが一番いいのはわかっている。
わかっているからこそ、役に立つ妻になりたいと思ってきたのに。
婚約破棄を言い出したレオンは、今のところレベッカに協力してくれている。それだけで御の字なのかもしれないが、諦めきれない。
貴族相手に、顔の見える商売をして成功する。大規模な商団とは違う、レベッカだからこそ出来る商売をしたい。
それはずっとレオンの隣でという前提だった。
「わたくし、早くレオン様の助けが要らなくなるようにしなければなりませんわね」
新たな婚約話が上がっているということは、レオンの協力も早々に打ち切られる可能性がある。レオンに協力する意思があったとしても、スタンフィールド子爵から止められれば従わざるを得ないだろう。
その前に早く貴族を顧客にしなければ。
(でもまだ正式に破棄されたわけではありませんし……)
貴族の中に入るのならば、貴族の伴侶になるのがレベッカにとっては一番の近道だ。
(まだチャンスがあるならつかみたいわ)
せっかく夢に手が届くところにいるのだ。逃したくない。
「百面相してどうしたの?」
「わたくしまだ諦めませんわ」
先ほどのレオンは、疲れた顔をしていた。それはレベッカの知っている顔ではなかった。
レオンは楽しそうに笑う人物だ。レベッカの夢を聞いて、一緒に瞳を輝かせてくれる人だ。
「わたくし、貴族と結婚したいんですの。それを叶えて下さるのはレオン様だけですもの」
「……そうかい? 他にもいるかもしれないよ?」
「普通はいらっしゃいませんわ」
今レオンを離せば夢が遠ざかってしまう。叶えるなら二人一緒に夢へと向かわなければ。
「もっとレオン様に協力していただかなくては。そうしたらきっと」
同じ夢を向いていれば、レオンだってレオンらしくいられるはずだ。これまでのように。
そうすれば、頭も冷えていつものレオンに戻ってくれるはず。レベッカの夢を応援してくれるレオンに。
本人の意思で婚約破棄を撤回すれば、新たな婚約話も立ち消えになるだろう。
「若くして商団を率いていらっしゃるヴィクター様は、規模は違えどわたくしの目指す姿です。お話出来て嬉しかったですわ」
「うん、私も君と話せて楽しかったよ。またこうして話せる機会があれば良いのだけれど」
「はい! そのためにもわたくし、レオン様と結婚出来るよう一層がんばりますわ!」
時折ヴィクターのことを思い出しては、今頃ヴィックはどうしているだろうと思っていた。
貴族になれれば、ヴィクターと話す機会もこれまでよりは持てるだろう。
「前向きだね。妬けるなぁ……」
「ヴィクター様はもう成功していらっしゃいますわ、妬けるのはわたくしです」
「はは、君は面白いことを言うね」
「……? ありがとうございます」
なにが面白いのかは良くわからなかったが、レベッカは褒め言葉として受け取った。ヴィクターに笑顔を向け、暇を告げる。
「また会おう、ベッキー」
「はい、必ず!」
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